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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
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第三者の目

「お前が気にする事ではない……とか言う言葉が通じる訳もないか」

「どういう意味です!」



 武蔵の西側に存在する、忍城。


 ほとんどの兵を小田原へと持って行かれた武蔵の中で東の川越城と並んで三つ鱗の旗の翻る北条の城。

 もっとも量だけでなく、質もまたしかりであり攻められればひとたまりもない。一応堀は深く守りは固いが、それだけでどうにかなるなら苦労などしない。いや数はいるが、それでも千名いるかいないかでしかない。


「川越とここ以外はほとんど空城だ。各地の領主の子女も小田原か川越に集められた」

「ここにも上野から何名か来ています」

「そして敵はかなり正確だ、川越には佐竹勢や里見勢がやって来て封鎖されてしまっている。こちら側に送る兵はあっても相模の奥州統一連合を阻止する力はない」

「そうですか、しかし信州からこちらに来ると思った兵は来ていないようですね」

「だが兵は迫っている。上州からだ」

「そうですね」


 この忍城に迫る兵が掲げる旗は、毘沙門天の毘の字。上杉だ。

 情報によれば奥州統一連合に付いたと言う上杉の軍勢およそ一万が、この忍城へ向けて進んで来る。上州から下野を通らずにだ。

「奥州統一連合は豊臣家と敵対しているのでしょうか」

「残念だがしておらん。少なくともこの北条がある限りはだ」

「…………」

「だがその気になれば引き裂く事も出来なくはあるまい」


 城内の空気が一瞬で冷えたのを感じた氏長はあわてて取り繕おうとしたが、そんな策などない。と言うか、奥州統一連合と豊臣家の関係自体どうなっているのかさえわからない。


「いざとなれば私自ら!」

「駄目だ、上杉景勝はあの上杉謙信の後継者だ。色香に惑わされるような人間ではない」

「申し訳ございません、つい出しゃばってしまいました」

「お前が悪い事ではない。とにかくだ、しばらくおとなしくしておくしかない」


 成田氏長は娘である甲斐姫に向かって品のない冗談を言って見せるが、場は明るくならない。甲斐姫もきっちり受け流すが、話は何も進まない。


 とにかく、とりあえず籠城する。

 それしか、打つ手はなかった。







 五月二日。

 ついに、上杉軍がやって来た。数は一万。


「上杉軍は仕掛けて来るのでしょうか」

「来ないでもらいたいがな」


 だがここまで来てもなお、上杉が忍城を攻めるか否かわからなかった。

 何せ千名ぐらいしか兵などいないのだから、二千人ほど割いておいておけばこちらは手を出せないと言う、川越と同じ事になってしまうかもしれない。

 もっともそれは、そんなに都合の悪い事でもない。少しでも兵を削ったとなればそれは北条に取って利益であり、もし北条が敗れたとしても豊臣家や奥州統一連合の兵を害していない上に人命を守ったと言う事でそれなりに高く売れる。何とも生臭い話だが、それもまた事実だった。

 

 しかし数も質もさることながら、それ以上に兵士の意欲が問題だった。


 忍城にいる千名の兵の内、元からこの城にいる兵は三百程度。残る七百は近隣の城から集められた兵だが、その大半はやはり小田原に送られており、その余りの様な兵たちばかりだった。


「我らとて人並みには鍛錬を積んで来たはずだったのだが……」

「上杉はただでさえ上杉です。北条の将兵には上杉の名を聞くだけで恐れる者もおり、と言うか残されたのはそういう層です」


 上杉と北条は同盟を切ったり結んだりの関係であったが、謙信の小田原攻撃や北条氏政の弟である上杉景虎を斬って当主となった景勝に対しての心象もありあまり好感は持たれていない。だがどうしても一般兵には嫌悪感より、恐怖感の方が先に立つ。もちろんそうでない兵もたくさんいるが、今忍城に残されているのは端的に言って底辺層とでも言うべき兵たちだ。彼らを動かせるとしたら土地を守らねばならぬと言うそれだけだが、大半が同じ北条家の家臣とは言え余所者である以上その手の方向に進むのも期待できない。と言うか、上杉が小田原にまっすぐとなればこの土地の作物を荒らす事も考えにくい。

「上杉の事だから、金で穀物を買うとかするかもしれない」

「それ一番厄介じゃないですか!」

「だから売らんように言ってはあるが…効果は限定的だろうな」

「……」


 領民が良い統治者を求めるのは当然であり、北条への忠誠心があったとしてもそれを凌駕するほどの存在—————例えば金—————を出されてしまえばそっちに動いてもおかしくない。しかも金で動くと言う事は戦と違って人命が失われないのでそういう面でも悪くない。と言うかただ商人が金で物を買うと言う正当な取引を邪魔する理由は少ない。もっともそれをやらずに兵糧を買い占められ死に追い込まれたのが吉川経家だが、成田氏長らはそんな事など知らない。


 そうやって思い悩んでいる間にも、上杉軍は近づいて来る。狙いが小田原である事を祈ると言う消極的な事しかできない自分たちを情けなく思いながらも、氏長と甲斐姫は天守閣を出て南を向く。




「…なあ。石田三成とか言う輩が鎌倉の町を焼いたらしいがな」

「聞き及んでおります」

「そこまでされているのに闘志が湧かんわしは情けないと思うか?」

「不思議な事に私も湧きません」

「なぐさめでもないか。わしはどうも、北条家が言いふらしているような放火ではないと思っている」

「失火であると?」

「いや、何者かが火を点けたと。石田三成と言う秀吉の側近に罪をなすりつけ秀吉の名を落とすために」

「風魔ですか」


 そこで奥州統一連合と言う名前が出て来ないのが、この城の現実だった。

 奥州統一連合が武蔵や相模を狙って豊臣を貶めると言うのは考えられなくもないが、露見した場合の問題が大きすぎる。その時点で名前を外したのはともかく、北条や風魔を疑ってしまっている。成田氏長自身上杉から北条に付いた人物だから忠誠心は微妙なのは仕方がなかったが、それでもこんな意見を当主とその娘が持ってしまっているようでは士気もまた推して知るべしなのも事実だった。

「小田原では相当に激しい鍛錬が行われていると聞きます。それこそ迫りくる敵全てをなぎ倒さんとするような」

「それはどこでも同じだろう」

「ごまかさないで下さい!正直今の小田原は異常です!」

「聞いた話だけで判断するな!」 

「いいえ、確かに必要ではありますが!あれは独裁と言うより暴走です!」

 そして、甲斐姫の言葉を否定できないのも事実だった。


 それこそ毎日日が登ってから暮れるまで鍛錬を繰り返し、氏政以下武将たちまで刀を振り続ける。当然疲労困憊にはなるがその代わりのように大食を取らせ睡眠も取らせ、その上に温かい言葉までかける。各地の城では末端の兵士扱いだったのに氏政が時には添い寝までするほどに篤く扱われ、兵たちはどんどんやる気になって行く。武士らしく部下を大事にしていると言えば体裁はいいが、あまりにも両極端すぎる。


「私、ずっと思っていたのですが」

「何だ」

「北条のお殿様は、何か良からぬ物に取り付かれているのではないかと」

「あのな!」

「いえ、この数か月を見る限りとても否定できるような状態では……」

 めったな事を言うなとは言えない。元々北条氏政はきっちりやる事はやるがそれほど厳しい殿様ではなく、なんとなく忠実に仕えている分にはやりやすい殿様だった。だが今の氏政は、甲斐姫に話を伝えた人間の言葉を聞く限り勇ましいと言うより恐ろしい主君だった。いくら豊臣軍の数が莫大だとしても、あまりにも急な変質。恐怖心に負けたとか言うにはむしろ冷静にすら思える。来るな来るなと言うより、むしろいつでも来いと言わんばかり。


 虚勢には思えない。だがそれゆえに余計に恐ろしい。


 氏長は無言で座り、南を見る。甲斐姫に肩を揉ませながら、あの時の事を思い返す。



 古都・鎌倉から立ち上るっていた煙。


 鶴岡八幡宮を燃やし尽くした炎から出た煙は、なぜか不思議なほどに白かった。


 何の憂いもない、純白さ。

 

 あれを燃やして、誰が喜ぶのか。秀吉でさえも歓迎しないのに。

 秀吉の犬だとか言う評判すら聞いていたはずの石田三成がそんな事をするとは思えない。北条にとってさえ都合のいい情報に思えない。



「申し上げます」

「何だ」

「上杉から使者が参りまして、通過を認めるのであれば手を出さず、関白殿にあるがままをお伝えいたしますと」

「使者に会いに行く」


 氏長は腰を上げ、甲斐姫と共に使者に会う。当時の常識からして随分な行いだったが、甲斐姫もまた付き従う。



 その程度には、二人ともおかしくなっていたのだ。



 そのおかしい二人が上杉家からの通過を黙って見送るのならば粗略にはしないとか言う言葉を丸呑みし、実際に通過を認めたのである。

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