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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第一章 上田城の戦い
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真田昌幸は冷静沈着にして

「敵本陣が乱れている?」

「はい。叔父上の突入が大成功したのかと」

「落ち着け」


 上田城に敵本陣混乱中の報が入ったのは、謎の武者が突入してから半刻(一時間)後だった。当時としては相当に速い情報の伝達速度であり、真田忍びらによる情報網の賜物である。

 当然この情報は上田城内に喧伝され、徳川軍の動揺と真田軍の士気高揚に使われる。上田の領民は腹に力を入れ、徳川軍は気もそぞろになる。



 —————矢沢軍の横撃が成功したと言う、それを聞かされて。



「どんな情報が入っているのかなど、どうして騒いでいるかなどわしはわかっておる。だがそれを言いふらすのはまだ早い」

「敵か味方かわからないからですか」

「それもある。だがそれ以上に、そんな言葉をお前は信じられるか?」

「信じられませぬ」

「だろう。一応味方の側であるはずの我々から見ても信じがたい話だ」


 突拍子もなければないほど、話の破壊力は落ちる。

 しかもそれが自分たちにとって都合が良ければ良いほど、だ。


 信州は尾張や駿河ではない。

 それこそ米も取れず小さな土地の中で必死に田んぼを耕してようやく飯が食える場所であり、住民たちにとって飢えは日常である。無論ほかの作物も必死になって育ててはいるが、それでも米と言う存在に抗い切れるほどの力を持ってはいない。

 そんな所で生まれ育った人間がどんな風に動くなど、昌幸は身に染みてわかっている。


 喜びに飛びつかず、悲しみは素直に受け止める。さらにそこに武田信玄と言う六分の勝ちは最上と言う人間とその弟子である真田昌幸がのしかかって来たから、ますますその見方は強まる。



「そんな事を言い出すのは徳川の方がいい。徳川が変な物を見たと言い出した方がこちらも面白いのだ」



 こちらがでたらめを言って相手に笑われ、相手がそれがでたらめでないと気付くと言うパターン。


 向こうがありえない事を言い出して動揺し、こちらがためらい真実を確認するまでもたつくパターン。



 どう考えても前者の方が優れているように見えるが、確信もないのに前者の道を取れば向こうが調子に乗る以上にこっちががっかりする。

 その失望は半端ではなく大きく、ましてや民兵と言う戦い慣れていない軍勢が必死に正規軍を受け止めている現状ではあまりにもその際の犠牲が大きすぎる。


(神風だと?そんな物がおまけかせいぜいとどめの一撃に過ぎない事は常識と言う物だ)


 いわゆる元寇こと文永・弘安の役の勝因が神風などではなくモンゴル軍が海を渡っての戦いに不慣れだった事と当時の武士のあまりにも狂気的なそれである事を昌幸は知っている。

 当時の武士は今の武士よりも体躯は大きく、その上に良く言えば勇敢、悪く言えば野蛮だった。それこそ何もしていない通行人を矢で射ち殺してその首を飾り戦慣れするとか、あらゆる意味でとてもできる事ではない。もっとも農民や坊主さえも似たような調子だったとか言う話まであるが、真田昌幸は息子たちにはその事を語っていない。



 とにかくいずれにせよ、自分たちが当てにしていない幸福など数に入れるべきではない。


 それだけの話だった。




 もっとも、真田昌幸とて何もしなかった訳でもない。


 大久保忠世や大久保彦左衛門、榊原康政に敵来たれりと叫んだのは真田忍びであり、それで少しでも不信を煽って疲弊させればいいと思っていた。

 それがどうも、それ以上に奇妙な事になっているのかと思うとどう反応していいか困ってしまうのも事実だった。



「竹取の 翁が金を 得る如く 人の世行けば 竹の花追う」

「ずいぶんと風流ですね」

「つまらん世辞はよせ」


 かぐや姫を拾った竹取の翁はそれからかぐや姫のためか竹を切るたびに金が手に入ると言うとんでもない生活をしていたが、それを普通の人間がやればあっという間に欲望に溺れ、誰も見た事のない竹の花が咲くそれさえ追い求めるようになってしまう—————。


 そんな極めて昌幸らしい歌に忙中閑ありを地で行く重臣たちは笑ったが、昌幸は何もリアクションしない。かぐや姫を失った竹取の翁と媼がどうなったかは書かれていないし、考える気もしない。だが果たして竹を切るだけでこれまでの数十倍楽な生活が出来るようになった二人が元の生活に戻れるのか、昌幸には非常に疑わしく思えた。自分でもへそ曲がりだとわかっているが、理屈からしてそうなるはずだと言うのになぜそれを考えてはいけないのか、その事が子供の時から昌幸は気になってしまう子であった。


「あるいは今、わしは大魚を逃しているのかもしれぬ。だがそれでも川に向かって飛び込み溺れ死ぬよりはずっといい。まあ、わしはだから信長にも秀吉にもなれんのだろうがな」

「信長なら動いたと」

「ああ動いた。そして一気呵成に徳川を踏み潰し、誰にも文句を言わせぬほどの大勝利を挙げるのだろう。だがわしにはそれは出来ぬ」

「仕方がないでしょう、ここは上田城なのですから」

「ああ。だから、信之にやらせている。それも上田から追い払えば良し、蛭沢川までと言い含めてな」



 徳川本陣は蛭沢川と神川の間にあり、今《《矢沢軍の攻撃を受けている》》とは言え蛭沢川まで進軍しただけでは決定的な打撃とは言えない。それこそ神川まで進んで包囲体勢に持ち込んでこそ、徳川に決定的な打撃を与えられる。

 だが民兵と言う上田城を守る以上の意味のない軍勢がいなくなれば、数の差は一気に顕在化してしまう。ただでさえその民兵とて出血が始まっているのだ。

 

「まあ、わしも出て行く頃だろう。これ以上上田の民を傷つけるは忍びないからな」

「ご武運を」


 この戦の勝敗は、この城を守る事にある。本質を見失って何になると言うのか。


 昌幸は当主としての役割を果たすべく、ようやく腰を上げた。




※※※※※※




「進め!」


 真田信之は、ありきたりな三文字と共に兵を動かす。

 徳川軍が予想外に攻めあぐねていた事に少しだけ安堵しながらも、民兵に負傷者が出てしまっている現状に心を痛めもする。

「皆遅れて申し訳なかった!どうか下がれ!」

「何をおっしゃいます!我々もこのまま」

「この戦の勝ちはこの城を守る事だ!」

 戦慣れなどしていないがゆえに勢いに乗りやすい存在。一応父と二人で言い含めてはいたが、それでも形勢が予想外に良いので浮かれ上がってしまっているのは否めない。

 信之自身、うますぎるのはわかっている。一応人並みに勢いにも調子にも乗りたくなるのはわかっているが、それにしても形勢は有利だった。


 上田城と言うか上田の市街地に誘い込まれた大久保忠佐軍は分断され、個々に住民たちに叩かれている。ただでさえ士気の乏しくなっている忠佐軍は民兵を突破できず、負傷者が増えて行くばかりだった。

 二番手の鳥居元忠は民兵だからと容赦などする人間ではなかったが、それでも民兵の抵抗はその分余計に激しくなり、忠佐軍の混乱と道の狭さのせいで交代もうまく行かず本気を見せ付ける事は出来ない。

「ここを押し返せば逆転だぞ!あの若造を討ち取れ!」

「そんな事はさせない!」

 鳥居元忠はここぞとばかりに押し返しにかかるが、真田軍とは勢いが違う。

 しかも元忠が兵たちを元気づけるためか自分を勇気づけるためか信之を若造と呼ばわった結果、鳥居軍の心に一瞬余裕と言うか油断が生まれた。


 その結果はあまりにも明白に、かつ無惨に跳ね返る。

 一瞬疲弊を()()()軍勢は突っ込むが、その一撃を受け止める信之は冷静であり、数分ほど五分五分に戦った上でさっと押し返す。疲弊していた所で、勝ち筋にも見えない勝ち筋を掴んだ気になっていた鳥居軍は城門まで後退を余儀なくされ、忠佐軍はそれ以上に下がってしまった。


「民兵のみんなよくやった!後は任せよ!」


 信之は城から逃げ出した徳川軍を追撃する。だが決して強引には攻めかからず、櫓の上に兵たちに合図を送る。

 凡事徹底と言う訳でもないが基本をしっかり押さえ、勝利の目的を見失わない。昌幸の素質をしっかり受け継いだ信之の振る舞いは、二十一歳と言う年齢から説得力を奪い取る。


「踏ん張れ!」

 元忠は文字通り歯噛みしていた。

 本当なら自分が引き付けている間に忠佐隊に体勢を立て直させて反撃をさせようかと思ったが、信之は決して強引に突っ込んで来ない。城門からの援護射撃が受けられる場所から離れようとせず、まるで歩くような速度でしか付いて来ない。反撃あらばすぐに逃げると言わんばかりの姿勢を卑怯だとののしるのは簡単だが、この劣勢でそんな事を言えば負け惜しみでしかない。

 余計な事を口にせずそれだけ言って見せる事しかしない、と言う最善手が打てる程度には元忠だって優秀である。


 だが将の器量だけで戦が決まるほど戦いは簡単ではない事を誰もが知っている。


 そこに介在する様々な要素。

 兵の強さ、兵の忠義心、兵のやる気、装備、地形、攻めか守りかによって変わってくる勝利条件。




 そして何より、他の軍勢の存在。




 それら全てが揃ってこそ、戦に勝てるのだ。

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