表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
94/139

蘆名政道、戦いに挑む

 四月二十九日。


 ようやく完全に鎌倉の炎が鎮火したその日、三つ引両の旗を掲げた軍勢が動き出していた。


「よろしいのですか、こんな時に」

「なればこそだ。今の北条は時間が経てば経つだけ勢いが増す。確かに昨日の出来事は一大事ではあるが、こんな日には来ないだろうと思ってくれればそれで良し」

「どれほどまでの戦果を挙げられるかと」

「一人でも兵を斬ればいいのだ」

 謙遜を通り越したあまりにも情けない話。

 確かに小田原城の防備は鉄壁とか言う言葉以上に鉄壁であり、そこにたどり着く事さえも難しい。天守閣まで直線距離は一里半(約6キロ)もないが、その道のりを行くのに何時間かかるかわかりゃしない。

「されど、今ここで我々が人を減らす余裕はないかと」

「人を減らす?小十郎、素直に北条との因縁を作りたくないと言えばいいではないか。それにそれは言いたくないがバカと言う物だ、玉縄城を落とした時点で、いや佐竹を守った時点で因縁などあるに決まっているではないか」

「でも鎌倉…」

「鎌倉は自滅と言うか、無理心中と言う事になっている。戦での殺し合いよりもはるかに悪しき方法だ。豊臣家は正直、これ以上相模に根を下ろすのは難しい。わしの見立てでは上杉辺りだな」



 弟の背中を見送る伊達政宗は、実に冷静だった。

 

 石田三成があんな真似をした豊臣家を相模の住民は受け入れない。と言うか譜代の家臣の少ない秀吉には動かしやすい人物は少なく、ましてやただでさえ奥州統一連合を生かすにせよ殺すにせよ最前線となるような場所に置けるような人間となるとそれこそ限られる。福島正則や加藤清正のような存在を置ける余裕はない。黒田官兵衛とかなら務まるかもしれないが、それでも組下であった三成の暴走を止めきれなかった以上それもまた難しい。

「しかし前田はともかく、堀や蒲生、池田などは」

「確かに考えられる。だがそなたも北条の民に触れて来ただろう。彼らは誇り高い。支配者を選ぶ力がある。

 関白にはもう一つ、歴史もない。北条の不満の少ない支配が六十年以上染み付いて来た場所を一代の権力者で治めるのは難しかろう。はっきり言って織田の同僚は秀吉の同族でしかなく、石田三成が植え付けた印象を払拭するには足りないどころかむしろ逆効果だ」

「そんな物なのでしょうか」

「我々が織田勢を捉える見方と北条が織田勢を捉える見方は違うと思うか?わしは違うと思う。我々はほとんど何も知らないが、北条は松平らを通してではあるが知っていた。本能寺の辺の少し前までには上野にまで織田家臣が入っていたからな、だがそのすぐ後本能寺の変が起き織田勢は上野や甲斐から撤退した以上北条の民にとって織田勢は雑魚扱いなのだろう」

「それは…!」


 どうせならばより強い男に支配されたい。そんな武士の都を抱える御家の住民たちの期待に応えられるのは秀吉ではない。そう言い切る政宗の言葉には、何の迷いもなかった。




※※※※※※




「さて…石見守、大浦殿…」


 石見守こと鬼庭綱元と大浦為信を左右に従えていた蘆名政道率いる一万三千の兵は、小田原城の防塁に近づく。

 敵の数は見立てによれば三千。とは言え高い城壁に頑強な門。おそらくは銃弾やら矢やらが次々と飛んで来る事が容易に想定できる狭間。しかも堀も相当に広い。

 一応城門への橋だけはあるが、そこを通ればどうなるかは明白である。


「決してあわてる必要はございますまい。この戦において必要なのはとりあえず北条の兵たちの士気を見る事」

「捨て置けば高まると兄上は見ているが」

「それはそうでございましょう。しかしそれはそもそも豊臣家への敵愾心から来ている物。我々はその点では勝っております」

「しかし我々とて北条を倒そうとしている」

「それは先刻承知と言う物。お互い一線と言う物があります。それに……」


 その上で、大浦為信は何かを思いついたように笑う。

 政道はその笑顔に釣られるかのように耳を傾け、話を聞く。


「まさか……?」

「ひどく安易かもしれませんが、それでももし氏政がこちらの予想通りの状態であったとすれば有効です」

「確かにだとすれば、だがそれでもたかがその程度ならばどこでも……」

「やるに越した事はありますまい。それでこその先鋒隊です」

「わかった。とりあえず伝えよ、その上で報酬を増やせと」


 鬼庭綱元も乗ったと言わんばかりに手を叩き、為信に賛同する。その流れのまま、先鋒隊に向けて使者が放たれた。







「やーいやーいここまでおいで!」

「小田原城がなきゃ何にも出来ねえくせに!」

「奥州からここまでほとんど疲れずに来させるような連中しか北条にはいねえんだな!」


 極めてありきたりな挑発。

 そんなのが実際に有効のか否かはともかく、吠えるだけならばただに近い。デメリットは時間を無駄にする事ぐらいであり、それほど愚策でもない。


「叫ぶだけで城が落ちるなら刀も鎧も要らんわ!」

「悔しかったらここまで来い!」

「小田原城を見に来たんならとっとと帰れ!」

 当然の如く向こうも言い返して来る。


「お前が来いよ!北条家は腰抜けの集まりか!」

「ずーっと夢でも見てろ!自分のおうちの中で!」


「お前らこそ奥州に帰れ!」

「どれだけ広い土地持ってんのか知らねえけどこれ以上欲しがるんじゃねえこの贅沢野郎!」


 たちまちにして始まる罵詈雑言合戦。戦場ではそれほど珍しくもないが、あまり気持ちのいい物でもない。

 そしてさらに音量が高まり、声も大きくなって行く。


「奥州の名家がそんなんでいいのかよ!」

「そっちこそ早雲様を裏切るのか!北条の兵はそんなに弱いのか!」

「上杉謙信でさえも怯んだこの小田原城を知らねえのかバーカ!」

「バカと言う方がバカなのだ!」

「何だもうネタが尽きたのか!頭の中身詰まってるのか!」

「お前たちが情けなさ過ぎて他に言いようがないからだ!案山子と同じ価値しかない無駄飯喰らいに言われる筋合いはない!」

「案山子のがお前らより金がかからん分だけ有効だ!」

「お前らってのはいつから自分を呼ぶ言葉になった!」


 聞くに堪えないような罵詈雑言の嵐。草木さえも耳を抑えたくなるほどの汚らしい単語と口調の連続。武田信玄はともかく少なくとも上杉謙信は口にしなかったようなそれの連続だ。



 そして、そこにまた別の音が割り込む。


「悔しかったらここまでおいで、あー気持ちいい……」


 鎧を脱ぎ、肌着の前を開き、男性の証を取り出して敵の面前で液体を地に叩き付ける。

 平たく言えば立ち小便だ。

 ついでに言えば、刀も身に付けていない。

「奴ら見ろ、刀さえ持ってない俺らすら怖いらしいぜ!」

「アーッハッハッハッハッハ……!」

 陰茎をむき出しにしながらそんな事を言い合う姿と来たら、本当に見るに堪えない。




 そう、見るに堪えなかった。




「この野郎!」


 一人の血気にはやった兵が、弓の弦を引いてしまった。

 

「ちょっと待っ…!」


 大将の制止を聞く事なく兵は手を放し、矢を飛ばす。


 だが、全然距離が足りない。立ち小便でできた水たまりの手前、橋の少しだけ前に落ちた矢は、初夏の光を受けて空しく輝いていた。


「ギャハハハハ、奴ら弓矢の射程もわからなくなってるぜ!」

「あーあ、こっちがそんなに浮かれ上がってると思ってるのかね、ま浮かれてるのは事実だけどさ!」

「バーカバーカ!」


 もちろん、余計に蘆名勢は図に乗る。もう出す物がなくなった代わりにと言わんばかりに口から唾を吐き出し、さらに汚らしい水たまりを拡大させようとする。と言うかふんどしもまともに締めないものだから陰茎はむき出しのまま揺れ、余計に女子供に見せられない有様になる。


「もう許せません!」

「あの野郎どもを殺しましょう!」

「バカヤロー!」


 そのバカヤローと言う叫び声がどこに向いていたか、蘆名軍の誰もがわかっていた。

 そしてその上で、余裕をもって褌を締め直したり口笛を吹いたりしながら、来客をお待ちしていた。


「あーあ、ついに来ちまいましたか」

「じゃ今日はここまでって事で、さようなら~!」


 そのくせ来客の到来を知るや、こんな調子で半裸の男たちは背を向けて走り出した。


 言うまでもないが、蘆名軍にとって全く予想通りの展開である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ