第1話 マーダー・パレード開幕
人生は一度きりなんて言うけれど、もしももう一度……いや、何百、何千、何万回と繰り返すことが出来るのだとしたら、やり直したいと思うだろうか。
やり直したい。そう思えるのだとしたら、その人の人生は順風満帆だったのだろう。
ではもしも悲惨な人生を送っていたなら?
また地獄を体験しなければいけないのだから拒否するだろう。
だけどその地獄で一輪の花を見つけてしまったのならば。
愛おしい花を守りたいと思うために立ち上がることはおかしなことだろうか。
※※※
目覚ましの音で目を覚ます。まだ布団から出るには寒いので潜り込んでいたいがそうはいかない。カーテンを開けて朝日を浴びると、欠伸をしながら部屋を出る。母の作ってくれた若干焦げたトーストを牛乳で流し込んで活力を養う。洗面台で歯磨きをしながらタコの触手のように好き勝手している寝ぐせに苦言を呈した後、冷水で顔を洗って意識を覚醒させる。そして母譲りの絹のように艶やかな長髪を櫛でといていく。
いつもの日常だ。代わり映えのない。だけど尊く、何にも代え難い日常。
そんな日常が今日も続くと――思っていた。
インターホンが鳴った。
こんな早朝に誰だろうか。
珍しいこともあるものだと思いながら髪を一つ結びにまとめていると――
「きゃーー!」
母の悲鳴が聞こえた。
私は慌てて玄関に走った。
するとそこで私は認識しきれない現実を目の当たりにした。
「おかあ……さん?」
仰向けに倒れる母の胸元にはぬらりと光る鋭利な物体が刺さっていた。
瞳孔に光はなく、虚ろを映している。人形のように固まっていて動かない。
今日はハロウィンだっただろうか? イベントのある日だっただろうか?
なにも思い当たる節はない。
「は……ははっ。おかあさん、冗談キツいって」
タチの悪い冗談に乾いた笑いが出た。
どちらかと言えば真面目で規律を重視する母だ。俗物だからとお笑い番組なんかも観ないのに、朝から娘の心臓に悪いことをしてくるなんてどういった心変わりなのだろうか。
「ねぇ……起きてよ。ねぇってば」
揺すっても母はピクリとも動かない。それどころか、胸元にある赤い液体がどんどんとあふれ出てくる。
温かい。まるでその液体が母の温もりを全て持っていってしまっているようだ。
「いやだ……。いやだよ」
単身赴任の父に連絡すれば、どうすればいいか教えてもらえるだろうか。
母を……目覚めさせることが出来るだろうか。
とめどなく涙が溢れてくる。
そんなわけないと思いたいのに、現実という波が私を呑み込んで、否が応でも真実を突きつけてくる。脳が理解を始めてしまう。いや、初めから気付いていた真実に向き合わせてくる。
「死んじゃやだよ……」
すがる思いで絞り出した言葉だったが、返事はない。
誰がこんなことをしたのか。なんの目的で母を殺したのか。
私は目の前に立つ男を睨みつけた。
中肉中背で四十代くらいの傲岸不遜そうな男だ。
身なりはあまりいいとは言えない。ヨレヨレの服に、所々に穴の開いたズボン。浮浪者と言われても納得できる格好。
そんな男を私は知っていた。
昨日だ。昨日の高校からの帰り道、すれ違いざまにタバコのポイ捨てをしてきたので注意をした。その時の男だ。
あの時は無視して去っていったのに、何で今さら……。わざわざ家を特定してまで……。
「なんで私じゃなくておかあさんを狙った!」
「なんで? お前が先に出てこなかったからだろ。つまりお前のせいだよ」
男は言いながら煙草を咥えて火をつけた。
冷たくなっていく母とは対照的に、私は体が熱くなっていくのを感じた。
この自分勝手な人間を……、人間の皮を被った獣を野放しにしていてはいけないと、私の魂が絶叫している。
「ごめん、おかあさん」
母の胸に刺さった包丁を手に取ると、肉の柔らかな感触が、引き抜いていくと骨の擦れる振動が伝わってくる。
もう本当に母はいないんだ。そう自覚する。
私は立ち上がり、母の血で艶めく切っ先を男に向けた。
今ここで殺す。恐怖はない。母に貰った愛が背中を押してくれているから。
そのはずなのに……、手が震える。
「死ねぇ!」
私は自分に言い聞かせて床を蹴った。
一撃で終わらせてやる。母を殺し、日常を奪ったこの男を許しはしない。地獄に送り付けてやる。
だけど――現実はゲームじゃない。そう簡単にいくわけがない。
気付くと天井を見上げていた。全身に電流のような痛みが走って、体が動かせない。
「ガキが大人に勝てるわけねぇだろ。バカかよ」
あぁ死ぬんだ。そんな諦めが脳裏に過った。
昔から正義感だけは人一倍強かった。いじめなんて絶対に許さないし、止めた結果標的がこちらに向こうものならぶちのめしてきた。大人にも物怖じしない強さは持っていた。
だから勘違いしていたんだ。大人にだって負けないって。勝てる力を持っているって。
妄想甚だしい。勝てるわけないんだ。
私は少し牙を向けられたら傷つき倒れるくらいには矮小な存在。
それを最後に自覚させられた。
悔しい。恨めしい。もっと私に力があれば……。
だけどそんな想いは届かない。
男は床に転がる包丁を手に取って、私の胸に突き立てた。
「じゃあな、この世界のゴミ」
「ゴミはお前d――」
ズブリと体内の肉を抉られる感覚と共に私、正義勇花の意識は途絶えた。
私は初めての死を味わった。
※※※
暗い世界で私は意識を得た。
最初に考えたことはここが死後の世界かということ。
だけどどうしてか。手足の感覚はあるし、体の前面には圧迫感を感じる。
その暗闇が瞼を閉じているが故だと気づくのにそう時間はかからなかった。
目を開けて最初に映り込んできたのは大理石で作られたと思われる床だ。
体を起こすとガシャリと音が鳴る。
体に何かついている?
見てみると、全身に西洋の鎧を模った、ゲームなどでいうところの勇者と呼ぶに相応しい鎧がまとわれていた。
「なんだこれは……」
馬鹿げた夢を見ている気分だ。律儀にも左腕には盾が付いているし、腰には剣が携えられている。
そんな馬鹿げた夢はとどまることを知らない。
その場にいたのは私だけではなかったのだ。
宮殿を思わせる造りに近代的なモニターという趣味がいいとは思えない部屋には、私を含め12人のおそらくは中高生の女子たち。各々が私生活では着ているとは思えない奇抜な装いに身を包んでいた。
理解し難い光景だ。それなのに不思議と現実味がある。
「起きたんすね! アンタで最後っすよ!」
声を掛けてきたのは、中学生くらいの日によく焼けたボーイッシュな女子だった。日焼け具合を見るに、おそらく陸上部だ。
胸元は羞恥心を捨てなければ着られないような布切れ一枚で包まれており、ホットパンツにブーツという恰好。それ以上に目を引くのは、炎を閉じ込めたように揺らめいている両手足についた大きなリングだ。
「ここはどこだ」
私は立ち上がって聞いた。
「さぁ? だーれも分かんないんすよ。だってみんなおねえさんみたいに、さっき起きたばっかりっすから」
最後というのは目覚めた順という意味だったわけだ。
私は確かに死んだ。はっきりとその時の感覚は記憶にこびりついている。だとすると、ここにいる者たちもおそらくは……。
死後の世界に来てしまったのだろうか。
何であれ皆、自身の置かれた状況を理解出来ずに困惑している。
ここは誰かがまとめ上げて行き場のない不安を抱えてやる必要がある。
現状を見るに私が目覚めるまで、誰も指揮を執っていない。つまりはそれが出来る者はいないということ。私がリーダーとしてまとめ上げるべきだろう。
「みんながこの状況が分からないということは分かった。何をするにしても、今から協力していかないといけない。そのためにはまずは互いのことを知らなければならない。自己紹介をしよう」
「最後に起きてリーダー面?」
「なにか文句でもあるのか?」
異を唱えてきたのは離れた位置で壁にもたれてこちらを見る、日本人形のように整った顔立ちに前髪を水平に切りそろえた高校生くらいの女子だった。いかにも物事を達観していますと言いたげな雰囲気を醸し出しているその女子の服装のモチーフは黒のウエディングドレスだろうか。
経験上こういう態度の輩は輪を乱す。早々に押さえつけなければならない。
「今必要とされているのは、この場をまとめ上げ皆を導く存在だ。この中で最年長であろう私が、それにふさわしいと判断したわけだが異論でもあったか? 納得いかないというのならば貴方が指揮を取ればいい」
「別に? それでいいわ」
口を出すだけで何もしない。私の一番嫌悪するタイプだ。
だが今の場においては、下手な行動に出てこないだけありがたいと言えるか。
私は深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
「それじゃあ私から。私の名前は正義勇花。高校生二年生だ。ここが死後の世界だというのならば、私は殺されたことになる」
「やっぱり……そうなんすね」
隣でボーイッシュな女子が呟いた。
「あっ、自己紹介っすよね。うちの名前は五十嵐大火。13歳の中二っす。死因は車の事故っす。多分……」
死因について話すと、大火の声が尻すぼみになっていく。
これは記憶がないというよりも思い出したくないという反応だ。
私の感覚を基にするのならば、死亡直後にここに来たことになる。死の衝撃や恐怖、憎悪といったものが鮮明にこびりついているだろう。
「死因については無理に言わなくていい。心の整理がつくまではしまっておけ」
私は小さな大火の頭に手を添えて伝えた。
「じゃあじゃあじゃあ! 次はぼくなのだ!」
近くに立っていた、この中で一番小柄なショートボブの女子がはつらつと手を上げた。
「ぼくは中一の青空翼なのだ! よろしくなのだ!」
服装はまるで近未来のSFスーツ。第二次性徴に突入していない体にぴっちりと張り付く機械仕掛けのスーツには際どさが目立つ。
大火もそうだがどうしてそんな際どい格好を気にせずにいられるのか不思議で仕方がない。
それはさておいて、いい空気感だ。順番を指定せずとも皆が自発的に事を進めている。ここがどこであれ、協力は出来そうだ。
そんな私の考え通り、自己紹介はスムーズに進んでいく。
「大兼小金。年は15、学年言う意味ある? まあいいや。高一」
大兼小金。ポニーテールに落ち着いた雰囲気を纏い、生徒会にでも入っていそうな生真面目な雰囲気。セーラー服に戦斧という異色の組み合わせを除けば、一番常識人の見た目だ。
「赤音姫奈だよ。ぴいなは高校三年生。ここって天国なのかな? ぴいな、ゆうくんのところに帰らないといけないのに」
赤音姫奈。ゴスロリ風の恰好をした、いかにもメンヘラ気質といった雰囲気の女だ。
腕に巻かれた包帯は衣装によるものだろうが、現実世界でもやっていることはたいして変わらないのではないだろうか。
他者に依存し自己を確立出来ない、私が嫌悪する人種の一つだ。
「ボクは早乙女忍。中学二年だよ! よろしくね!」
早乙女忍。翼とは違うタイプの元気の良さだ。翼が天真爛漫なら、忍は陽気な性格か。
くノ一を思わせる装いだ。腰元の帯で作られたリボンが目を引く。
「腐破雫ですわ。わたくしは中学三年生の十五歳です。以後お見知りおきを」
腐破雫。ご令嬢、お嬢様といった類だろう。所作から気品があふれ出ている。服装もそれに合わせたかのように上品な白と金のドレスに身を包んでいる。
「みんなの心にドレミファソラシド♪ アイドルグループ『プリティカル』の七色七音だよー♪ ドレミのことはドレミちゃんって呼んでね♪ サインが欲しい人は後で言ってね? 出会いの記念に奮発しちゃうよー♪ 年齢に関してはトップシークレットでよろしく♪」
ドレミ。愛嬌だけは一人前だ。だが所詮、男どもに媚びへつらい金を巻き上げる低俗で卑しい人種だ。好かん。
見た目はツインテールに、アイドルらしい水色のフリルがついたドレスに身を包んでいる。頭には大きなヘッドフォン、腰には羽のついたスピーカーが二つ付いており、なんとも奇抜なアイドルだ。
「柔南雲ー。高一ー」
柔南雲。猫の爪のようなネイルを見ながらの自己紹介とは不誠実な輩だ。
一見するだけで分かる。こいつは群れることで自身の力量を誤認し、他者に対して害を振りまくそういった存在だ。
恰好にもそんな性根が反映されているのだろう。ミニスカハイヒールに腹の見える丈の短いトップスという服装で、全身にはピアスやらイヤリングといった装飾がついている。
軟派な人間の代表例のような格好だ。
「僕は時叶。中二だ。よろしく」
時叶。寡黙なタイプだ。この中で言えばまともに話が通じる部類に入るだろうが、どうしてか私を見る目が、いや全てを見る目に敵意が篭っている。どういった状況で死んだのかは分からないが、相当な目にあったのだろう。
年長者たる私が規範を示して手本とさせ、荒んだ心も落ち着けば、私の隣にも立てるだろう。
服装は西部のガンマンスタイル。律儀に帽子も被っている。宇宙人が使うような玩具の銃でなければ格好がついたのだが。
「わ……わたし、綿梨かりん。中二……です」
綿梨かりん。叶とは友人なのだろうか。私が目を覚ました時から叶の腕にしがみついている。
俯き合わない視線。小刻みに震える身体。さながら小動物だ。
守ってくれる者がいるからいいが、ここに知り合いが誰もいなかったらどうしていたのか。抱えているクマの人形の後ろにでも隠れていたのだろうか。
そんな彼女の恰好はロリータファッションを思わせるピンクのドレスだ。胸元についたクマの刺繍が幼稚さを感じさせる。
さてと、これで自己紹介は終わった。あと一人、初めに異を唱えてきた日本人形女を除けば。
あの女は我関せずといった様子でモニターを注視している。
やはり輪を乱す存在に違いはなかったようだ。
「貴方が最後だ。自己紹介をしてくれ」
私が声を掛けると、日本人形女はこちらを一瞥し、吐き捨てるように言う。
「フィロ・ラム・リェーズヴィエ」
驚いた。日本人然とした顔立ちにもかかわらず外国人だったとは。
しかし流暢な日本語から、日本で暮らしていると考えていいだろう。
何はともあれ、自己紹介を終えたのならば、次を考えなければならない。
ここはどこで、私たちはどうなってしまったのか。
その手掛かりを探さなければならないのだが……。
「ではまず状況を整理しよう! 私の考えが間違っていなければ、ここにいる者たちは全員何かしらの理由で命を落としたということになる。そしてここで目を覚ました。奇怪な服に着替えさせられて」
頷く者、視線を逸らす者、俯く者。反応は多種多様だが、一様にそれらは肯定。
予想に間違いはない。故にその身に起きたことは現実だ。
だがこうして生きていることも事実に変わりはない。
「そう悲観することはない。こうして体は元に戻っている。私は刺されて死んだが傷も治っている。何が起きているか分からないが生きているんじゃないか?」
「でもそれってー、ここが天国とか地獄ってパターンもあるわけでしょ?」
口を出してきたのは南雲だ。
意見を言える人間だったとは驚きだ。低俗な人間の中でもマシな部類というわけか。
「確かにその可能性は――」
あるだろうな、と言いかけたその時、突如としてモニターに光が灯り、媚びるような可愛らしい声が響いた。
「グッモーニン。麗しの少女たち」
画面には小さな鳥のようなマスコットが映し出されていた。
どう考えても事情を知っているタイプの登場の仕方だ。質問タイムといこうか。
「ねぇ、キミがぴいなをここに連れてきたの?」
私が聞くよりも先に、ぴいなが疑問を呈した。
「ここはどこなの? ぴいな、さっき死んだと思うんだけど、なんで生きてるの? なんか服も変わってるし……」
「ここは生と死の狭間。そうだね、馴染みやすいようにハートの国とでも呼称しようかっピ。吾はここの管理者。名前なんてないけど、みんなが識別しやすくするためにマスターとでも自称しようかっピ」
取って付けたような語尾が腹立たしいが、それよりも気になる物言いだ。まるでこの世界が今、出来たばかりのような。
そんな私の疑問をよそに、マスターは画面越しに話を続ける。
「キミたちは【マーダー・パレード】の参加者に選ばれたっピ。覚えているだろう? そこの彼女が言ったようにキミたちは死んだっピ。それはついさっきの出来事。記憶にシミとなってこびりついているはずだっピ。苦痛が悲哀が……、そして憎悪が。そんなキミたちに朗報だっピ。今一度現世に戻る権利を授けるっピ。ただ管理者たる吾が星の流れに干渉しすぎると調和を乱してしまう。だから生き返ることが出来るのは一人だけだっピ」
突然の情報の羅列に全員が困惑の色を見せる。
互いに顔を見合わせる者、狼狽える者、ほくそ笑む者、ただ静かに立ち尽くす者。反応はそれぞれ。
その中のどれだけが気付いているだろうか。マスターの発言に含まれている選択肢の可能性を。
「みんな! こんなわけの分からない奴の言葉を真に受ける必要なんてない! ここから抜け出すぞ!」
この鳥の発言を聞くのは危険だ。口車に乗れば、どうなるか分かったものではない。
そもそも状況説明が足りなさすぎる。
『一人だけ生き返る』。そのためになにをしなければならない?
話し合いか? 殺し合いか?
あまりにも馬鹿げている。
断言出来る。このマスターとかいう存在は悪だ。人間をたぶらかす悪鬼だ。
まともな話し合いなど通用しない。私は剣を抜いてモニターに切っ先を向けた。
「貴様に拒否権はない! 私たち全員を元の世界に戻してもらおう!」
私の要求に、しかしモニターの鳥は呆れた様子で答える。
「だから言っただろう。生き返れるのは一人だけだっピ。そもそもなんの意味もなくキミたちを集めたと思っているのかい?」
「なに?」
「地球に人間が生まれてからというもの、星には悪意というエネルギーが生まれるようになったっピ。それは生物を蝕み、星をも蝕む最悪の存在。放置すればあらゆる命は死に絶えてしまうっピ。星の管理者たる吾の使命は星の存続。でも吾には悪意を浄化する力はない。故にキミたち星の輪から外れた死者に浄化の力を授け、集めた悪意の浄化を手伝ってもらうことにしたっピ。生き返りはささやかな礼だっピ。働きに応じて報酬を出すのは当然の義務だからね」
それはつまり、協力して悪意を浄化しろということか。この装いもそのためのもの。
だとするならば――
「貴様の話を信じるとするならば、浄化すべき悪意があるはずだ。どこにそんなものがある!? 所詮貴様の発言は戯言だ!」
「いいやあるよ。それはキミたちの中だっピ。悪意はエネルギー状態では浄化できない。浄化する為には器が必要なんだっピ。だけど一つの器に全て入れてしまえば、そのエネルギーは測り知れない。器によってハートの国も現世さえも壊されてしまうかもしれない。だからキミたちの中に閉じ込めたっピ。多感な時期の少女と悪意は親和性が高いんだっピ。悪意は忌むべき存在だけど、同時に力にもなる。魔法少女たちよ。心の奥底に眠る悪意に耳を傾けるっピ。そうすれば聞こえてくるはずだっピ。その姿になった意味が。授かった力が」
悪意を植え込んだ? それが力になる?
馬鹿げている。
つまりこいつは浄化とやらのために私たちに殺し合えと、そう言っているのだ。
仮に紡がれた言葉が真実だとしても従う理由はない。
私が目指すべきは全員での帰還だ。誰が悪鬼の言葉に耳を貸すものか。
だが全員が全員、同じ考えではなかった。
「何をする、貴様!」
突然、フィロが隠し持っていた包丁で斬りかかってきた。
首を狙った躊躇のない一撃だ。盾で受け止めなかったら首は跳ねられていただろう。
「聞いてたでしょ。悪意を浄化するためには殺すしかない。これは最後の一人になるまで終わらない」
「その通り。【マーダー・パレード】の勝者は一人だけ。だけど安心してほしい。約束は守るっピ。一つの悪意くらいなら解き放っても差し当たって支障はない。量が増えたら集めて浄化すればいいだけだっピ」
入ってくる言葉全てが神経を苛立たせる。
口車に乗るフィロも、殺し合いをけしかける鳥も、全てが腹立たしい。
「貴様が【マーダー・パレード】とやらに積極的だということはよく分かった。つまり貴様は悪に与する悪だということだ!」
ならば協力は不可能。鳥の前に這い寄る悪を滅する!
私が包丁を受け止めている盾を大きく振り払うと、フィロは壁を突き破り、外に吹き飛んでいった。
「なんて力だ。これが悪意の力だというのか」
凄まじい怪力だ。盾を振るう力一つで容易く鋼鉄をも粉砕出来るだろう。
そんな威力で人を吹き飛ばした。
普通なら死んでいる。だが体感的に分かる。今の私たちはあの程度で死ぬことはないと。
宮殿は塔のようになっているのか、ずいぶんと高所に位置している。だが関係ない。私はすぐにフィロを追って外に飛び出した。
体が綿毛のように軽い。まるでこれまでの肉体が枷まみれだと錯覚するほどに。
外は宮殿造りを思わせる内部とは違い、現代日本を思わせる造りで、住宅街が広がっていた。
しかし人の気配は、命の気配は一切感じない。
地球を模した空間に放り込まれたようだ。
道路に降り立つと、フィロは逃げることなく待ち構えていた。
吹き飛ばされたというのに澄まし顔で気に食わない。
「フィロ、最後の情けとして聞いてやろう。全員が帰還する方法の模索に協力しろ」
「断るわ。あの話を聞いてその考えに至ることなんて出来ないもの。アタシが全員殺すわ」
「そうか。ならば」
ならば躊躇はしない。
両手で柄をしかと握り締め、剣を構える。
「正義の名のもと、貴様を断罪する!」
踏み込んで一気に懐に潜り込んだ。
悪を断つためなら悪を被ることすら厭わない。
せめてもの情けだ。一撃で首を落としにいった。
だが――
「その思想が悪意に汚染された結果だとは思わないの?」
二本の包丁が剣を受け止めた。
忌まわしい。私の命を奪ったそれを視界に入れるだけで腹の底の憎悪が煮えたぎる。
あの男と同じ物を持つ輩の言葉など耳を貸す価値もない。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れええええええええ!」
がら空きの胴を蹴り飛ばすと、フィロは弾むように地面を転がる。
「貴様を殺し、全員で生きて帰る! そして私は、私を、母を殺したあの男を殺す!」
癇に障るが授けられた力は本物だ。
悪を持って悪を征す。正義の心は悪意に呑まれたりなどしない。
私は心の中の悪意に耳を傾け、剣を天高く構えた。
剣を覆いつくす金色の刃が天を刺し、空を焦がす。
これが私の持つ正義の一撃。何者も防ぐことは叶わない必殺の奥義。
「聖剣エクスカリ――」
不意に腹部に鋭い痛みが走り、振り下ろそうとした手が止まった。
腹部を貫いたもの。それはフィロの包丁だった。
脳裏に先刻の死が鮮明な映像で再生される。
「はぁはぁはぁはぁ……」
心臓が痛いほどに音を立てている。息も満足に吸えない。呼吸が苦しい。これはフィロの力ではない。体が先刻の死をトラウマとして捉えている。この状況がトラウマを刺激した。
血の広がりと共に鈍い痛みも広がりを見せる。
映像だけでなくあのときの感覚さえも蘇ってくる。
体が震え、鎧が擦れ合って音を立てる。
落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け。
恐怖に呑まれるな。トラウマに気圧されるな。
鋼の心は恐怖を跳ね除け、トラウマを圧し潰す。一瞬の動揺だった。だが戦場においてはその一瞬が命運を分ける。
「ッ!」
包丁の弾幕攻撃。
私は咄嗟に盾で防いだ。【不屈の盾】はあらゆる攻撃を通さない鉄壁の盾。一本一本が対戦車砲並の威力だろうが全てを防ぎきる。
だがこの選択は間違いだった。動揺は思考を鈍化させる。今の攻撃は奥義【聖剣エクスカリバー】で迎え撃つべきだった。
盾では全身を守り切れない。豪雨の如く迫る包丁が、露出した足に突き刺さり――引き裂いた。
雨が止むと私は血だまりの中で膝をついていた。
「うう……あぁ……」
膝から下は原型をなくし、完全に機能を失っている。
冷たいのか熱いのかも分からない玉のような汗が全身から流れている。
痛みで気が触れそうだ。
だが倒れるわけにはいかない。
歯を食いしばり、剣を杖として、歩み寄ってくる悪を睨み据えた。
「私は……悪には屈しない……! 貴様をこの手で……滅する……!」
「そう」
冷淡な返事と共にフィロの周囲の空間が歪むと包丁が射出された。
包丁は躊躇いもなく、剣を持つ私の両腕を裂き千切る。
「あああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
支えを失った体は地面に倒れ込んだ。
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
滝のように血が溢れて止まらない。人生で感じたことのない激痛が襲っている。
「安心して。すぐ楽にしてあげるから」
フィロの凍てつくような声が絡みつく。
為す術はない。それを分からされているからこそ、その声がとてつもなく恐ろしかった。
「いやだ……。来るな……。来るなぁぁぁ!」
ない手足で必死に逃げた。
きっと痛みよりも恐怖が勝っていたのだろう。痛みはあれど、動くことは出来た。
這って這い続けて、血の尾を引きながらもがいた。
無様と言われようと関係ない。死ねば終わりだ。また死にたくない! あんな恐怖を体験するのはごめんだ!
だがカツンカツンと処刑人の足音が距離を詰めてくる。
「うう……いやだ。私は正しい人間だ。こんなところで死ぬわけにはいかないんだ。私はッ――」
ヒールが背中を踏んで押さえつけた。
なんて力か。微動だにすることも出来ない。
刹那、脳裏に死が過ぎった。
「いやだあああああああああああああああああああああああ! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
私の中で何かが壊れた。全てを投げうって叫ぼうとも、その声は誰にも届かない。
「さようなら」
断末魔をかき消すように、包丁が心臓を貫いた。
肉を抉られる感覚と共に、私は二度目の死を味わった。
※※※
宮殿内部。壊れた壁面を残して、勇花とフィロの去ったその場所で、魔法少女たちは困惑に身を包みながら行く末を待っていた。
誰もが出来ることなら殺し合いなどしたくはない。勇花に希望を託し、待ち望んでいた。
「叶ちゃん。さっきの光、なんだったのかな?」
叶にしがみつきながら、かりんは不安げに聞いた。
「分からない。けど、どっちかの力だと思うよ」
「喧嘩……してるのかな」
「喧嘩だったらよかったんだけどね。もう静かになった。決着がついたのかもしれない」
至って冷静に、叶は状況を分析していた。
この結果次第で今後が決まる。
息を呑み、結果に備えていると、モニター下にある扉がゆっくりと開いた。
入ってきたのは、黒のウエディングドレスに身を包んだ少女フィロ。
右手には包丁を。左手にはモニター下で陰になっていて判別がつかないが、無数の糸にぶら下がるスイカのような物体を掴んでいた。
フィロは左手のそれを宮殿中央に向けて放り投げた。ゴンッと鈍い音がなると、ころころと転がっていく。
「きゃーーーーーーー!」
「いやーーーーーーー!」
それを見てかりんと雫が耳をつんざくほどの悲鳴を上げた。
大理石の床に赤い器が作られていく。その中央に添えられているのは――勇花の生首。
その顔は希望を失い、絶望に染まった表情で固まっていた。
そんな血でかたどられた器をないものかのように踏んで、フィロは勇花の隣に立つ。
表情は人形のように固まっていて本性はうかがえない。
「さぁ、並びなさい。全員、アタシが殺してあげるわ。大丈夫、苦しませはしない」
「ふざけんじゃねぇ!」
南雲が声を荒げた。
次の瞬間――突如として視界を覆う白煙が部屋に広がった。
それと同時、全てを巻き込み、大爆発が引き起こった。
宮殿が爆炎に呑まれる。炎がやみ、煙が晴れるとそこに魔法少女たちの姿はなかった。
ただ一つ。空けた宮殿の床に落ちているモニターだけが不気味に光を放っている。
画面の中、マスターは高らかに宣言する。
「さぁ魔法少女たちよ、己のために他者を踏みにじれ。【マーダー・パレード】の開幕だ」




