最終話 新しい世界
「まただ……」
ここ最近、目を覚ますと枕が濡れている。頬を触ると、涙が伝った跡がある。
長い夢を見ていたような。その中にとても大切なものを置いてきてしまったような。そんな感覚。
原因不明の現象。誰かに相談しようにも、気味悪がられて終わるだけだと思うから抱え込んでいる。
思い出そうとしても靄がかかったみたいで、どれだけ手を伸ばしても、きっかけすら掴めない。
「いってきます」
身支度を終え、靄の中にある思考を引っ張り出して、今日も学校に向かう。
いつもの通学路。なのにどこか物足りない。
あるべきものが、ないといけないものが欠けている。
横を抜ける風がとても冷たい。
「わたし……どうしちゃったんだろう」
ため息だけが重なっていく。
学校についてからもそう。
西日の眩しさ、移る視界の広さ。
ところどころにある違和感を拭えない。
「かりーん。まーた暗い顔してどしたー?」
休み時間に考え込んでいると、友達の琴葉が覗き込んできた。
琴葉の隣に立つみほなは、なにかを察したようにニタリと笑みを浮かべている。
「毎日毎日、物思いにふけたような顔して。まさか好きな人でも出来た?」
「え? マジ!? それならアタシらに教えろよー! 友達だろー?」
みほなの発言に食いついて、琴葉がずいっと顔を寄せてきた。
なんですぐにそっちにいっちゃうかなー。
「もう違うよ、そんなんじゃ」
恋だったら、この気持ちはもっと楽だったと思う。
「ホントに……本当に違うよ」
だって、この気持ちは重くて暗い、どこに行くべきかも分からないものだから。
からかいがいのないわたしの態度に、二人はきょとんと顔を見合わせていた。
※※※
休み時間の間に疑問が晴れるわけもなく、授業が始まる。
次の授業は道徳。
前から順番にプリントが回ってくる。
「はーい皆さん、今日はこれからの進路のことも考えて、自分の未来について考えてもらいます」
中学生にもなってやることじゃないでしょと思いながらも、若干心躍っている自分がいる。
普段、考えたりしないからこそ熱が入るんだ。
プリントに目を通すと、そこには『将来なりたいもの。叶えたいことを書きましょう』と記載されていた。
「叶えたい……こと」
不意に頭の奥の方が痛んだ。
「かなえ……?」
どうにも聞き覚えのある単語だった。
知らないはずなのに、親しみが、それ以上の想いがその単語から伝わってくる。
「なに……これ……」
頭痛が酷くなっていく。
ハンマーで絶え間なく殴られているみたいな痛みが、波のように広がっていく。
頭が……割れる……。
「綿梨さん!? どうしたの!? 綿梨さん! 綿梨さん!」
声が遠くなっていく。
体から心が引き離されて、暗闇へと落ちていく。
体が動かない……。
※※※
目を覚ますと、虫食いされたみたいな斑模様の天井が目に入った。
病院みたいな匂い。カーテンの仕切り。ここは……保健室だ。
あまりの痛みに気を失ってしまったんだ。
「いたっ」
さっきほどじゃないけど、まだ頭が痛む。
ベッドから下りてカーテンを開けると、保健室の先生と目があった。
「大丈夫ですか?」
「はい……。わたし、気絶してたんですか?」
「いいや。先生と友人の肩を借りて、自分の足でここまで来ていたよ。私は医者じゃないから詳しくは言えないけど、記憶が飛ぶほどだ。一度、病院で診てもらったほうがいいかもしれないね」
「そう……ですか。あの……体調が優れないので、早退させてもらってもいいですか?」
頭痛だけじゃない。頭の中が霧がかかったみたいにぼんやりとしている。
その中をかなえって単語が漂ってる。
もう今日はとても授業を受けられる状態じゃない。
わたしは琴葉とみなほ、先生に保健室まで連れて行ってくれたお礼を伝えて帰路に就いた。
「かなえ……。かなえ……」
痛みを堪え、下校中も考え続けた。
わたしはよく知っている。この名前を……。
なのにどうしてか、喉元に引っ掛かって動かない。
「名前……?」
なんで今名前って分かったの?
ズキンと鈍く重い痛みが頭の奥に響いた。
「うぅ……」
痛みが増していく。
頭が破裂しそうなくらい痛い。
でも今度は倒れない。倒れてたまるか。
きっとこの痛みは、忘れてしまったものを必死に探している状態なんだ。
見つける……。見つけてみせる……っ。
「誰……なの。かなえ……って。教えて……」
ようやく掴んだきっかけは絶対に手放さない。
頭痛に耐えながら、なんとか歩みを進めた。
痛みは収まるどころか増していく。
さすがに歩くことすら困難になってきたから、公園で休もうとした、そんなときだった。
ボールを追いかけて道路に飛び出しかけている小さな女の子の姿が映った。
道路にはスピードを出した車が走っている。その子のお母さんが追いかけているけど間に合わない。
このままでは衝突してしまう。
「……ダメっ!」
気付くと体が勝手に動いていた。走っていた。
それは助けたい一心からだったと思う。でも動くはずがなかった。だってもう歩くのだって限界だったから。
なのに動いたのは、誰かが背中を押してくれた気がしたから。
間に合え!
急ブレーキの音が響いた。
わたしは道路に転がったまま、抱えた女の子を見る。
無事だ。よかった……。
ほっと胸をなで下ろす。
「いきなりごめんね? 怪我はない?」
女の子は呆然としつつもコクコクと頷く。
「ごめんなさい! ありがとうございます! 本当になんてお礼を言っていいか……。怪我はありませんか!?」
そこに女の子のお母さんが息を切らして走ってきた。
手を放すと、女の子は泣きつくようにお母さんにしがみつく。
「いえいえ、大丈夫です。その子が無事でよかったです」
本当は膝と肘を擦りむいてるけど、大したことない。
女の子が無事だったんだからそれでいいよ。
そのあとは、運転手も謝罪に降りてきて、女の子のお母さんと運転手さんからの謝罪ラッシュ。
芸能人がファンに熱烈アタックを受けているみたいな状況にプチパニックだ。
「次からはちゃんと周りを見ないとダメだよ? じゃあね!」
女の子が首がもげるんじゃないかってくらい頷くのを見て、わたしはその場から逃げるように走り去った。
いつからか分からないけど、不思議と頭痛は消えていた。
理由は分かってる。
背中を押されたあのとき、空白のピースがハマる音がした。
わたしは足を止めて、空のそのさらに奥を見上げた。
「叶ちゃん……なんだよね。さっき背中を押してくれたのは」
返事はない。声はただ空に溶けていくだけ。
それでもきっと届いているはずだ。
「わたし、全部思い出したよ。痛いのも悲しいのも、全部全部。叶ちゃんが嘘ついたのだって」
なんでわたしを連れて行ってくれなかったの?
なんて聞くのは野暮だ。
理由なんて分かりきっているんだから。
だからこそ、その言葉は口にはしない。
優しさを踏みにじるなんて真似はしたくないから。
けどやっぱり……。
「やっぱり、叶ちゃんがいない世界はさみしいよ」
わたしの中にもう魔法少女の力はない。
叶ちゃんが消してくれたんだ。
今はもうただの女の子。
だけど、魔法少女になった弊害なのか、叶ちゃんを思い出してから、この世界の違和感に気付いた。
「叶ちゃん、この世界に悪意が溜まらないようにしてくれたんだね」
空の果てまで澄み渡っている。
きっともう魔法少女になって苦しむ子は出てこない。
叶ちゃんが世界を書き換えてくれたんだ。
わたしが気負わないように自分の存在を世界から消して。
「叶ちゃんは優しいから、戻って来てって言っても聞かないって分かってる。わたしをそっちに連れて行ってくれないことも。だから、わがままは言わない」
戻りたかった日常。
それは叶ちゃんも同じだったはず。
そんな想いを押し込めて、叶ちゃんは自分を犠牲にする道を選んだ。
わたしは託されたんだ。
「わたし、叶ちゃんのぶんまで頑張るよ。叶ちゃんに心配されないくらい、自慢したくなるくらい大きな人間になる!」
『頑張ってね、かりん』
気のせいかな?
ふと、風に乗って声が聞こえた気がした。
その声はわたしに勇気を与えてくれる。
わたしは目元を拭って前を向く。
きっとこれからも辛いことはたくさんある。だけどわたしはもう立ち止まらない。後ろに隠れたりしない。
叶ちゃんが創ってくれた世界に恥じない生き方をしてみせる。
「見守っててね。叶ちゃん」




