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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
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秀吉、泣きながらも戦う

「……あの大たわけがぁっ!!」


 秀吉の鎌倉で起きた大火の話を聞きつけての第一声に、ひるまぬ者はいなかった。

 元々声が大きい上に少し高めの秀吉だっただけに、その声は本陣中に響き渡り耳目を一気に集めた。


「それで炎は!」

「高徳院には広がっておりませぬ、されどもはや鶴岡八幡宮は手の施しようがない有様であり……」

「見えとるわっ!」


 八つ当たりではあるが、秀吉本陣からも見える黒い煙が現状の深刻さを物語っている。

 出火から既に八時間は経っているはずなのに、今もまだ小火程度ではあるが絶えることなくくすぶっている。まるで、鶴岡八幡宮と言う存在の全てを燃やすかのように。

「左近を呼べ!左近を!」


 秀吉は他にする事があるかいとばかりに叫び、陪臣に過ぎない存在を呼び付ける。動かない足を引きずりながらやって来た黒田官兵衛さえも必死に言葉を探す中、秀吉はこれまでの温和な表情をかなぐり捨てるかのような顔になっていた。




「…………」

「人の事を言えた義理じゃねえが、なぜ止めなかったのじゃ!」


 左近に向かって、前置きした上で怒鳴り付ける。官兵衛や秀康を含む誰もが、秀吉自ら出て行った所で話を聞かない事を分かっていた。それこそ話を聞いてくれなければ死んでやると言わんばかりだった直江兼続でさえも、口説き落とせなかった。


「殴り倒してでも、引きずってでも……!」

「わかっとるわ!あの大たわけが!」

 左近も泣き、秀吉も泣く。黒田官兵衛はため息を吐き、秀康と秀家はただじっと立っている。福島正則は耐えられないと言いたげに東に視線をやり、北条軍が来るといけないからと言って天幕を出てしまった。


「佐吉……!なぜにお主が大事にされておるかわからんかったのか!官兵衛と共にこの場に立つ事により、その意味をわかってくれると思っておもったのに……!」


 布が何枚あっても足りぬと言わんばかりに地を濡らす秀吉の嘆き。そして踏み鳴らされる足と杖。三成の頭に叩きつけるように振られるそれらの全てを、しかし肝心の存在は受け取る事はない。


「何人の兵を殺したんじゃ!あやつは!」

「鎌倉から生還した兵は百足らず、うちこちらへと逃げ込んだのは六十…」

「つまりは三千七百か!無理心中にもほどがあるわ!

 左近……そなたらはわしが預かる。石田家に付いては残念ながら御家取り潰しとなるじゃろうな、それがけじめでもある」

「はい……」


 石田軍五千の内、秀吉本陣に残ったのは千人、途中逃げ出して秀吉軍および奥州統一連合へと走ったのが二百人、そして今回逃げ切ったのが百人。

 あまりにも少ない生存者であり、石田軍は事実上壊滅したも同然だった。たった一戦、いや一戦すらしない内に軍勢をここまで壊すなど、前代未聞の不祥事だ。当然とでも言うべき処置を施した秀吉の目から、まだ涙が溢れていた。


「いずれにせよ、だ……奥州統一連合に使者をやれ。どうか石田三成めの配下を粗略にしないでくれと……」

「はい……」

「官兵衛、そばにいてくれ。他の皆は下がってよいぞ」


 秀吉は泣くのをやめぬまま、官兵衛以外の者を天幕から下がらせた。養子たちですら立ち入れないほどの深い悲しみと情けなさと怒りに、皆背を向けるしかなかったのである。

 そしてそれからも、秀吉は泣いた。長政すらいない中、官兵衛に向かって泣いた。


 その涙が枯れるまで、官兵衛は秀吉に付き合い、ずっと隣で座り続けた。


 あまりにも、悲しい時間だった。







「…少しは気持ちも落ち着きましたか」

「ああ、少しはな。しかしな、これは非常にまずい事になった。これをきっかけにただでさえ北条家を慕っている北条の民は我らに懐かなくなるだろう。補給はかなり苦労する事になりそうだ。兵の一部を兵糧その他の防備に割かねばならなくなる」


 上杉謙信や武田信玄が大軍を擁しながら小田原を落とせなかったのは、ひとえにそれに尽きる。謙信がどんなに正義と大義を振りかざして北条を叩こうとした所で勝ちきれなかったのは、領民が徹底的にその進軍を妨害していたからである。ぶっちゃけた話質より量で上杉謙信とか言う神輿に乗っかって来た旧勢力の兵を北条の支配に懐いていた領民は歓迎せず、北条に支配される事を望んだ。今回も同じ事が起きても全くおかしくない。


「とにかくだ。鎌倉には当分立ち入れぬであろう。しばらくは小田原をゆっくりと包囲し、こつこつと叩いて行くよりあるまい」

「その旨を奥州統一連合にも」

「いや、それはいい。あちらはわしらと違ってそれほど罪は重くない。あるいは北条を倒したとしても、この関東を彼らにやる事になるじゃろうな」

「そんな!」

「しょうがあるまい。わしの息がかかった存在を送り込めばそれこそその者に最大限の迷惑をかける。それとも松平殿でも置くか」


 こんな事になった以上、今更北条を許すと言えばそれこそ北条のと言うか歴史的な名跡を荒らすだけ荒しただけと言う事になり完全な敗北である。

 伊豆を挟んで隣国である駿河を治める松平家康なら、相模を治めるには悪くはない。だが今あんな事をやった三成と同じ秀吉の配下と言う状態にあると言うのは心証の良い話ではないだろう。

 だが黒田官兵衛が驚いたように、奥州統一連合にこの相模を与えるのは味が悪い。と言うか伊達政宗を含む奥州の四人では単純に領国から遠すぎるし、佐竹や真田でもまだ遠い。海越しとは言え里見ならば距離はそれほどでもないが、鶴岡八幡宮をこの前に焼いたのが里見である以上これまた心証は良くない。


「山城殿に相談なさるべきでしょう」

「直江山城にか」

「ええ。上杉は元から関東管領の家、越後に執着する者もおりましょうが関東を治められるとなれば悪い話ではないでしょう」

「ああ。そこが妥協点となるか。ああ、上様はどう思われるか……」


 どうやら、関東に入る事は出来ない。それが天下統一なのか。仮に上杉領である越後と佐渡を得たとしても、関八州と陸奥・出羽は豊臣領とは言い切れない。せいぜい豊臣家に服属していると言うだけであり、下手すれば豊臣家野同盟勢力と言う扱いである。これで何が天下統一だと信長に言われてもしょうがない。

「お気になされますな。関白殿下は関白殿下です」

「とは言えな……」

「あるいはそれがいかんかった可能性もあるのですから」

「何じゃと」

「三成めはその関白殿下の不安を感じ、不安を自分の手で取り除こうとしたのかもしれませぬ」

「それが、か…」


 やはり、かの存在かと思った所にまた一人の男が入って来た。


「申し上げます。島津様が御用があると」

「通せ」



 通せと言う言葉と共にすぐやって来た男こそ、島津義弘だった。秀吉とほぼ同い年だが恰幅の良さでは大差があるその男は、ひざまずきながらも迫力で秀吉を圧倒していた。


「用件とは」

「石田殿は確かにとんでもない罪を犯しました。関白殿の処分もごもっともかと存じます」

「ありがたい」

「されど、島津としては複雑な気持ちもございます」

「はあ」

 その島津は関白相手とは言えずいぶんと他人行儀な口を利きながらも、三成をどこか擁護しているようだった。秀吉が気のない返事をすると、義弘は一歩体を近づける。


「島津は尚武の家風強き家。根拠なき推論を関白殿は嫌うやもしれませぬが、石田殿もまた、武を示さんと欲したのではないかと」

「その結果があれでは!」

「一応失火と言う事になってはおりますが、本当にそうなのでしょうか?大火により聞こえなかった可能性はありますが、どうも内部で刀剣がぶつかり合っていた気がするのです」

「うむ…では三成は誰と戦っていたと見る?」

「おそらくは、いや間違いなくかの霊武者…そして童神……黒田殿も戦っておったと言う」

「やはり、か……」


 霊武者。

 最初は上田に現れ、後に九州に、駿河に、甲斐に現れた存在。

 彼が誰を狙っていたか、その事は既に島津義弘も知っている。


「その法則で行けば、関白殿には関係なき事はわかるはず……されど、今こそ関白殿は天下を治めようとしている、少しでも天下を揺るがす物があればと」

「しかし、ならなぜかの霊武者は三成を襲った?三成には関係ないはずじゃが」

「それは恐れながら愚問であると。かの地は霊武者に取りもっとも忌むべき地。石田殿とか関係なく元よりその地を焼く事が目的だとすればつじつまは合いなさる」

「わしもそれは思っておった、一応大坂を出る際に言い聞かせたつもりじゃった、けれどそれでもなおあやつは……」

「嘆いても始まりますまい。とにかく霊武者はこれで一つの目的を達成したと考えるべきです。次に彼らがどう動いて来るか考えねばなりますまい」

「彼ら、か……」


 鎌倉と言う地そのものに、怨恨を抱いていてもおかしくない存在。

 まるでその存在に吸い込まれるように、ここまで来てしまった。

 霊武者と童神、いや、自分たちも、おそらくは奥州統一連合も。


「まあ私憤もない訳ではございませんがな。いずれにせよ、島津の武をご覧下され」

「頼むぞ」


 島津の武は、既に秀吉でなくても知っている。四百年の歴史を重ねたその家に弱い時代があったのならば知りたいとさえ、黒田官兵衛でさえも思っていた。

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