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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
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走狗たちの願い

 細い棒のような物体。


 間違いなく、人の指。


 残虐なまでの殺戮劇があったのだから落ちていてもおかしくない物体ではあったは、状態に問題があった。



「まだ生きておる」

「そんな」

「いや、もう七日は前であろう。しかもこの業火だ、焼け焦げが皆無なのは明らかにおかしい。それに、ある意味一番肝心な部分が死んでおらぬ」


 生きていると表現できるほどには、色が濃い。壊死している様子は微塵もなく、しかも、指紋はまだ健在だった。

「島左近は健在なのであろう」

「まさか……」

「そうだ。書面を島左近が記しこの拇印を押せば石田三成の存在はまだ生きている事になる」

「そんな乱暴な!」

「ところで、石田三成の死体を誰か見たのか?」


 石田三成は死んだ事になってはいるが、死体は見つかっていない。

 そんな風に「行方不明」で「生死不明」な中で石田家の筆頭家老である島左近が三成の血判を作れば、石田家は「石田三成」の命令で動く。秀吉が許すとは思えないが、最悪の場合政宗が島左近を口説いてしまえば「石田三成」の命令の偽装ぐらいならできてしまう。と言うか、秀吉が三成の「蛮行」の社会的責任を取るために石田家を奥州統一連合に押し付けると言う展開さえありえなくもない。


 そう、死体がないのだ。


「死んだであろう、と死んだは違う。口では誰々を討ち取ったなどいくらでも言える。なればこそ首級が要る訳だが」

「かの業火を逃げ延びたと言う話はどこからも上がっておりません」

「火に巻かれたと言う話もどこからも上がっておらん。いずこへと逃げ延び、我々に顔も見せられぬと引っ込んでいるのかもしれぬ」

「この鎌倉の東は我々、西は豊臣、北は北条、そして南は由比ヶ浜ですが」

「船の一艘ぐらい確保しているだろう。伊豆か三浦半島にでも逃げ延びたか?」


 政宗の口は絶好調だったが、とにかく「死体がない」どころか骨さえわからないと言う事実がある以上成実以下誰もその屁理屈を論破しきれない。由比ヶ浜から船で漕ぎ出して三浦半島や伊豆にまで逃げ延び、かつ今更合わせる顔もないとばかりに地元の百姓の家にでも引っ込んでいるとか言う政宗の言葉も成立しなくはないのだ。この指についても、騒乱のどさくさでと考えれば矛盾しない。

「生きていて欲しいのですか?」

「だな。石田三成と言う男、もしこの場から生き延びておれば秀吉の望み通りに化けるかもしれぬ。もちろん秀吉は許さんだろうが、片目がなくても大将が出来るのだからな」

「生きて欲しいと言う願望だけで生きていられるのならば苦労はしませぬ。関白とて」

「秀吉とて生きていて欲しかろう。自らの手で断罪できるのだからな」

「あの、いつまでそのようなお話を……」

「終わるまでだ。小十郎はすぐ話を切るからな。あれはあれで必要不可欠だが、正直面白味には欠く。そのくせ、自分がいくら汚名を背負おうが気にしない。武士の鑑と言える。だが石田三成を見ているとどうしてもな」


 功名心を表に出さない事が良い武士の条件だとしたら、悪い武士で結構だ。小十郎の様な大真面目な人間も必要だが、その真面目ぶりに無理がある事を気付かないと思われていると言うのであれば我ながらなめられているとも思う。そういうのは鬼庭綱元辺りに任せておけば良く小十郎のような当代から武士になったような存在はもう少し元気が良くていい、型破りと言うか血の気の多い新参武者様の役割を演じて欲しいのが政宗の本音だった。

「小十郎はわしの目をえぐり出した男だからな、それが負い目になっておるのやもしれぬ。そんな物はとっくに疱瘡に持って行かれたのに」

「この事を小十郎様には」

「好きにせよ。だがそれでも小十郎は考えを変えぬであろう。それが悪いとは言わんがな」

「ですがこの指は…」

「ああ。下手人は石田三成を殺したくなかったのだろう」


 下手人が武士である事、人殺しのために生きている存在である事は断定できる数少ない事実だ。

 そしてその下手人の目的と、その過程。

 どうにもちぐはぐに思えて仕方がない、この凄惨な結果と政宗の言葉。


「だが三成は相手を殺そうとした、だからではないのですか?」

「いや、三成に罪はただ一つ……この地を司りし存在を守らんとした事」

「ではもし霊は自分たちに味方すると言うかその存在に与せねば石田三成を見逃したと」

「ああ。だが三成なしでは火を点ける事も出来なかったであろうから感謝もしている。わかるであろう?その霊の為し様を」

「しかし、だとすれば三戸城は」

「いくら本城とは言え松明を焚かぬ話はない。ましてや三戸は相模ではない、じっとしていたら凍えてしまうぞ」

「あくまでも副作用であると」

「霊武者はおそらく刀剣を操る事こそ意義であり、能力の限界なのであろう。その恐怖に駆られて……」



 鶴岡八幡宮を灰燼に帰した炎の根源は、三戸城を焼いたそれと同じここに元々あった火。要するに、霊武者には炎を操る力はない。

 あるいはだからこそ、石田三成を殺す気はなくむしろ感謝していた。もちろんそれはひどく一方的ではあるが、だとすれば余計に答えが見えて来る。



「この事を伝えるために、霊武者は動いていたのかもしれぬ。我々にも、秀吉にも」

「怨嗟骨髄であったと……」

「そうとも言い切れまい。どうしてわかってくれなかったのかと言う嘆き、悲しみ、涙、そして怒り。怨みの色はそれほど濃くはないだろう。亡霊が求めていたのはおそらく、心からの謝意……」

「謝意ですか」

「裏切るな、そう童神は呟いておったな。恩を仇で返すとか言うが、相当な仇を返されたのだろう。命を奪われるとか」

「それは…………」

「狡兎死して走狗烹らると言うが、その走狗にどれほどの過ちがあったかによって話は変わって来てしまう。烹られて当然だと思われていればいいがな、まあ元から烹なければいいのだが」


 身も蓋もない話だが、それが出来るなら為政者に苦労など要らない。


 この時代、家臣を満足させなければ大名など出来ない。

 今秀吉は戦乱を終わらせるとか言う真っ当な事を言いながら出兵できているが、それはもう力が圧倒的過ぎるのが大きい。自分たちが勢力拡大に奔走していたのは家臣たちにいい思いをさせなければ不甲斐ない君主だとして見捨てられるのがオチだからであり、それこそある意味で身内のはずの家臣に突っつかれ続けているとも言える。

 そんな危険分子を政権内部に置いておくのは単純に問題であり、取り込むために大名は親族を嫁や養子に出して血縁関係を結ぶのだが、それだけでうまく行くためしはない事は浅井長政と織田信長で周知の事実である。


「ですが、この地に祀られし存在がどれほどの人間を殺して来たか。そしてどれほどの人間を、いや走狗を烹て来たか」

「怨嗟骨髄なる存在は一人や二人ではないと」

「ええ。なればこそ三十年も経たずに」

「だがその後百年続いた。それがもし走狗たちの怨嗟であり、選択だと言うのであれば実に正確な裁定が行われたとも言える。その百年間の統治者は走狗たちに許されたと言う事になる」


 煮方にも作法と言う物がある。その走狗が優秀であればあるだけ煮方も難しく、それ以上に忠実であればあるだけもっと難しくなる。優秀な走狗ならば飼い慣らしてずっと仕えさせていた方が得策だとか言う話であり、下手に煮れば自分の身を滅ぼす事になる。やはり古今東西、忠臣を排除して滅んだ家は少なくないのと同じだ。




「そしてその走狗たちの中で一番優秀な存在、と言うより一番世に好かれる存在。

 それを、どう扱うか。こんなにも難しい課題などない——————————」




 何より厄介なのは、「人気」だった。


 民草の圧倒的な支持を得ている人間こそ、現在の指導者にとって一番厄介だった。

 その存在が自分にとって不利益であればそれは言うまでもなく最大の抵抗勢力と化し、その気があろうがなかろうが自分に牙を剥いて来る。取り込めば内部からその人気者に食われるし、弾けば余計に不興を買う。

 何より、個人の人気で持っているような集団はその個人の失墜と共に一挙に崩壊する危険性がある。例えその個人が失態を犯さずとも必ずやって来る個人の死と言うターニングポイントを乗り越えられればいいが、出来なかったらその個人の名前だけが肥大して集団を押し潰し分裂させる。言うまでもなくそれは安寧とはほど遠い結果であり誰も幸せにしない。


「なればこそ、だ」


 三成の指をつまみ、政宗は袋に入れる。


 その上で、いよいよ長広舌は終わりだと言わんばかりに手を叩き兵たちの目線を集める。


「この社の主は、自分たちのために誰より尽くした走狗を煮た。煮てしまった。子犬一匹さえも残さずに煮て、食べ尽くした。

 いや、正確には、自分の言う事を聞く別の走狗に食べ尽くさせた」




 そしてそういう人気者を潰す役目は、自分の黒い面をしっかりと請け負ってくれる腹心か、取るに足らない捨て駒のような小者だ。

 不人気は彼らに飲み込ませ、自分はいい子ちゃんになる。

 生臭い話だが、それが世の流れだった。


「さてと…そろそろ本陣に戻るぞ」

「では…」

「だがその前に、この指を残した存在に会わねばならぬ」

「もしや…!」

「仕方がないとは言え、な……気の毒な事だな……」




 その刹那、飛んで来た一本の折れた刀。



「氏子たちも…」



 その刀を受け止めながら政宗が笑うと、一人の武者が姿を見せた。



 いや、武者と言うにはどこか違った姿をした、一人の大男。


 政宗も姿を知っている、一人の男であった。

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