第20話:過去を持つ協力者
扉に仕掛けられた醜悪な警告。そして、観星の儀で垣間見えた、趙大将軍の危険な思想。犯人の輪郭は、徐々に、しかし確実に狭まりつつあった。
それらの収穫は、すぐに沈から楊 子敬の耳にもたらされた。特別書庫の薄暗い片隅で、沈から事の次第を淡々と、しかし詳細に聞き終えた楊 子敬は、しばらくの間、何も言わずに埃っぽい書物の背表紙を指でなぞっていた。
「……そうですか。敵も、いよいよ焦れてきたようですな。そして、大将軍がそこまで言い切るとは」
「ええ。ですが、凛殿は怯えるどころか、むしろ怒りを燃やしておられます。彼女は、自らの領域を汚されたことを、決して許さないでしょう」
「……でしょうな」
楊 子敬は、ふっと息を漏らした。
「あの姫君は、ただの天才ではない。己の信じる『うつくしさ』のためなら、いかなる脅威にも屈しない、鋼の魂を持っておられる。そして、あなたもまた、法と秩序という自らの信条のために、危険を顧みない。……なるほど」
彼は何かを決心したように顔を上げ、書庫のさらに奥、普段は誰も立ち入らない一角へと沈を導いた。そこには、彼の私物であろう、一枚の大きな地図が広げられていた。
「沈殿。後ほど、凛殿もご一緒に、改めてこちらへお越しいただきたい。あなた方に、お話ししておかねばならないことがあります」
***
その日の午後、私と沈は、再び楊 子敬の元を訪れていた。彼は私たちを書庫の奥へと招き入れると、重々しく口を開いた。
「まず、お詫びせねばなりません。私は、最初から気づいておりました。君たちが持ち込んだ問題が、何を意味するのかを」
彼の突然の告白に、私と沈は目を見合わせた。
「君たちが最初にここを訪れ、『原因不明の植物枯死』の話をした時、私はすぐに確信したのです。この後宮で起きていることは、十年前に私の故郷を滅ぼした、あの忌まわしい奇病と全く同じものだと」
「では、なぜその時に……?」
沈の問いに、楊 子敬は自嘲気味に笑った。
「ここは後宮です、沈殿。帝国の光と闇が、最も濃く交わる場所。君たちが何者で、誰の意を受けて動いているのか、私には分からなかった。もし君たちが敵側の人間で、私を試すために来たのだとしたら? 軽々しく全てを話すのは、あまりに危険すぎた」
彼の慎重さは、この魔窟で生き延びてきた者の、当然の処世術だったのだろう。
「だが、君たちは私の疑いを打ち砕いてくれた。警告を受けてもなお、ひるむことなく調査を進めるあなたの正義感。そして、自らの危険を顧みず、名もなき侍女たちのために丹薬を練り続ける凛殿の覚悟。君たちは、命を賭けるに値する人々のようだ。だからこそ、私の全てを話そうと決めたのです」
彼は、机の上に広げられた古い地図の一点を、震える指で示した。
「ここは、私の故郷です」
彼の声は、静かだった。だが、その静けさの底には、計り知れないほどの痛みが澱んでいるのが分かった。
「十年ほど前、この村は、『厭魅』によって滅びました。――あなた方が『瘴気』と呼ぶ、あの現象によってね」
彼の口から語られる故郷の悲劇は、今、後宮で起きていることの、恐ろしい未来予想図だった。
「私の目的は、個人的な復讐です。故郷を、家族を奪った、この忌まわしい術と、それを使った者を、この手で裁くこと。それだけが、私の生きる理由だった」
彼の告白に、私たちは言葉を失った。
「だが」と、彼は続けた。
「君たちと出会い、私は一人ではないと知った。そして、この悲劇を、二度と繰り返してはならないと、強く思ったのです」
その言葉に、偽りはなかった。うつくしくはない。だが、彼の魂の奥底から発せられるその覚悟は、私の心を、確かに打った。
「楊殿」と、沈が静かに口を開いた。「あなたの痛み、お察しいたします。そして、あなたの覚悟、我々も同じです」
その瞬間、私たちの間にあった、単なる協力者という壁が、静かに崩れ落ちた。目的が、そして痛みが、完全に一つになったのだ。
「……それで、私の長年の調査から、一つ、確信していることがあります」
気持ちを切り替えるように、楊 子敬は後宮の地図を広げた。
「私の村と、今回の後宮の事件。使われている術理の様相は、あまりに酷似しています。これは、同じ設計思想……同じ流派の術士による犯行でしょう」
彼は、後宮の地図の上、古井戸の場所に赤い駒を置いた。
「そして、今我々が対峙している後宮の『陣』において、あの井戸は『出口』の一つに過ぎないのです。高度な『厭魅』は、単一の発生源から瘴気を振りまくのではありません。複数の拠点を結び、一つの巨大な術式として機能させる……。『大規模陣』。我々が今、戦っている相手は、この後宮全体に張り巡れされた、巨大な術の罠なのです」




