表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/49

第39話:究極の選択

星々の光が、まるで意味を失ったかのように、冷たく、白々しく、観星台を照らしていた。宰相の言葉が、(シェン)の頭の中で、何度も、何度も反響する。


――『君の仲間……あの書庫の男の故郷もまた、この国を救うための、尊い犠牲の一つだったのだよ』


「……尊い、犠牲……?」


(シェン)の唇から、か細く、乾いた声が漏れた。


「あなたは、あれを……あの、地獄を……! 正しいことだったと、そうおっしゃるのか!」


初めて、彼は、敬愛する上司に向かって、激情を露わにした。だが、宰相・() 浩然(コウゼン)の表情は、穏やかなまま、変わらない。


「正しいかと問われれば、答えは否だ。だが、必要だったかと問われれば、答えは是だ」


彼は、静かにそれを認めた。


「私は、その罪により我が身が地獄の業火で焼かれようとも、構わん。あの村の犠牲があったからこそ、私は、龍脈(りゅうみゃく)の病巣を焼き切るための、完璧な手術を完成させることができた。彼らの死は、決して無駄ではなかった。この国を救うための、礎となったのだ」


その言葉に、(シェン)は、激しい怒りと、そして、目の前の男が宿す、狂的なまでの覚悟を、同時に理解した。これは、悪ではない。悪であるならば、法で断罪できる。だが、彼の根底にあるのは、あまりにも純粋で、歪みきった「正義」なのだ。


「……ふざけるな……!」


(シェン)は、歯を食いしばった。


「私が守ると誓った法は、民一人一人の命と、平穏な日常を守るためのものだ! あなたがやっていることは、ただの大量虐殺に他ならない!」

「その正義で、国が救えるのかね、(シェン)よ」


宰相の問いは、氷のように冷たかった。


「お前の信じる法と秩序は、この緩やかに死にゆく国にとって、もはや鎮痛剤にすらならん。ただの、感傷だ。感傷に浸り、救えぬ民と共に、この国と心中するかね? それが、お前の正義か?」

「それでも、民の命を犠牲にするなどという道は、断じて……!」

「他に道があるとでも? お前は禁室書庫(きんしつしょこ)で、この国の状況を見たはずだ。あれを読んでもなお、他に道があると言うのなら、是非とも聞こうではないか」


宰相の言葉に、(シェン)は唇を噛み締める。そうだ。道など、なかった。そこにあったのは、ただ、緩やかな死という、絶望的な未来だけだった。


彼は、ゆっくりと(シェン)に歩み寄ると、その肩に、そっと手を置いた。それは、かつて、彼を科挙(かきょ)で見出し、ここまで引き上げてくれた、師の手そのものだった。


「だが、私には、この国を救う道が見える。そして、その道には、お前の力が必要なのだ、(シェン)


彼は、(シェン)に、究極の選択を迫った。


「私の右腕となり、非情な神となって、この国を再生させるか。それとも、無力な正義を抱きしめたまま、この国と共に、緩やかな死を待つか。選ぶがいい」


それは、「悪」か「正義」かではない。「緩やかな死」か「犠牲を伴う再生」か。(シェン)が信じてきたもの全てが、根底から覆される、絶望的な選択だった。


「……なぜ、私なのですか」

「お前が、誰よりもこの国を愛し、そして、誰よりも有能だからだ。そして……」


宰相は、そこで一度、言葉を切った。


「お前が、あの姫君の信頼を得ているからだ」

「……(リン)殿……?」

「そうだ。彼女の術は、私の計画を完成させるための、最後の鍵なのだよ」


宰相は、こともなげに告げた。


「私の術は、病巣を焼き切ることはできるが、あまりに非効率で、制御が難しい。だが、彼女は違う。彼女の術は、龍脈(りゅうみゃく)の力を、驚くほど高効率で、そして純粋な形で引き出すことができる。あの池の浄化の際、私の部下が、そのうつくしい術理を観測させてもらった」


彼の言葉に、(シェン)は、背筋が凍るのを感じた。あの、警備記録の「空白」。あれもまた、宰相の……。


「彼女の『抽出術式』を逆用すれば、私の『劇薬』は、これまでとは比較にならぬほど、精密で、強力な『神のメス』と化す。最小限の犠牲で、最大限の効果を。それこそが、私が追い求める、完璧な外科手術だ」


彼は、星空を見上げ、まるで夢見るような目で言った。


「彼女にも、協力してもらう。いや、彼女は、協力せざるを得なくなる。この国を救うという、大義の前にな」


(シェン)は、もはや、言葉を発することもできなかった。


自分が最も尊敬する男が、真の黒幕だった。

自分が守ろうとしてきた正義は、無力だった。

そして、自分が守るべき唯一の光である(リン)は、その男が最も欲する、最後の生贄だった。


彼の世界が、完全に、砕け散った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ