第三話
自分の工房に足を踏み入れた。
部屋の三方の壁には棚が整然と並び、様々な工具や材料、図面が規則正しく配置されている。
中央の大きな作業台には、半分組み上げた新型の魔導ライフルが静かに置かれていた。
窓から差し込む赤い月の光に照らされ、作業台上の金属部品が奇妙な色合いで輝いている。
この空間こそ、俺が最も安らぎを覚える場所だった。
魔法が使えなくとも、自分の頭脳と両手で生み出せるものがある。
それこそが俺の誇りだった。
「さて、明日の準備だな。」
俺は壁に掛けてある現行型の魔導ライフルを丁寧に取り外した。
全長約一メートルの武器は、特殊鋼で作られた銃身を持ち、城下町の職人たちが信じ難い表情で見守る中、俺が特別に設計し鋳造したものだった。
俺は銃を手際よく分解し、各部品の状態を入念に確認していく。
発火機構は特に繊細だ。湿気を避け、確実に火花が散るよう調整する必要がある。
銃身内部には精巧なライフリング(螺旋状の溝)が施されており、これが通常の火縄銃と比べて格段に優れた命中精度を実現していた。
魔力不足の俺にとって、この武器は生命線だった。
通常の冒険者なら魔法で敵を倒すところを、火薬の威力で補っている。
魔導ライフルの破壊力は上級魔法に匹敵し、時には魔物の堅固な鱗すら貫通するのだ。
火薬の調合に移る。硝石、硫黄、木炭を正確な比率で混ぜ合わせる。
前世の知識がなければ、この配合は誰も思いつかなかっただろう。
さらに『コンバージョン・パウダー』と呼ばれる特殊火薬の最適化のため、俺は独自の添加物を少量加えていく。
「配合を少し変えてみるか…。」
俺は少量の金属粉を試験的に加えた。爆発力が増すはず。
ボールに入れた材料を細心の注意を払って混ぜながら、頭の中で計算を繰り返す。
仕上げた火薬を小さな革袋に分けて詰め、念入りに防水処理を施す。
北の森は湿度が高いと聞いていた。
火薬が湿ると役に立たない。
続いて、鉛玉の在庫を点検する。
これは鋳造職人に発注したもので、レンの指示通り均一の大きさに作られている。
魔法の矢と違い物理的な弾丸だが、その分、魔力を持つ生物にも効果的だ。
俺は魔導ライフルの他に、数発の手製爆弾も準備した。
爆薬を陶器の容器に詰め、導火線を取り付ける。
これらは窮地に追い込まれた時の切り札となる。
作業に没頭していると、扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ。」
扉が開き、イリスが控えめに顔を覗かせた。
「レン様、失礼します。明日の準備は進んでいますか?」
純白のドレスから旅装に着替えた彼女は、灰色の修道服のような装いながらも、その気品は少しも損なわれていなかった。
「ああ、ほぼ終わりかけてる。イリスこそ、準備は大丈夫か?」
「はい、治癒の聖水と結界の札を用意しました。それと…これをお持ちしました。」
彼女は小さな布袋を差し出してきた。開けると、エメラルドのような緑色の粉末が入っていた。
「マナの結晶粉です。レン様の火薬に混ぜると、効果があるかもしれないと思いまして。」
俺は驚いた。
なにしろ、マナの結晶は高価な魔法素材だ。
それを粉末にして自分にくれるとは。
「ありがとう。試してみる。魔力が低い俺でも、これなら扱えるかもしれないな。」
少量の結晶粉を火薬と混ぜると、わずかに青い光を放った。
どうやら俺の持つ僅かな魔力でも反応する様子だ。これは期待できる。
「レン様は魔法が使えなくても、こうして独自の方法で強さを見出された。それが私には…眩しく映るのです。」
イリスの言葉に、少し照れた。
彼女の純粋な信頼は、時に重圧にも感じるが、それ以上に俺の力となる気がした。
「俺にできるのは、知識を形にすることだけだよ。イリスのような聖女の力に比べれば取るに足らないものだ。」
僕はそう答えた。
正直なところ、自分の能力に大したものはないと思っている。
前世の記憶から得た知識を頼りに、この世界での生き方を模索してきただけだ。
「いいえ、違います。貴族でありながら従来の価値観に縛られず、自分の道を切り開く姿…それこそが真の強さだと思います。」
イリスは真摯な眼差しで俺を見つめた。
その瞳には純粋な信頼が宿っていた。俺はそんな存在ではないと思うけれど、彼女のその思いを否定する言葉は見つからなかった。
考え込んでいる時、工房のドアが開き、ルシアとシルヴィアが入ってきた。
「おい、レン!また新しい武器でも作ってるのか?」
ルシアは好奇心旺盛な目で作業台を覗き込んだ。
炎のように赤い髪を揺らし、いつも通りの元気な声だ。
「準備?」
一方のシルヴィアは、いつもの冷静な口調で短く尋ねた。
彼女の翡翠色の長い髪は風もないのに微かに揺れ、鋭い黄金の瞳が俺の動作を観察していた。
「ああ、ほぼ終わりかけてる。イリスから貰ったマナ結晶粉を使った新しい火薬も試してみるつもりだ。」
そう答えながら、俺は装備を再度確認した。
魔導ライフル、爆弾、短剣、非常用の火打石。
この世界では異質な装備かもしれないが、魔力が乏しい俺にとっては命綱も同然だ。
「私は記録を調べた。しかし、『何もないダンジョン』に関する記述は一切見つからなかった。」
シルヴィアは淡々と報告した。
彼女は200年以上生きているエルフだが、そんな彼女でさえ知らないということは、本当に前例のない現象なのかもしれない。
「明日は早いから、そろそろ休もう。月が明るい夜は作業に向いてるけどな。」
俺の冗談めいた言葉に、イリスは微笑み、ルシアは大きく笑った。
シルヴィアだけはいつも通りの無表情だったが、僅かに唇が動いたような気がした。彼女なりの反応だろう。