廃都・鎌倉
「大浦殿には深く礼を言ったのだな」
「無論でございます」
「そうか。なればよし。とりあえず初戦は勝利と言う事で何よりだな」
伊達政宗は弟の戦勝に、不機嫌な所はなかった。小十郎が無理矢理にしかめっ面を作っているのを横目に、深く頷く。
「しかし守っていた氏照が冷静だったのに兵たちが言う事を聞かないとはな、この調子では案外倒すのはたやすいかもしれん」
「殿!」
「わかっておる。だが氏照もあるいは氏政と不仲なのかもしれぬ。考えて見ろ、北条氏照と言えば主君の弟だぞ?」
氏政は氏康の次男であり、氏照は三男である。血統とかを差し引いても武勇で知られており重宝されてしかるべきはずなのに、なぜ東門の守備隊長などに回されているのか。そんな役目ならば他の取るに足らない将か、北条で行けば氏邦辺りにでもやらせておけばいいのにだ。
「口説こうにも難しいのでは」
「わかっている。おそらくは氏照自らが志願したのだろう。そして氏政はそれを了承した。とは言え初戦があの調子では今頃氏政から叱責を受けていたとしてもおかしくはない。どういう理由で受けているのか探れないか」
「一応はやってみるように申し付けておきましょう」
「まあそんな事に気付かない小次郎でもないだろうがな」
「それはそれは……」
「小十郎、お前も随分だな。まあそういう家臣がいるからこそわしは頑張っていられる。年上の家臣とはありがたい物だ」
まだ二十三の政宗には年上のそれしかいないが、これからどんどん減って行く。五十二の氏政にはもうそんな人間など数えるほどしかいないはずであり、その点でも氏政に同情できる程度には政宗には余裕があった。
「そう言えば秀吉殿は…」
「小次郎の攻撃に追従するかのように小田原を攻めたらしい。だが小次郎のそれよりもずっと小規模であり損害と言う損害もなかったらしいがな。しかもどうやらその戦いの北条の将は聞いた事もないような兵隊長だったらしい」
「おかしいですね」
「なれば、行ってみる価値はあるだろう。鎌倉に」
「安全なのですか」
「既に偵察の使者をやった。火ももはや点いていないとの事だ」
この主君が突拍子もない事を言うのにはもう慣れましたと言わんばかりに苦笑する小十郎だったが、その上で手抜かりがないのも事実だった。政宗も政宗で家臣を出し抜いてやったぞと嬉しそうに笑う。
「秀吉もまた、ここでも変わらないのでしょうか」
「変わらないだろうな。秀吉と言う人物は多くの人間を引き付けて来た才覚の持ち主であり、かの信長にも寵愛されたと言う。厳格で気難しいと思われがちな存在に好かれる程度には愛される力を持っていると言う事だ。その上に知っての通り目から鼻に抜けるような才覚を持っている。今回もまた突拍子もない手を思いつきこちらをも惑わせるかもしれぬ」
「不意打ちには不意打ちですか」
「歴史を作るのは往々にしてはみ出し者だ。その点ではわしはあまりにも坊主であったかもしれぬ」
「そんな!」
「ハッハッハッハ!」
坊主とは、おぼっちゃんと言う事だ。平安時代から続く由緒正しい藤原北家の末裔である伊達では、いくら奥州と言う位置にいたとしてもはみ出し切るには限界と言う物があるのかもしれない。小十郎が本気で慌てると政宗は笑うが、小十郎は目線を上げない。
「わしが仮に坊主だとか言うなら、坊主なりに出来る事もあろう。はみ出し者が古い弊害を叩き壊した後、それを整えるのは旧弊が旧弊でなくなる前の時代を知っている坊主と、その過去の秩序を現代風に直せる存在だ。石田三成にはその力があったのであろうがな…いやなかったな」
「……そうですか……」
「とにかくわしは鎌倉へ行く。行かねばならぬ。止めてくれるな」
「何人ほどで参りますか」
政宗は、また一段ときれいな笑顔になった。
鎌倉と言う地にどれほどの力があるのか、武士として誰もが知っている。
武士が、武士のために、武士の手によって築いた都。
もう行政機関としての役目はないかもしれないが、それでも武士の栄光の始まりであった地。
(わしは別に秀吉と戦う気はない。あくまでも鎌倉を見たかっただけ……いや行かねばならぬと思っただけ。
秀吉と違って行く理由などなかったのにな……)
だが政宗に、秀吉に服属でもしない限りここまでくる理由はなかった。本当に、ただ来たいから来ただけ。奥州統一連合とか言う代物をこしらえたのさえそのため。
「五千でいい」
そんな自分の勝手を許してくれた小十郎の言葉に応えるように、政宗は数を出した。
※※※※※※
「豊臣は鎌倉に入る事はないのか」
「三里ほど西に構えております。もし迫って来たら」
「ああ、打ち合わせ通りだ」
伊達軍五千とか言うが、その実は三千しかない。残る二千は北に向いており、小田原を睨むような形で進んでいた。
言うまでもなく秀吉に疑われた際に小田原を気を付けねばならぬと思いましてと言う言い訳のためであるし、実際自分でも相当に勝手な事をやっていると言う自覚はある。
物理的な意味での火はもはやすっかり消えたとは言え、元から鎌倉の民に余所者を歓迎する気など全くないのに今度の火災で憎悪ばかりが膨らんだであろう。
今はそのほとんどが玉縄城付近の三浦半島にいるとは言え里見家を内包している奥州統一連合もまた、豊臣よりはましだろうがよく思われていないだろう事は想像がつく。
「実際、鎌倉の民はこちらの動向をうかがっていた。玉縄を落としたからしょうがないとは言え、あの一件の後は付け焼き刃ではあるが当地の住民に格安で兵糧を譲り渡す羽目になった。それにどれだけの意味があったかなどわからんが、いずれにしても、だ」
鎌倉が近付くたびに、兵たちはざわめき出す。静かにとか制止をかけた所で無駄である事を、誰もがわかっている。
近づけば近づくだけ、現実を思い知らされる。
政宗でさえも、ついこの前黒田官兵衛と話を交わした場所のあまりの変わりように目を剥きそうになるのをこらえ、隻眼をじっと見開いた。
そしてその流れのままたどり着いた鎌倉の町は、つい先月政宗が見たそれとはまったく合致していなかった。
「………………………………」
「ええ………………………………」
「ああ……ああ…………」
ほぼ全員が、わかっていたくせに言葉を失っていた。
鶴岡八幡宮は、もうどこにもない。一昨日ぐらいまで登っていた煙の下は、文字通りの焼け野原。
燃やすのが無理であった灯篭とか石畳とかはかろうじて残っているが、原形をとどめているそれさえもごくわずか。後はもう灰色か黒だった。後は鶴岡八幡宮を彩っていたはずの材木の成れの果てである炭だけが形を残し、細かい物はほとんど風によって飛ばされてどこかへと消えた。鶴岡八幡宮にすら残る事もなく、残ったとしてもほとんど何も読めない。
「氏子の皆様は」
「無事だ、肉体的にはな……」
「しかしこれでは一体どこの誰に信仰を捧げて良いものか……と言うかいいのですか、魂を慰めなくとも」
「馬鹿を言え。今この地においてもっとも嫌われている存在の慰霊なんかしたらわしが恨まれるわ。しかし死体どころか遺骨すらないとはな…犬にでも食われたか?と言うか誰も拾おうとしていないからな」
本当の本当に、何もない。榊さえも焼けて消えてしまっている。熱もない。
そして、石田三成の遺骨さえない。
もちろんまったく骨がない訳でもないが、三成のそれを思わせるような骨がどれなのかさえもわからないし、政宗に言わせればもうなくなっていると言うのだ。
「失火なのでしょうか」
「失火ではあるまい、おそらくは放火だ」
「ではやはり石田三成……」
「シッ!」
だがその上で、三成が火を点けて燃やしてしまったと言う伊達成実の論は封じ込めようとする。溶けた刀やどこの誰か分からぬような遺骨が並ぶ中で、政宗は西の方を向いて重々しくつぶやく。
「この炎は、人為的な物ではない」