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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第七章 鎌倉の悪夢
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石田三成の嘆息

「相当にお疲れのようだな、茶を」

「要りませぬ……」


 ずいぶんと疲れた顔をした直江兼続に対し、石田三成は楽しそうだった。

 しかもゆるんでいる訳ではなく、実に引き締まっている。


「直江殿は随分と不安なようだ」

「しかし…」

「それがしは一向に気にしておりませぬし、関白殿下も気にするようなお方ではあるまい。上杉殿の誠意を理解しておられる」

「誠意とは!」

「上杉殿からしてみれば信念と言う物があるのだろう。そしてその信念を曲げるような行いをしない事もよくわかっているつもりだ。貴公から聞いた謙信公の話は実に有意義でありました」

「はあ……」


 兼続は頭も気も重かった。

 むしろなぜそんな真似をしたとか問い詰めてくれた方が気が楽だった。

 ちっとも気のない返事をする兼続にも構う事なく、三成は喋る。茶など要らぬと言っていた言葉を顧みることなく、強引に座らせようとする。実に誠実で、実にまともなおもてなしだった。

「それで、上杉殿からは」

「まだ何もございませぬ」

「便りの無いのは良い便りと申します。上杉殿も直江殿ならばよくやってくれるであろうと確信しておいでなのです。さあそんなにかしこまらずに」

「……」

 やむなく着座した兼続であったが、腰が完全に浮いている。本来ならすぐさま逃げ出したい。やるべき事をやって、秀吉にでも景勝にでも会いに行きたい。


 だがその事を目で訴えると、三成が寂しそうにこちらを見て来る。

 いつの間にか主君に似てしまったと言うか似せに来たと言うか、人をひきつけてやまない瞳。

 思えばこれに島左近以下多くの兵たちが引き付けられて来たのだと思えば納得するしかないほどの瞳。


「用件を申し上げます。すぐさまこの陣を引き払えと関白様が……」


 だから逃げるように必要な事だけを言って帰ろうとしたが、三成はその言葉を聞くと共に服を脱ぎ出した。

「え……………」

 そして事前に聞いていたにもかかわらず、一文字しか言えない間に三成は白装束と言うかほとんど下着の姿になっていた。


「ちょっと!」

「……なぜ、皆恐れるのです?もはやこの世のそれではない存在を。私も幾たびも幾たびも関白殿下や皆々様に申し上げたと言うのに……」


 そして、泣いていた。普段の冷静沈着な能吏の姿はどこにもなく、ただ三十路の純粋な男だけがそこにいた。


「しかし」

「もう既に分かっております!かの霊武者とか言う存在の狙いも。ただ殺戮を行うだけではなく、あくまでも敵を選んでいるに過ぎぬと」

「その敵が自分でないとなぜ言えるのです!」

「これまでの全てを調べました。もちろん関白殿下にも奏上いたしました。その上での結論です!」


 決して馬鹿ではない。怠慢でもない。自分なりに理解しがたい現実に向き合い、答えを出そうとしている。全く未知の存在を前に、必死に戦いを挑んでいた。

「黒田殿もか」

「ええ。黒田殿に、松平家の榊原殿、木曾義昌に奥州の畠山、佐竹、そして南部。それこそが答えと言う物であり、その事を皆々様にお伝えせねばならぬのです!」

「なればこそ!」

「無論そうしたつもりですが、なぜ関白殿下はお分かりにならぬのでしょうか。それがしはただの石田三成であると!」


 ただの石田三成。


 本人からしてみれば殺し文句のはずだったのにちっとも心を打たなかったと言う無念の涙。 



「霊武者と童神の関係について確信はあるのですか」

「十中八九、いや千中九九八か九九九の確証はあるのですが…千の確証がないからこそ関白殿下は聞き入れてくれぬのでしょうか……!」

「関白殿下は仰せです、貴公を失うのはあまりにも惜しいと!それこそ首根っこを引きずってでも連れて帰ってくれと!」

「一枝も 燃えて宵闇 昼となし 枯れ尾花たち 照らして笑う」

「世の猫が 虎と思えど 虎もまた 猫と思うに 万違わず」

「天がみな 正しく終えよと 決めるなら 乱世と共に 首決めるまで」


 その上で放たれた、あまりにも力強い三十一文字。

 直江兼続も必死に返歌をするが、三成もちっとも退かない。秀吉が直に来たとしても退かない、と言うかこの場で首を打ってくれとか言い出しそうな三番目の歌を前に、兼続は力尽きたようにへたり込んだ。




「……………………」

「関白殿下をご信じなされよ!」

「……わかり申した……されど……」

「陣に対して不安があるならばどうかご覧くだされ!」

「はい…と言うかその前に服を着て下さい……申し訳ございませんでした、疑ってしまって……」


 兼続は、心が折れてしまった。

 それこそ主の失地回復、いや秀吉へのけじめのためにも絶対に成功させねばと思って請け負ったと言うか強引に強いて求めた役目だったのにこの有様であり、本当なら三成より先に腹を切りたいぐらいだった。




「ご覧くだされ」


 再び装束を身にまとった三成は、意気揚々と直江兼続を先導する。

「五つの関を作り、侵攻路を二つに限定しております。既に兵たちを見張りに置き、北条軍の侵入あればすぐに伝わります」

「残る二路は由比ヶ浜ですが」

「ええ、いざとなれば関白殿下か奥州統一連合へと拝謁しその罪を受け首級を授ける所存です」

 鎌倉には七つの道があるが、その内五か所を柵で塞ぎ南側の二か所だけを開けていた。何かあればそちらからすぐ逃げますと言う事だ。

 文字通り、完璧な陣だった。

「しかしそれにしても」

「古今東西、このような場所を陣とする事は珍しくありません。彼らには深く頭を下げ、許しを得ました。誠でございます」

「……」


 そして本陣を構えていたのは、鶴岡八幡宮。五〇〇年以上前に建立された由緒とか言う言葉で片付けられないほどの伝統を持った社。

 五十年前に里見義豊により焼失していたのが再興されたその社たちの一つである白旗神社には、一基の木像があった。




 ご神体でも言うべき存在である、源頼朝の木像。




「あるいは奥州統一連合はこれにより遠慮をしたのかもしれぬ。総見院様の見識は正しいはずなのに」

「総見院と言うと信長公」

「ああ、先祖が罪を犯したとか言って動かさずに物乞いをさせていたと聞いて赫怒したと言う話を関白殿下からうかがった時には実に納得した。今の里見に何の罪があるのか」

「……」

「しかし、頼朝公は偉大である。武士として初めて天下を取った。頼朝公、足利尊氏公…それらに次ぐ存在に関白殿下はなれるのか、いやならせる。この身命を賭して天下人にさせる」


 石田三成は自信満々だった。

 鼻息は荒く、背筋は伸び、秀吉の敵であれば一人残らず斬り倒しそうなほどに燃えている。


「……関白殿下も、幼き頃は貧窮の中で……」

「私は長じてからしか見ておらぬので大政所様や北政所様からうかがったのみでしたが、それこそ実に大変であったと」

「源平藤橘はみな皇族の一族……」

「関白殿下とてそれは同じ……」


 秀吉のそれが後先である事はわかっている。

 だがそれだけに、秀吉の存在は余計に大きくなる。

(頼朝公よりもさらに持ち物の少ない状態でここまで持って来た……それが関白殿下……)

 源氏の名家の出身で京の貴族、関東に地盤を持っていた源頼家の末裔と言う二枚の大きな土壌を持っていた頼朝。今この国で源平藤橘でない名家は惟宗氏の末裔である島津と、菅原道真の末裔を称する前田利家ぐらい。織田家臣を始め豪族国人のような人間が沸き上がって来た所で、結局はそうやって落着する。



 だが—————。



「しかし気になるのです」

「何です」

「確かに鎌倉幕府は一四〇年続きました。しかしその内一一〇年は北条氏の天下であり、頼朝公とその一族の天下は三十幾年ほどしか続きませんでした。いや、三十年どころか二十年もなかったかもしれませぬ」

「あるいは結局、武家に天下を治める事はかなわぬと…」

「それは!」

「いえ、先人たちは二度失敗しました。我々は三度目の失敗を繰り返さぬようにせねばならぬのでしょう」



 どうしても頭を掠める、源頼朝のその後。



 落馬負傷に伴う死からわずか二十年後、源実朝の死に伴い源氏は断絶、その後は皇族から将軍と言う名のお飾りを置いて執権が支配する時代が到来。

 誰もが源氏ではなく北条氏が最大の権力者だと思う時代が到来した。


 また室町幕府とて当初から六十年近く南北朝と言う名の戦乱の時代が起き、それが鎮まってたった五十年後に六代目将軍足利義教が暗殺され、と言うか南北朝時代が終わってから五十年の間に鎌倉幕府の時並かそれ以上に乱が起こりまくった。

 そしてそのまま応仁の乱は発生し、足利氏はすっかり権力を失ってしまった。


「そのためにここに……」

「ええ。我々は過去を越えねばならぬのです。もしこの身が地獄の業火で焼かれようとも。戦乱に飽き果てた人間たちを、どうにかして鎮めねばなりませぬ。そのために、まず霊と戦うのです」

「ですが!」

「例え関白殿下の命があろうとも、いや自ら来られようとも動きはしませぬ。もし時があるとすれば、それは北条がこの地を犯さんとした時のみ。いや元々が北条の地かもしれませぬが、それでも北条が豊臣家に服し戦をやめると言うのであれば退きます!それ以外はありえませぬ」




 今の三成の目に入っているのは、かの「霊武者」と「童神」。



 その二つだけ。


 過去の遺産の分際で暴れ回り、自分の大事な主人とその主人が築かんとしている天下を乱さんと欲する不埒者を討伐する事。


 下手に口を出せばそれこそ彼らの味方ではないかと思われるかもしれない。



「……殿……」

「関白殿下にお伝えください、もし直江殿に何かするのであれば、殿下の事を二度と主君とは呼ばぬと」


 兼続は、もはや何を言っても無駄だと悟りながら鎌倉を出た。

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