第19話:タカの視線
観星の儀が終わると、人々は思い思いに散り、杯を交わし始める。その喧騒の中、私と沈は、明確な目的を持って、後宮の権力者たちが集う一角へと向かった。
最初に挨拶したのは、帝の師傅であり、文官の頂点に立つ王 徳太師。狐のように細い目をした老人は、私の姿を値踏みするように一瞥すると、口元にだけ笑みを浮かべた。
「ほう、これが翠明の姫か。噂に違わぬ美しさ。帝の御前に出すにふさわしい、見事な花ですな」
「ご高評、痛み入ります」
私が無表情に返すと、太師は満足げに頷き、扇で顔を隠しながら続けた。
「なれど、花は花瓶にあってこそ。あまり根を張り、政という泥に首を突っ込むものではありませぬぞ」
それは、紛れもない牽制だった。私の背後にいる沈の動きを、この老獪な男は見抜いている。
当たり障りのない挨拶でその場を辞し、私たちは次なる標的へと向かった。
観星台の最も高い場所で、居丈高に腕を組み、星空を睨みつけている巨漢。帝国最強の武人、趙大将軍。
その視線は、私の美貌など存在しないかのように、ただ一点、国の北西――隣国との国境だけを見据えている。
沈が当たり障りのない挨拶を終えた後、私は一歩前に出た。
「大将軍。翠明の姫、凛と申します」
私の声に、将軍は初めて、面倒そうに視線をこちらへ向けた。
「私は祖国で、方術を学んでおりました。特に、術理を応用した道具――いわゆる『魔導具』の設計に興味がございます。つきましては、一つ、かねてよりの疑問をお聞かせ願えませんでしょうか」
私の意外な切り口に、将軍は初めて、その鷹のような鋭い目に、わずかな興味の色を浮かべた。
「近頃、将軍が工房で、村一つを吹き飛ばすような『術式兵器』を開発されている、と噂で耳にいたしました」
燕燕がもたらした、ただのゴシップ。それを、私は探り針として、静かに彼の懐へと差し向けた。
「私の理解では、それほどの破壊力を術式で生み出すには、膨大な気力供給と、術者の精神への多大な負荷という二つの大きな課題がございます。大将軍は、そのうつくしくない問題を、いかなる術理で解決されたのですか?」
私の専門的すぎる問いに、将軍は一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。だが、すぐに全てを悟ったように、口の端を吊り上げて不敵な笑みを浮かべる。
この姫が、ただの人形ではないと、彼はここで初めて正確に認識したのだ。
そして、その認識と共に、彼の視線が初めて、私を「女」として値踏みした。じろり、と。それは沈のような純粋なものでも、他の官吏のような卑しいものでもない。まるで、優れた軍馬か、あるいは名刀でも吟味するかのような、所有欲に満ちた視線だった。
「ほう……面白いことを聞く姫君だ。だが、それは軍事機密だ」
彼は、こともなげに言い放った。
「それに、お嬢様の考えるような、机上の空論で戦はできん。術者の負荷? 兵器とは、そもそも血を流すための道具だ。術者が血を流そうと、民が血を流そうと、帝国という大義の前では些細なこと。戦に勝ち、より大きな平和を得るためならば、いかなる犠牲も許容される。それが真理だ」
彼の言葉に、隣に立つ沈の気の流れが、怒りで激しく揺らぐのが分かった。
「真の兵器とは、術理のうつくしさではなく、ただ敵を殲滅できるか否か。その一点のみで価値が決まる」
将軍はそれだけを言うと、私への興味を完全に失ったように、再び星空へと視線を戻した。
「帝国の武威は盤石だ。それだけ知っておればよい」
***
冷宮への帰り道、沈は悔しそうに拳を握りしめていた。
「うまく、はぐらかされてしまった。だが……」
「いいえ、十分すぎるほどの収穫です」
私は、彼の言葉を遮り、冷静に分析する。
「彼は、術式兵器の存在そのものは、否定しませんでした。 それどころか、『戦に勝つためなら、いかなる犠牲も許容される』と、自らの口で言った」
私の翡翠色の瞳が、夜の闇の中で、冷たい光を宿す。
「……彼の思想は明確です。目的のためならば、どんなに醜く、非効率で、民の命を削るような術式であろうと、兵器として採用することを厭わない」
沈の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
状況証拠と、彼の思想。二つのピースが、私たちの頭の中で、うつくしいほどに、ぴたりと嵌まった。
趙大将軍が、瘴気を発生させるような非人道的な術式兵器を、実験、あるいは実戦投入した可能性は極めて高い。
私たちの疑惑は、今、ほぼ確信へと変わっていた。




