第21話:第二の龍穴
楊 子敬の重い告白の後、彼の書庫の奥深く、地図が広げられた薄暗い一室は、私たちの作戦司令部と化していた。目的と痛みを共有した今、そこにはもはや遠慮も疑いもなかった。あるのはただ、帝国の闇を暴き出すという、三人の間に生まれた静かで、しかし鋼のように強固な意志だけだった。
「……なるほど。そういうことでしたか」
私は、楊 子敬が昨夜語った『大規模陣』という仮説を反芻しながら、目の前の術式図と「核」を睨みつけていた。
「どうも計算が合わないと思っていました。この『核』から直接放出される瘴気の量だけでは、後宮全体に影響を及ぼすには出力が低すぎる。そして、一度取り除いても再生する。……ええ、楊殿のおっしゃる通り、この井戸が術の本体ではなく、単なる『出口』の一つであるという裏付けになります」
私の言葉に、沈が険しい顔で地図を睨む。
「だが、そうだとしたら、どうやって本当の発生源を……『生成炉』を探し出す? 井戸以外にも『出口』があるかもしれないのだろう? 手がかりが、あまりにも少なすぎる」
「ええ、闇雲に探しても見つからないでしょう」と、私は同意した。
「ですが、別の視点から考えれば、答えは見えてきます。これほど広範囲に、持続的に瘴気を供給し続けるには、膨大な力が必要です。犯人は、その後宮内に存在する、ある『流れ』を利用しているはずです」
「流れ……?」
「土地の龍脈です」
私の言葉に、楊 子敬がはっとしたように顔を上げた。
「後宮の地下には、大小様々な龍脈が、複雑な川のように流れています。そして、その流れが合流、あるいは分岐する『結節点』は、無数に存在する。文献だけでは、その全てを正確に把握することは不可能です」
「つまり、その結節点の一つに『生成炉』が隠されている、と? ですが、凛殿、無数にあるのであれば、結局しらみつぶしに探すしかないのでは?」
沈の現実的な問いに、私は静かに首を振った。
「いいえ。だからこそ、術式で狙い撃つのです」
私は、新たな羊皮紙を広げると、懐から魔石の粉末を練り込んだ特製の墨と、細筆を取り出した。
「これから、この紙の上に、後宮を一つの閉じた世界と仮定した、解析術式を構築します。後宮の、いわば盤上見立てです」
私は言いながら、一切の迷いなく、紙の上に後宮の地図と、判明している限りの龍脈の流れを、一つの巨大な術式図として描き上げていく。
「そして、この術式に、これまでの全ての情報を変数として組み込みます。沈殿、楊殿、ご協力をお願いします。瘴気の被害が確認された全ての場所を、正確に」
私の言葉に、二人は頷き、地図を覗き込む。
「最初の井戸はここだ」
「侍女たちが倒れたのは、翡翠宮と尚服局のこの辺り」
「植物が枯れていたのは、冷宮の東側の塀沿いですな」
「西の池で、魚が大量に死んだという報告も上がっていた」
二人が指し示した全ての点に、私は変数となる小さな魔石を置いていく。
「この術式は、いわば巨大な計算盤です。無数にある結節点の一つ一つを、仮の『生成炉』と仮定し、そこから瘴気が流れ出した場合の汚染の広がりを、この盤上で擬似的に再現します。そして、その結果が、我々が今、観測している現実――これらの魔石が示す被害状況と、完全に一致する、唯一の結節点を探し出すのです」
やがて描き上がった術式図の中央、起動用の中核となる、一回り大きな魔石をそっと置くと、私はそこに指を触れ、全神経を集中させて気を流し込んだ。
部屋の空気が、張り詰める。
墨で描かれた線が、うつくしい青白い光を放ち始めた。光は、意思を持ったかのように、まず一つの結節点から流れ出し、龍脈の上を走る。だが、その光は、変数である魔石のいくつかとは違う場所を通り、やがて霧散した。失敗だ。
次の瞬間、別の結節点から、再び光が走り出す。また、失敗。
術式は、人間には不可能な速度で、無数の可能性を一つ、また一つと検証していく。光の明滅が、目まぐるしく繰り返される。
そして、ついに。
ある一つの結節点から放たれた光が、全ての龍脈の経路を完璧に流れ、盤上に置かれた全ての魔石を、寸分の狂いもなく貫いた。それは、まるで天の川のように、うつくしい光の奔流となって、術式全体を照らし出した。
光が指し示した、唯一の答え――。
そこに描かれていたのは、多くの人々が行き交う、後宮庭園の中心に位置する、大きな池だった。
「……庭園の、池……?」
沈が、絶句した。
そこは、妃たちが集い、宴が開かれる、後宮で最も華やかで、開かれた場所。そんな場所に、帝都を蝕む呪いの源が隠されているというのか。
私は、術式が示した一点を、冷たい目で見つめていた。敵は、最も光の当たる場所にこそ、最も深い闇を隠したのだ。




