蛮智
「この炎は、人為的な物ではない」
自然とは言い難い燃焼の仕方だと言わんばかりの物言い。
伊達軍の中にわずかに緊張感が走り、すぐさま静まり返った。
人為的ではない炎。では一体何なのか。
「やはり……」
「ああ……皆まで言うまでもあるまいか……」
だがそんな御大層な事を言っておきながら、政宗の視線は定まらない。馬から降りる事もないまま歩くような速度で鶴岡八幡宮の境内であった場所を回り、時々後ろを向いている。
「いざとなれば…」
「ああ、臆面もなく逃げる。それもまた将の仕事だ。責任を取るとか言えば体裁はいいが、大将が逃げなければ兵も逃げられん。石田三成め、我々や黒田殿の前ではあんなことを言っておきながら下手に意地を張りおって……」
「意地ですか」
「ああ。つまらん片意地だ。その意地を張り続けて顛末がこれだ。もし見栄も外聞も捨てて逃げ出していたら、業火は決してその肉体を焼き尽くそうとしなかったであろう」
それが石田三成の正体である、と見抜くのはたやすいと政宗は思っていた。実際秀吉もそう思えばこそなかなか鎌倉行きを認めようとせず、ようやく認めたその上でもし尻尾を撒いて逃げ出せるのならば一人前であると認めてやっただろう。
「しかしそれをやれば生涯後ろ指を指され続けます」
「それで死ぬか?」
だが三成はおそらく最後の最後まで戦い続け、こうして名前すらも失ってしまった。もし三成の家臣や一族を秀吉がないがしろにするなら引き取ってやってもいいとか思う程度に政宗は同情してはいたが、認める気はなかった。
「結局、石田三成と言う人間の人生は亡霊との戦いで全て終わってしまった。豊臣秀吉と言う存在に取り立てられ、山﨑の時には二十三歳。実際に二十三のわしが言うのも何だが自分の人生を決めるには十分な年齢だ。自分が見習うべき存在として秀吉を規定すると共に、倒すべき敵としてその秀吉を阻害する存在に目を付けてしまった。
亡霊こそ、秀吉の最大の敵だと思ってしまったのであろう」
白骨だけではなく、黒い塊のような物もある。焼かれた材木の末路である炭や石畳の焼け焦げとも違う、赤黒い塊。おそらく、流れた血が焼けて固まった結果の代物。
これだけの血を流しておきながら、三成が挙げた戦果は皆無。
「なあ。霊を討つにはどうすれば良いと思う?」
「それこそ神職の力により」
「だろうな。だがよほどの存在でなければ追い返すのがせいぜい。目的があればいくらでも舞い戻ってくる。その目的が何なのか、それを分かった上で向き合わねばならぬ。何せ刀剣が何本あっても命など奪えぬからな、もうないのだから」
冗談に通じる口調だったが、冗談の色合いはない。実際問題、石田三成の霊魂とてまだこの場に残っていても不思議ではない。その三成の魂が何を願っているのか、推理するのは勝手だが答えを勝手に出す事は出来ない。秀吉様万歳とか思っているだろうとか考えるのは理屈でしかなく、理屈で対応できない存在に対しては非合理的である。
「かの霊に石田三成に対する害意は」
「ない。おそらく霊が望みし物はこの焼け野原であり、石田三成には何の悪意もなかった。強いて言えば、感謝と謝意しかなかろう」
「……………………」
「意味がないと思うか。だが実際、神社がこんな神罰めいた形で焼け落ちたとなればそこに祀られている神は何なんだと言う事になる。神格は大幅に落ち、信徒の数も減ろう。わしは耶蘇教の事は知らぬが、耶蘇教が万人を幸福にせなんだ様に神の道も不幸にする人間を作ってしまったのも事実である」
仏教勢力の腐敗は当然不幸にする人間を増やし、仏教に悪いイメージを植え付けた。それと同じような事など耶蘇教もやって来たであろうし、政宗が聞いた話ではあるが耶蘇教の伝道師は奴隷として九州の民を買い漁っていたとか言う事もある。神道にその両者のような事がおきなかったとか言うのは屁理屈ではあるが暴論でもない。
そしてそれらは例外なく、神の名を貶める。
「小十郎にも同じことを言った。そうしたらそれは相手によほどの落ち度がない限り害する側も同じように名を貶めるだけであると」
「いかにも…」
「比叡山とて当時の仏法がよほど乱れていればこそであったろう。耶蘇教もまた本流の法が相当に乱れており、新たなる耶蘇教の一派が領内で拡大した事に危機感を覚えた旧勢力がこの日本で布教を企んだ結果らしい」
「と言う事はそもそも腐敗がなければ耶蘇教はこの国に来なかったと」
「かもしれんし、あるいは単純素朴に自分たちの素晴らしい教えを広めんと欲してこの国に来たかもしれん。だがいずれにしても、その神により不幸になった存在はその神を恨み、名を貶めんと欲して動く事も考えられる。そして元より神などさほど重んじていない存在は、そこまで思い悩む事もしない」
愛が深ければ深いだけ、憎しみも深くなる。ありきたりな話であるがそれでも同じ展開のそれがあちこちで量産されて語り継がれている以上普遍的な真理であり、ここの神もかつて相当に手ひどい背信を行ったらしい事がうかがえる。
「やはり、亡霊とは……」
「ああ、まだ本人の口がない以上断定は出来んがな。可能性が極めて高いのと確定と言うのは全く違う。それに今、その霊はどこにいるかわからない」
もし石田三成の霊がこの場にいたらふざけるなと叫んでいただろう。
その霊について今一番詳しいのはあるいは自分かもしれないと思っているし、三成などが実際にそう考えていたとしても納得するしかない。実際に対面した際に霊について深く話して来なかったのは霊を自分自身で何とかせねばならぬと言う自尊心の為せる業であり、それ以上にまだ秀吉に服属するか決めていない自分たちの心を読まれたからである。後者については隠す気もなかった自分の責任でないとは言わないが、政宗は後悔も反省もしていない。
そして実際問題、霊と言うか童神がどこにいるか政宗とか言う俗人にはわからない。その霊を確認できたのはほぼ戦場だけであり、それ以外で感じ取れたのは政宗が一回、弥左衛門が一回ずつでしかない。後はそれこそ文字通りの神出鬼没と言うか、戦場でそれらしい姿を見たと言う記憶しかない。
もう一人の霊はそれこそ信州や甲州だけでなく京や九州にさえも現れたとか言う話であり、余計に掴みようがない。
「ただでさえ、この鎌倉は幾度も戦場になった。霊など山と居る。もちろん平和な世の中で平穏に畳の上で死んだ人間もいよう」
ましてやこの鎌倉と言う場所は戦場である前に、行政府であった。この地で行政に携わった人間のうちどれだけの割合の人間が、病死と言う真っ当な形で死んだのか。権力闘争に巻き込まれて死んだり病を得て早くに死んだりした人間もいただろうが、そんなのは京の都だって変わらない。建造物に放火とか言うと恐ろしく聞こえるが応天門の変と言う現実がある以上それまででしかない。藤原道長も北条義時も、平和的にとは言え京や鎌倉で死んだ事に変わりはない。
「寿命を全うしようが非業の死を遂げようが霊は霊である……」
「その霊たちは冥土へと行くはずでは」
「行く霊もおれば行かぬ霊もおる。行ったきりの霊もおれば帰ってくる霊もおる。まあ適当に言っただけだが、帰ってくるのにはそれ相応の理由があろう。もちろんわしらの理屈などでは測れぬそれかもしれんがな。三成にはならんようにせんといかんな」
「しかしそれは結構困難に思えますが」
「困難、か……だな。だが知ある物が生涯を全うできるとも限らぬ。運命とか言う言葉は無責任かもしれぬが、蛮勇と同じぐらい蛮智も危険だ。自分こそが真理を掴まねばならぬと思い込み人と向き合わず書や字とのみ向き合い他の何も顧みようとせぬ。
で、厄介な事に奸智を好く者はいないが蛮智を好く人間はおる。
だからただただひたすらに学を重ね、自分の中で回答を出して自分の中の真理にたどり着いたつもりになる。何が厄介かと言うと、蛮勇を成し遂げて死ぬ人間は山をいるが蛮智を押し通して死ぬ人間はいない」
蛮智と言う造語が気に入ったのか、政宗は連呼する。
蛮勇と言う事はそれこそ血みどろの戦いの中に身を投じる事であり戦死と言う分かりやすい結果が出るが、学に溺れた所で死ぬ事はない。無論そのために食や睡眠を削ってしまうのであれば死ぬかもしれないが、石田三成とか言う富裕層とでも言うべき存在にそんな危惧などない。いや、なかった。
「そしてもっと厄介な事だが、蛮勇にせよ蛮智にせよそれで成功してしまう人間は存在する。その数少ない成功は往々にして針小棒大に語られ、いやそれをするまでもなく莫大なそれになり、余計に人を惹きつける。石田三成の狙いが蕭何か孔明かはわからぬが、蛮智の行きつく先とはたいていがこんな物か……」
「ぶしつけですが蛮智で死ぬ人間はいないと」
「確かに蛮智そのもので死ぬ人間はいない。だが蛮智で殺される人間は多い。見ればわかるであろう」
「それは…えっと、要するに蛮勇で死ぬのは自分一人であるが蛮智で死ぬのは一人ではないと」
「蛮勇を為す大将は見捨てやすいが蛮智を為す大将は見捨てにくい。頭が熱くなっていては戦は出来ても学問は出来ぬから、表向きには冷静に見えるからな」
智慧を振りかざし続けた人間の末路—————。
蛮勇により死した存在でも亡骸ぐらいは残せるだろうが、蛮智を振りかざした人間に何が残るのか。
この白骨の山と焼け野原だと言うのであれば、これほどまでに空しい話もない。
「ここは…」
「白旗神社のあった地でございます」
成実が指したのは白旗神社と言う名の、ただの焼け野原。
そこに本来いるべき存在はもうおらず、ただ炭が転がるだけ。何度も廻ったはずなのに、改めて涙がこぼれそうになる。
しかしそこに転がる、木目と言うにはやけに焦げのない円柱のような物体。
何かと思って隻眼を凝らしてみると、すぐに正体が分かった。
「人間の指に見えます」
「指……!」
改めて指摘された政宗の顔が、急に強張った。