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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
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北条氏照の戦い

「殺してやるぅ!」


 我先にと飛び出す兵たちを、大将は必死に追いかけた。


「止まれ、止まれ!どう見てもただの挑発だ!馬鹿!」

「ここで黙っていては我々の沽券に関わるのです!」

「あれは明らかに苦し紛れだ!そんなのに付き合ってどうする!」

 

 大将の体は、既に血に染まっていた。

 傷を負ったわけではない。


(いったい誰があれを止められると言うのか……!)


 自分の名前を出してなお、引こうとしない。それこそ兄か甥でもなければ言う事を聞きそうにない存在を止めるには、自分は予想外に無力だった。


 いったい自分は何様なのか、その事を知らない訳でもないはずなのに。だからこそ、こんな重要な位置を任されているはずなのに。一応副将を送り援軍をかき集めるように頼んだが、間に合うかどうかわからない。

 と言うか大将のはずなのに、冷めていた自分が明らかに異端になっている。一番冷静でなければならないはずなのに。一番冷静でいたつもりなのに。


 

 あんなありきたりな挑発など、戦場に立つ前から聞き慣れているはず。と言うかどう考えてもその言葉が挑発に過ぎない事は明白であり、ただ堅く守っているだけで向こうには打つ手がないのは明白なはずだった。

 その事を伝えていたはずだったのに、まさかあの程度でこうなってしまうとは。


 北条氏照は、内心嘆くしかなかった。



(兵たちは明らかに、変わってしまった……)



 ここ数か月、兵たちは氏政に引っ張られていた。

 一に訓練二に訓練、三四がなくて五に訓練。無論休みは与えたがそれ以上に氏政自ら手本を示すように得物を振り、年を忘れたかのようにあちらこちらを動く。最初の頃は体を痛め横になる事も多かったが、年が明ける頃になるとすっかりそんな事もなくなった。

 そうやって厳しい上で、兵たち一人ひとりに温かい言葉をかける。これがどれほどまでに兵たちの忠誠心を高めたかは言うまでもない。しかも本人は粗衣粗食とついでに安い税を好み暇さえあれば書物を読んでいたものだからなおさら誰も突けなくなり、急激に独裁体制を築いて行った。


 それでもうまく回っていればいいが、この結果では困る。

 このまま猪突猛進して蘆名軍に絡めとられれば敗北は必至、北条軍の士気にかかわるし単純に戦力も減る。


 それなのに北条氏照が激しく怒鳴り付けた男は自分に向かって刀を抜くと、自分の親指に押し当てて振った。

 血が飛び、氏照の鎧を濡らす。

「あそこまでされて黙っていろと言うのですか!だったら今すぐこの刀で首を取って下さい!」

「そうだそうだ!」

「大将はそんなにも、そんなにも…!!」

 この場にいた三千全てとまでは行かないが、それでも千以上の声が氏照のバカヤローと言う声を押し潰していた。どこからどう見ても罠なのに、それこそが敵の思う壺だと言うのになぜ乗っかろうとするのか。


 実際問題、城壁を登ろうとしてきた敵に向かって糞尿をぶちまけるのはちっとも珍しくない。そう考えれば蘆名の連中が立ち小便して来たのはある意味どっちもどっちでしかなく、言うなればただ焦っているだけ。それこそ手駒を全部一気に使ってしまうような愚策だとさえ思えた。

 だがその愚策は、今ここでは良策になってしまっている。


(あまりにも、あまりにも強引すぎる……!)


 力だけで勝てるなら誰も苦労しない。それなのに氏政とそれに引きずられた兵たちは軍略すら練ろうとせずただ直接的な個々の戦闘力ばかりを重んじ、ただ単純に戦おうとしている。

 あまりにも大時代的だ。さらに言えば、正直野蛮だ。

 いくら敵があんな事をやったとは言え、こちらが暴れればどっちもどっちだとなりかねない。しかも鎌倉を焼いたのは豊臣であって、奥州統一連合ではない。玉縄の将兵の恨みとか言うなら、奥州統一連合の連中が将だけ斬って捕虜たちを返したと言う時点で片は付いている。お門違いとまでは行かないにせよ、過剰反応であり何より体力の限界を無視した暴走行為だ。

 初戦からあんなにいきり立っていては気力も体力も尽きてしまう。それが向こうの狙いだとすれば尚更まずいと言うのがなぜわからないのか。いっその事誰か一人でも斬り殺して制止すべきではないかと思った氏照が後悔する間もなく、ついに先鋒が敵にぶつかってしまった。


 言うまでもなく、鉛玉と矢が飛んで来る。正面に立っていた兵たちから次々に倒れ込み、そのまま死体に変わる。将棋倒しになり、突っ込んできた兵たちの戦闘力を奪う。

 どこからどう見ても、北条勢の惨敗だった。




 ——————————しかし。

 



「——————————押している!?」


 北条の兵の迫力は、凄まじかった。一発で百以上の犠牲が出たのにもかかわらず突っ込み続け、ここぞとばかりに控えていたつもりだった蘆名軍に衝突した。だが案の定背を向けた射撃部隊を追いかけ三方向から包囲され、袋叩きにされるはずだった。


 そのはずだったのに北条軍は蘆名軍を全て食い尽くさんばかりに暴れ回り、勝利を確信していたであろう蘆名軍を押している。蘆名軍の兵の中には逃げ腰になっている者もおり、こちらが優勢にすら見えた。


「見て下さい大将!我々の強さを!」

「弱気の虫を討てぇ!」

「北条家万歳!」


 弱腰な自分の背中を押さんとしている。

 本来ならば奮い立つべきはずなのに、ちっとも嬉しくならない。まるで大将のくせに弱虫であり、面倒を見てやらなければいけないだと驕り高ぶっているかのように思える。

 だいたい籠城と言うのは援軍の当てがあるからやる物であり、その当てのなかった氏康が小田原に籠城したのは謙信が強引にやって来て補給路が持たないのを確信していたからに過ぎない。今回の場合奥州統一連合はともかく秀吉は兵糧攻めの名手であり補給が持たないとは考えにくい。こっちはそれこそため込んだ兵糧を食い潰ししているだけとも言えるし、ましてや今は四月末。収穫までそれほど時間がないと言う事は、蓄えられている兵糧の数も知れていると言う事だ。当たり前だが、戦えば腹は減る。死んでしまえば胃袋も減るとか言う暴論がない訳ではないが、戦力も減る。

 それなのに。


「見て下さい!敵が崩れて行きます!」

「口だけ野郎めが!」

「兄に泣き付け弱虫小僧!」

「ハッハッハッハ!」


 

 と思う間もなく、蘆名軍が崩れた。兵たちはすっかりいい気になり自分たちだけで殲滅せんと言わんばかりに高揚している。

「もういい!」

 氏照は完全に不貞腐れて城内に戻ってしまうと、兵たちは真っ二つになった。肉体的にではない。



「ああもういいか、これで蘆名の連中も少しは懲りただろう…」

「やめだやめだ、大将様のお気持ちがあそこまで堅い以上俺らの役目はもうおしまいだ」

「今回は俺らの勝ちだからな」

 そう言って不承不承と言った調子で付き従った連中と、

「てめえらぁぁ!」

「もういい、全軍突撃と言う事だなぁ!わかった、やってるやろうじゃねえかぁ!」

 と言う風に、全然不利でも何でもないのに万歳突撃をした連中にだ。



 そして、その隙を逃さない男は、きちんといた。



「大浦軍これにあり!」


 大浦為信だ。


 脇に控えていた大浦軍が氏照の弱腰に腹を立てながら引き返そうとしていた軍に向けて横撃をかける。ここぞとばかりに鬼庭綱元も蘆名軍を動員して突っ込んできた連中を本格的に叩きに行く。蘆名軍に取って理想的な戦であり、氏照軍にとって最悪の展開だった。

 いや、最悪ではなかった。

「この野郎!」

「そうだ、もう一回戦わせろっ!」

 本来ならばもう少し引き付け、その上で包囲網を築いて出てきた連中を全滅させたかった。だが北条軍の予想外の奮闘と氏照が理性を失っていなかった事もあり為信をして包囲の時期がつかめず結果的に横撃になってしまい、有効打ではあっても決定打ではなくなってしまった。さらに残された北条軍が逃げ腰にならなかった事から鬼庭軍も食い尽くしきれず、進撃の速度が鈍ってしまった。

 その上に、だ。


「あ、門…!」


 兵たちの暴走に呆れた氏照が、何と門を閉じようとしているではないか。

 挑発に乗っかったお前らが悪いと言わんばかりの冷酷な態度であったが、これでは奥州統一連合は小田原城に突入する事など出来ない。

「いいかお前ら、死にたくなければ降伏しろ!奥州統一連合よ、降参した者の命だけは守れ!」

 丸投げに等しい言葉だが、悲しい事に正解に近かった。その正解を出されてしまった奥州統一連合にはこれ以上打つ手もなく、ただ漫然と残された兵たちを斬る事しかできなかった。事ここに至ってようやく冷静さを取り戻した兵たちは逃げ出したりしたが、門が閉じる前に全部の兵が逃げ切れた訳でもなく大浦軍や鬼庭軍の手にかかったり、閉め出しに合って万歳突撃したり降参したりする兵たちも出た。


 どう見ても、敗軍の姿であった。




 結果、この戦で北条氏照軍は四百の兵が討ち死にし六百の兵は捕虜にされる、つまり千の兵を失ったと言う惨敗を喫した。蘆名軍にも損害はあったが死傷者合わせても三百程度であり、死者と言う名の損失は百にも満たなかった。

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