亡霊たちの到来
四月二十七日、亥の刻(午後十時ごろ)。
鎌倉もまた、闇に包まれようとしていた。二十七日と言う事もあり月明かりはないが、それでも初夏と言う事もあり日が暮れるのは遅く夜でも過ごしやすい空気だった。
「今日もまた何も来ずか」
「はい」
「左近は」
「どうしてもと言うなら自分が残りますと」
三成は、幾度目かのため息を吐く。
「なぜだ、なぜなのだ……関白殿下も黒田殿も左近も……そして伊達さえも……」
「この戦が終わったと我々はどうなるのでしょうか」
「私が全部悪かった事にする。何なら腹を切らされてさらし首になっても一向に構わぬ。だがそれでもそなたらは守る。もしそなたらを関白殿下を罰せんとするのならば何でもする」
三成の言葉に噓偽りは何一つない。決して取り繕いも何もなく、心底から兵たちを大事にしている。実際「伊達政宗」からの諫言の後にも、集められる兵を集めて同じ事を言っている。だがそれでもつかめない人間の心はつかめないし、つかめる人間の心はつかめる。
「霊武者に、童神。なぜ彼らは今になって出て来て、こんなにも我々の心を乱し命を奪わんとするのか……」
「まだやる事があるんでしょう」
「その行いにどれほどの意味があるのか、刀剣を用いむやみやたらに人を斬る事しか方法がないと言うのならばそれはあまりにも残酷であり、あまりにも野蛮ではないか。無論我々は戦のためにここに来ている以上刀剣を振るうのは必要である。されどそれにも作法と言う物がある、それを忘れた戦いには何の意味もない。ただ血と亡骸と無駄な因縁が残るのみ」
「悲しいお話ですがね」
言葉で語る事が出来ないから、刀剣を持って語るしかない。不器用とか言う以上に乱暴で粗暴で野蛮で迷惑だ。
「我々はそんな存在をも躾けなければならない。それこそかつての為政者がやって来たみたいに」
「それで駄目ならば……」
「ああ。悲しい事だがな」
永禄三年、桶狭間の戦いの年に生まれた石田三成。
そこから織田信長の波動と羽柴秀吉の出世街道が始まり、二十九年の時を経ていよいよ乱世が終わろうとしている。
「しかし気になるのです。奥州統一連合に乱世を終わらせる気があるのか」
「あると信じたい。だがその上でもし合点が行かぬと言うのであれば、こちらは必死に戦うまでだ。この地に奉られし、平和を願った存在のようにな……」
源頼朝。自分でさえも名前を知っている、偉大なる英雄。
かの存在とて武士の天下を確立するためにいろいろとやって来た。その際には一杯手を汚し、後ろ指を差されもしただろう。だがそれは覚悟ありきの事。必要であった事。しかし自らの名を汚してまでする事であったのだろうか。
(悪霊よ、そっちがその気ならばこっちだって悪霊になってやる。この私をあの世へと引きずり込むのならそれでよし、されど貴様らを道連れにしてやるまで……)
後世に腰巾着だ、佞臣だと言われようが知った事か。誰かが代わりにやらねばならない。そのためには泥水を全部啜り切ってやる。いっその事最後には謀叛でも起こしてやれば主君はきれいなままでいられるだろう。
「夜襲だ!」
その決意に割り込むかのように響く、夜襲の声。
眠っていなかった事もあり夜具を着ていなかった三成は目を輝かせ、すぐさま腰に刀を差し本堂と言う名の本陣を飛び出す。
「とにかく火を点けろ!光こそ彼らにとって最大の敵である!」
宵闇に紛れて人の命を奪う。決して音を立てず殺す時でさえも最小限の音しか出さないようにそういう得物を使う。もちろん声など出さない。
それが九州で黒田軍が出くわした「夜襲」であり、ほぼ間違いなく「霊武者」だった。
その時も黒田官兵衛は必死に灯を絶やさず、闇と言う最大の武器を奪って徹底的に抗った。その結果犠牲者を出さずに戦い抜き、九州に領国をもらってからも霊武者が襲って来る事はなかった。
なれば、ここでも同じことをするまで。
「北の五路は!」
「未だ連絡なし」
「よし!とにかく明るさを得ろ!この短夜こそ我々の味方である!」
石田三成の声が明るく轟く。全ての不安を照らすかのように、兵たちの心をつかんでいた。
そして。
「来た!」
ついに、刃が迫って来た。
見た所数打ではあるが、それでも振りは鋭い。三成もまた刀を抜くがその前に兵により受け止められ、高く跳ね上げられる。
その姿は、まさしく「霊武者」だった。
古めかしい羽織袴を身にまとい、それなりに美形な顔をした、背の高い好青年。
「これ以上世を動乱に導くような真似は許さぬ!」
三成は、跳ね上げられた刀に追い打ちをかける。
直に攻撃しても刃が当たらない事を知っているからこそ、敵の持つ唯一の殺傷兵器の無力化を狙う。
その動きには一片の無駄もなく、一片の不確実性もない。武道に長けていた訳ではないのにここまで出来たのは三成が天才だからではなく、あらかじめ学習していた通りであったからに過ぎない。良くも悪くも想定通りの攻撃であった。
その反動により刀は高く舞い上がり、霊武者も追いかけるように高く飛び上がる。
それでも三成は冷静であり、決して追いかけようとしない。
「霊武者に告ぐ!我々が求めるは世の安定のみ!それを乱さぬのであれば我々はそなたを害する気はない!」
「……」
「なぜだ、なぜここに来た!それがしの名は石田治部少輔三成!貴公の名を伺いたい!」
その上で声を張り上げ、対話を求める。
話せばわかるとか甘い事を言う気もないが、戦の時代が間もなく終わる以上次に必要なのはこういう姿勢のはずだ、その事をまず自分が示さなくてどうするのだ。
だが相手からの返事はない。それどころか刀剣の鳴る音すらしない。
「逃げたのでしょうか」
「わからぬ。だが決して灯を絶やすな、そして今夜は夜通しかけて見張れ」
自分の言葉に納得したのか論破されたのかはわからないが、このままいなくなってくれればそれでいい。少なくともそれは敗北ではない。
「しかしどこから来たのでしょうか」
「それはまた明日考えればいい。問題はとりあえず今だ。この鶴岡八幡宮に傷をつける事が目的だと言うのならばそんな相手に容赦する必要はない。この私の首が欲しいならば来ればいい」
「戦の結果」、破壊されたり損傷したりするのはしょうがない。だが破壊のための破壊に一体何の意味があるのか。自分たちとてあくまでもここにいる事が重要なのであり、決してここを破壊する事が目的ではない。もしこの鎌倉に攻め込んで鶴岡八幡宮を焼こう物なら、圧倒的に不利になるのは北条である。
実はこの鶴岡八幡宮は五十年前に再建された存在であるが、それを一からやったのが北条氏の二代目である北条氏綱だった。北条氏にとっては源氏の守り神であると共に北条の威を示す存在の一つであり、そこに侵入を許しているだけでも問題のはずだった。なぜその前に焼いた里見やその里見を抱えている伊達政宗ら奥州統一連合はともかく豊臣まで入ろうとしないのか、それが実に不可解で仕方がなかった。
だがなればこそ環境の保全、寺社の保護には何より気を配って来た。枝一本折らぬようにし、兵の数も最小限まで絞った。決して粗略にせず、この地の統治者が変わろうがこの地を粗略にしないように誓った。
「あ!」
「どうした!」
「まさかとは思いますが、霊武者の狙いは!」
「まさか!」
—————だが!
もし霊武者がやったとすれば、それを証明するのは難しい。
責任は自分に、いや豊臣家にかぶせられる!
「おのれ!乱暴かと思ったが狡猾だったようだな!全軍!敵の狙いはこの鶴岡八幡宮の社である!乱暴狼藉者を一歩たりとも近づけるな!」
まさかこれがわかっていたから秀吉は控えよと言ったのか。まさかそこまでかの霊武者が狡猾で悪辣な男だとわかっていたら!
「ぐううう……!一歩たりとも、一歩たりとも!」
「殿!」
「私は白旗神社を守る!武士の棟梁を汚されてたまるか!」
三成は社殿を家臣に任せ、白旗神社を守りに向かった。
武家の棟梁である、源頼朝を崇め、その木像が眠る社。そこだけは、武家として守らねばならない。
その思いを込め、三成は走る。
武士として、いや人間として、大事な物を守るために。
—————しかし。
「何だ!」
その三成に迫る、数本の刃。
まるで道を阻むかのように飛び交う刃を前に、三成たちの足は止まってしまう。まるでこっちへ来るなと言わんばかりの刃たちの蛮行に、三成の頭は沸騰した。
「ふざけるなぁ!」
激しく叩きつけ追い払おうとするが、ちっとも止まらない。数もさる事ながら先ほどより一本一本が重たく、その力と意志の強さが籠っている。
「私は武家だ!武士として!かの社だけでも守らねばならぬぅ!」
三成はさらに振るが、状況は変わらない。
決してこちらから斬り付ける事はせず、あくまでも時間稼ぎ。下がってくれれば何もしないと言わんばかりに刀は舞い、三成の足を阻む。
そして—————。
「大変です!火が社に燃え移ってしまいました!」
「逃げ出したのか!」
「いえ、刀背で灯台が倒されたと!」
「ああ…!」
刀の刀背で灯台の背が叩かれ、そのまま横倒しになった火が乾燥していた社に燃え移ったのだ。あわてて兵たちが飛び込んで消そうとするが、そんな事は許さないと言わんばかりに刀たちは兵たちを突き刺す。
まるで、なぜこの社を守ろうとするのだと言わんばかりに——————————。