第37話:忘れられた調和
沈が禁室書庫で帝国の不治の病という絶望的な真実を前に立ち尽くしている、その裏で。古い演舞場を改装した研究室では、再生した一人の天才が、別の角度から、同じ闇の核心へと迫っていた。
「……やはり、手詰まり、ですか」
私は、床に広げた、市井を襲ったあの醜悪な瘴気の術式構造の写しを睨みつけ、小さくため息をついた。趙大将軍への物証がない以上、術そのものから犯人を割り出すしかない。だが、敵の術は、私の知識体系とは全く異なる法則で組まれており、解析は困難を極めていた。
「凛殿、少し、よろしいですかな」
部屋の隅で、別の資料を調べていた楊 子敬が、心配そうに声をかけてきた。
「ええ。何です?」
「いえ、あまり根を詰められては、と。……何か、糸口は掴めそうですか?」
「いいえ。全く」
私は、素直に敗北を認めた。
「この術式は、うつくしくない。ですが、それは私の美学に反するというだけではない。あまりにも、非論理的すぎるのです。世界の調和を無視した、ただ破壊だけを目的とした術理。その根源的な思想が、私には理解できない」
私は筆を置き、頭を冷やすために席を立った。研究室の中を、当てもなく歩き回る。その視界の隅に、ふと、あの幾何学図が映った。
あの日、楊 子敬が書庫で偶然見つけ、私がただ「うつくしい」と感じた、あの図面。事件とは無関係だと、部屋の隅に置かれたままだった、忘れられた紙切れ。
だが、今の私には、それがただの紙切れには見えなかった。破壊の術理に行き詰まった私の脳が、その対極にある、完璧な調和の術理を、無意識に求めていたのだ。
私は、まるで何かに引き寄せられるように、その図面に駆け寄った。そして、床に広げ、食い入るように見つめる。
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が、私の脳を貫いた。
「(違う……!)」
私の脳裏で、あの破壊の術式が、まるで逆再生されるかのように巻き戻り、反転し、そして、この図面のうつくしい線と、寸分の狂いもなく重なった。
「(調和と破壊。これは、同じ術理の表と裏……!)」
「楊殿!」
私の絶叫に、楊 子敬が、驚いて駆け寄ってきた。
「帝都の、最も古い都市計画図を! 主要な構造物の配置が分かるものを、すぐに!」
私のただならぬ様子に、彼は何も問わず、すぐに書庫から古地図を持ち帰ってきた。私は、それを幾何学図の隣に広げ、二つを比較する。
「……やはり。この図の模様は、帝都の主要な構造物の配置と、ほぼ一致します。これは、古代の都市計画図です」
「なんと……」
楊 子敬が、図面に描かれた、小さな印章に気づき、眉をひそめた。
「この印章……見覚えがあるような……。少し、お時間をいただけますかな」
彼は、興奮ではなく、学究的な探究心に満ちた目でそう言うと、書庫へと戻り、数分後、一冊の分厚い本を手に、落ち着いた足取りで戻ってきた。
「判明いたしましたぞ。この印章は、帝都を設計した、初代工部尚書のもの。そして、この図の正式名称は……『天脈創元図』。帝都の地の利を最大限に活用し、千年先の繁栄を築くための、 基礎的な都市設計図です」
天脈創元図。 他の誰もが見向きもしない「ただの古い都市計画図」と、凶悪な「呪詛の術式」。その根底に流れる共通の思想を、私は感じ取っていた。
私は、再び図面に目を落とした。
「(だが、おかしい。これほど完璧な設計図に、なぜ、龍脈そのものの位置が描かれていない……?)」
いや、違う。描かれていないのではない。描く必要がなかったのだ。この図は、龍脈の流れを前提として、全ての道が、水路が、建物が、完璧な調和の上に設計されている。ならば――。
「……逆算、できます」
楊子敬は息を呑み、やがて歓喜に打ち震えるように言った。
「なんと……! 設計図面から、その前提となる自然法則を導き出すと? それはもはや、神の御業ですぞ」
私は、父の筆を手に取った。このうつくしい都市計画図から、その設計の根幹となった、千年前の龍脈の位置を、逆算出する。
それは、私の術士としての本能と、知的好奇心の全てを注ぎ込むに値する、挑戦だった。
数時間後。私の目の前には、二つの地図が並んでいた。一つは、私が逆算して描き出した、千年前の帝都の龍脈図。そして、もう一つは、沈が以前、調査のために禁室書庫から持ち出していた、現在の龍脈の観測記録の写し。
二つを見比べた私は、愕然とした。
「……龍脈の、位置が……違う……?」
千年前と、今。大地の生命線であるはずの龍脈が、ありえないほど、その場所をずらしている。
「(自然な変化などでは断じてない。外部からの巨大な圧によって、大地の血管が本来の軌道から押し出されている……! なんという、冒涜的で、うつくしくない行いでしょう!)」
龍脈のずれ。それこそが、全ての醜い不調和の根源。だとしたら、私が次に解き明かすべきは、もはや敵の術ではない。この帝都そのものの、歪められた理そのものなのである。
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