第九話
白い霧が視界を覆っている中、俺はあてもなく進んでいた。
もしかしたら、気の知れた仲間がいるかもしれない。
それは可能性が低いだろう、と思いながらも俺はアスファルトの地面を進んでいく。
すると、小さな公園が見えた。
フェンスに囲まれた、さびれた公園だ。
所々、塗装が剥げた遊具が点在し、ブランコが微かに揺れていた。
公園の中央には砂場があり、そこには何かが描かれていた。
…落書きか?
俺は公園に立ち入った。
砂場に近づくと、砂の上に複雑な図形が刻まれていることがわかった。
まるで魔法陣のようなものだった。
シルヴィアなら解読できるかもしれないが、俺には理解できない。
ただ、この図形を見ていると、奇妙な既視感に襲われた。
まるで昔、自分で描いたかのような…もしかしたら、前世の天ヶ瀬蓮ならば知っているのかもしれない、と思った。
砂場の傍らに小さな鞄が落ちていることに気づいた。
子供用の通学カバンだ。
手に取って開けてみると、中には教科書やノート、そして、筆記用具が入っていた。
ノートや教科書の表紙には『天ヶ瀬』という名前が漢字で殴り書きされていた。
ミミズの這ったような字だが、確かにそう読めた。
「天ヶ瀬…?」
前世の俺の姓と同じだ。偶然だろうか?
いや、これは偶然ではないはずだ。
カバンの内側を調べていると、一枚の写真が見つかった。
黒い袴を着た若い男性。
テレビに映っていたのと同じ姿、同じ男だった。
まるで証明写真のような写真だった。
上半身がアップで撮影されていて、背景は青で切り取られている。
ふと、俺は写真の裏を見てみた。
そこには、『輪舞祭準備 昭和63年 天ヶ瀬蓮』と書かれていた。
これで確信した。
この黒い袴の男性は間違いなく、前世の俺、だったのだ。
「輪舞祭…?」
地方都市ではよくあるような祭り。
しかし、それがどこか何か気になった。
気にせいかもしれない。
そう思い、俺は公園を後にすることにした。
◇
相変わらず視界は悪く、周囲の状況を把握するのは難しい。
それでも、俺は霧に覆われた街並みを進んでいった。
道路標識や店の看板がぼんやりと視界に入るが、それらはすべて色あせ、活気を失っていた。
まるで長い間放置された廃墟のような雰囲気だ。
そのとき、目の前の霧の合間から丘の上に建物のシルエットが見えた。
形状から判断するに、それは学校のようだ。
高台にあるその建物からなら、町全体を見渡せるかもしれない。
そうだとすれば、現在地の把握や脱出経路の発見にもつながる。
「あそこを目指すか…。」
俺は丘へと続く方向へ足を進めた。
しばらく歩いていると、前方に異彩を放つ建物が見えてきた。
他の建物と違い、そこからはかすかな明かりが漏れている。
近づいてみると、それは古い映画館だった。
入口上部に『天使座』と書かれた看板が掲げられていた。
ポスターケースには色褪せた映画広告が残され、ガラスのドアは長年の埃で曇っていた。
「映画館か…。」
俺が独り言を漏らしたその時だった。
背後から足音が聞こえた。
俺は動きを止め、息を潜めた。音は徐々に近づいてくる。
霧の中に人の形をした何かが動いていた。
それが人間なのか、それともそれでないのか、判断が出来ない。
手の届く範囲に武器らしきものは短剣しかない。
魔導ライフルを持っていないことが残念でならなかった。
「どうするか…。」
逃げるべきか、それとも相手の正体を確かめるべきか。
一瞬の躊躇の後、俺は短剣を握りしめ、戦闘態勢を整えた。
相手が何であれ、自分の身は自分で守るしかない。
霧の中からゆっくりと姿を現す何者かに向けて、俺は全神経を集中させた。