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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第七章 鎌倉の悪夢
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石田三成、能吏になる

「納得がいきませぬ」

「どの程度だ」

「九割九分九厘です」


 石田三成はまったく表情を崩さぬまま、本陣に戻ろうとしていた。馬上で輿に担がれた官兵衛の隣で仏頂面を抱え、官兵衛に向かって愚痴をこぼしている。

「父上、その様子だと治部は奥州統一連合に豊臣家への服属を誓わせる、と言うかその事を言い出す事さえも出来なかったようですな」

「ああ。じゃが感触としては良好じゃ。奥州統一連合に叛意なしが見えたからのう」

「そんな安易な!」

「蘆名政道、最上義光、大浦為信、そして伊達政宗。この中で一番立場も野心も強いのは伊達政宗である。蘆名は良い意味で伊達の腰巾着であり、大浦は自分の策が当たる事を楽しむだけのいたずら屋。最上は野心はあるかもしれんが力が伴っておらん。で、佐竹や里見に何を期待する?奥州統一連合を動かしておるのは伊達政宗であり、その政宗があの態度ならば奥州統一連合とやらに豊臣を倒そうと言う野心などないわ」


 官兵衛は、奥州統一連合とやらの程度を見切った気になっていた。

 あくまでも秀吉に逆らう気はない。ただし、自分たちの権利を保障するならと言う極めて単純な真理一つだけで動いている集団。

 陸奥と出羽を戸沢家を含む自分たち五家で治め、さらに自分たちに味方した佐竹や里見、真田と言った人間たちをも決して粗略に扱わぬ事。それ以上の要求はおそらくない。下総と下野については多少あるかもしれないが、下野はまだともかく下総ぐらいならばくれてやってもいい。秀吉ならばそうする。もちろんこの戦いに参加した諸将への報酬があるからあまり甘くする事は出来ないが、それでも北条を倒した暁には武蔵・相模・伊豆及び上野を与える事にすればいい。もちろん奥州統一連合がいつ何をやるか分からないからかなり太らせる必要はあるが、それでも下手に動けば次は自分たちの領国がそうなるのだと見せれば抑止力にはなる。


「この小田原での戦が終われば、もう戦はないかもしれぬ。しかしまだ戦をしたがる人間はいる。領国が欲しい人間は山とおるからのう」

「それは…」

「天下統一と言うのは、もう戦が起こらんと言う事でもある。それは領国が固まってしまうと言う意味でもある。もう領国を広げ豊かになる道はないと言う事なのじゃよ」

「…………なるほど。さすが父上です」


 長政は素直に感心するしかなかった。これ以上戦をして得になるのは、奥州統一連合ではなく豊臣家である。

「要するに、これ以上奥州統一連合をおちょくればそれこそ余計に戦乱は長引くと」

「ああ。所詮我々は同じ穴の狢なのだ。それと関白殿下はこの戦を最後にする気でいる。その事をゆめゆめ忘れるなよ」

「はい」


 奥州統一連合とか言う唐突な存在を田舎者の集合体に過ぎないと一部で馬鹿にする動きがある事は官兵衛も知っていた。だが向こうが田舎者ならこっちだって尾張の農民と田舎侍の集まりに過ぎない。どんなに威張り散らそうが虚無であり、本物がわかっている存在には見抜かれて侮られるのだ。







「鎌倉に陣を張ると言うのか?」


 だがそんな調子で本陣へと戻って来た官兵衛たちを出迎えた後藤又兵衛と九州の諸将たちの前で、三成はいきなりそんな事を言い出した。


「確かに鎌倉は北条と言う名前からしても重いはずの地ですが」

「そうです。そこに陣を構えれば北条の威は落ち、信用も低落するでしょう」

「誰にやれと」

「もちろん私がやります」


 自信満々の三成の頭に官兵衛は扇子を打ち下ろすが、三成は何の反応もしない。もう一発力を込めてやってやろうとしたが、手を止めた。


「あまりにも虫が良すぎるのではないか」

「何がですか?」

「知らぬ訳でもあるまい、鎌倉という場所を。はっきり言って、防備には向かん場所だ」



 鎌倉と言うのは三方を山にもう一方を海に囲まれた場所である、と書くと守りやすそうだが、もしそうであればいかに人心が離間し北条氏が弛緩していたとしても鎌倉幕府はもう少し持ったはずだ。

 と言うかその先の南北朝時代の動乱でも鎌倉は二度攻められ、二度とも落とされた。鎌倉幕府末期とか言う時代ならまだしも南北朝時代とか言う乱世でさえもその有様だったのだから、もはや評価は定まっているも同然だった。


「先刻承知でございます」

「ずいぶんと簡単に言ってくれるな」

「関白殿下がそうしたように、いざとなればそれがしは逃げます。関白殿下の下でも、奥州統一連合の下にでも。むしろこれにより北条が油断してくれれば万々歳と言う物。なめてくれればくれるだけ後続の方々にも利益となりましょう」

「逃げるだと」

「ええ。それがしが汚名を負おうとも、戦に勝って乱世を終わらせればそれで構わぬのです」


 しかしそれでも、鎌倉と言う名の重みは軽くならない。三成が言った通り鎌倉と言う「北条」の治めた都である地を占領され続けるのは心証が悪いし、むきになって奪回しに来られるのならばむしろ敵の狙いも絞りやすくなる。

 そして三成は秀吉を崇敬しており、その秀吉は逃げる事に躊躇がない。さらに武名にも全く関心もなく、自分の汚名すら気にしない。



「すまんが治部殿、それはええかっこしいと言う物ではないか」

「鍋島殿、やはりそう思われるか」

「おうやはりそう思うか、お二人も」

「はぁ………………」


 しかしその三成の言葉に対し、九州の三人の答えは一致していた。

 臆病とかではなく、ええかっこしい。

 その指摘に対し、三成は深々とため息を吐いた。


「奥州統一連合がここまで最短距離で来たにも関わらず鎌倉に執着しないと言う事は鎌倉がそういう場所だと知っての事。陣を構えておいていざとなれば逃げると言うのは奥州統一連合にだってできる。それをしないと言う事自体、鎌倉にはそれほどの値打ちがないと言う事なのではないか」

「鎌倉を抑える事に対する政治的な意味合いはわかる。されどそれをできるはずの奥州統一連合がこちらに譲ると言うのは豊臣家への叛意なしを示すと共に自分たちの身の安全を考えてではないのか」

「ではやはり」

「まったく、そなたは市松や虎之助と同じ穴の狢であるな」

「ぐふっ!」 


 島津義弘と鍋島直茂と言う五十路越えの年長者の具体的な指摘にも不満そうな三成に対し官兵衛が放った言葉に、思わず立花宗茂が吹き出してしまった。

「ああなるほど、なるほど……!」

「それならば仕方がないかもしれぬ…」

「ではどうせよと言うのです」

 追従するように義弘と直茂も笑顔になり、三成を保護者のような顔で見ていた。三成は投げやりに言葉を吐き出すが、三人の保護者達はちっとも顔を変えようとしないままだった。



「わかったわかった、どうしてもと言うならば数人ほど置いておけ。その上でじっくりとその状況を確認し、二十割安心だと言う証拠が出来たら移れ。そして自分で言ったように、少しでも危険だと感じたらすぐ退け。言っておくが兵あっての将だからな、決して兵を粗略にするなよ」

「わかり申した」


 

 官兵衛が折衷案とでも言うべき答えを出すとようやく三成は納得したようであったが、それでもその目は不服そうであった。

 まるで自分が考えた絶対的な案が通らなくて膨れている子供のようだと三人ともほほえましく見てはいたが、もう三十歳になる数千の兵を預かる将の態度ではない。

「もし勝手な事をすればそれは関白殿下の名に傷をつける事にもなる。そなたにはこの後も生きてすべき役目があるのじゃぞ」

「はい……」

 官兵衛にそう言われてようやく見た目にはおとなしくなったものの、それでも依然としてやる気である事に変わりはなさそうな目。

 関白殿下とか言う切り札なしでは、誰も止める事が出来そうにないほどの暴走車。



「大将殿…」

「何、あれは決しては乱れはせん。ただその分、自分がやるべき分の仕事には忙しくなる。たまった鬱屈を仕事で晴らす、それが出来てしまう男だ」

「何と言う能吏……」



 三成を能吏と呼んだ宗茂であったが、その言葉には寂しさが込められていた。


 立花宗茂は二十三歳。三成より七つ下ではあるが奥州統一連合の総大将である伊達政宗や、豊臣家の直臣となった真田信繫とは同い年である。その信繁と三成は親しかったはずだから期待していたのだが、九州からやって来てここまで一緒に来た三成は実に能吏だった。


 米一粒単位まで兵糧の数を覚え、自分たちの慰労のための品々も怠らないし予定もきっちり組んでいる。道中は実に楽であり、九州から大坂、小田原とか言う大移動のくせにまるで豊後国内を行き来しているようであったとさえ兵たちは言っていた。

 

 だがそれがもし、豊臣家に向かっての純粋と言うか強引な正義の結果だとしたら。

 間違いはないはずなのに、安心できない。

「水清ければ魚棲まず……」

 鍋島直茂もまた、ここから数日の事を思うに付け苦笑を浮かべながらそうつぶやく事しかできなかった。

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