小田原城に願いを託すと言う事
一気に半年近く進んでいるのでご注意を。
天正十九年四月一日。
伊達政宗ら奥州統一連合は、三万七千の兵で武蔵と相模の国境に兵を構えていた。
「ずいぶんと簡単に来られたものだな……」
「ええ。はっきりと方針が決まっているとやりやすい物です」
「どっちのだ」
「相変わらずですな」
政宗と小十郎は馬上でここまでの道のりを振り返っていた。
三万五千とか言う兵力を、ほとんど減らさずに済んだと言うかむしろ増やしたその道のりを。
「小田原を信用しきっている…とでも言うべきか」
「武相の国境までまるで抵抗のない事を幾たびもいぶかしみ、その度に誘計を疑いました」
「一周回って相当に意地の悪い事だな」
下野と言うか常陸から武蔵に入り、江戸の方の海岸沿いを渡りながら一か月余り。その間、佐竹軍の補助や里見軍の攻撃もあったとは言え、奥州統一連合が受けた妨害はほとんどなかった。せいぜい地元の民から補給が受けられなかった事と小城に籠城されて迂回せざるを得なかった事ぐらいだ。無論それらは佐竹勢が抑えているから後ろを突かれる心配は少ないが、それでもあまりにも都合の良い進軍に幾度も足を止めてしまった。そして、誰もその城を攻めろとは言わなかった。
「しかし真田殿…」
「わしはもう決めたのです。数はともかく」
「その智謀を楽しみにしておりますぞ」
何より、真田昌幸。
上田城にいたその男が上州の混乱を付くように兵を動かして突っ切り、下野にて奥州統一連合に合流。数こそ二千にも満たない小軍であったが、奥州統一連合に新たな味方が加わったのは事実であり士気は大きく高まった。
だが物事は、そこまで楽観的でもない。
「それにしても、こちらがもたついている間にと言うべきか……」
「もう、来ましたか……」
——————————そう。
豊臣軍も、来ていた。
先鋒として黒田官兵衛を大将に据えた九州軍一万五千が到来し、松平軍の本多忠勝率いる軍勢が一万、その後ろに松平家康と大久保忠隣・井伊直政率いる兵がやはり一万。そして上州から前田利家率いる軍勢が一万、これだけで奥州統一連合軍を上回る四万五千。
さらにそれに豊臣軍本隊の毛利軍一万五千と秀吉本隊の三万が続いており、秀吉軍には子飼いの福島正則・加藤嘉明と養子の豊臣秀康がおり、しかもこれに同じく養子である宇喜多秀家の軍勢が続いている。
「宇喜多軍を含めれば、十万どころか十一万……」
「気が遠くなる数であるな」
実際には宇喜多軍は一万五千止まりであるから十万五千だが、それでも十二分に大軍であるはずの奥州統一連合軍の三倍近くである。幸いと言うべきか上杉はまた最上勢とにらみ合ってくれているが、それぐらいしか削れていないとも言えた。
「しかし松平軍ならばわかるが、石田三成?」
「現状ではまだ伊豆ぐらいですが」
「それってもう一昼夜もあれば相模と言う事ではないですか!」
「いやおそらくは戦になるだろうからもう少しはかかろう。もう少しでしかないがな」
「もう少し、か……それにしても、石田三成とは何者だ」
大浦為信は冷静であったが、それにしても豊臣軍の足の速さは異常だった。松平軍を動かすのはわかるとしても大坂にいたはずの石田三成がここまで来ていたと言うのは正直不可解だった。これが中国大返しをやった将の率いる軍勢かと感心すると共に奥州と東海道の環境の違いにも思いをやったが、それでも石田三成が先鋒と言うのは不可解に思えた。
「石田三成とは秀吉の子飼いの部下で元々は茶坊主でしたがその才智を買われ出世、現在では数万石を取りもしこのままで行けば豊臣政権の中核を担う事は必至と言われております。しかし戦の経験はとんとなく、いわば能吏であるとの事」
「それが先鋒だと」
「ですから先鋒は黒田官兵衛です。その黒田官兵衛に九州の鍋島・立花・島津が付き従いそれで一万五千となっております。その黒田官兵衛ですがこの戦次第では筑前または豊後一国を与えられるとか」
「豊後?」
「はい。表ではどうも豊後の大友は肥前の龍造寺と同じく当主が病勝ちであると申しておりますが実際は不出来であり、大友の重臣であった立花を半ば切り離しているような風情であると」
「ふむ……それで具体的な名前は」
「鍋島直茂・立花宗茂・島津義弘となっており、いずれも三千前後です。そして三名ともはっきり言ってかなりの強者です」
もちろん自分たちなりに九州の動向もつかみ、将たちの情報も得た。黒田官兵衛が九州に領国を与えられた事、その九州の将と共に小田原攻めの先鋒を任せられ副将のような形で石田三成が付いている事、そしてその配下となっている将たちの事も。
曰く、島津義弘は島津四兄弟の次男で猛将、鍋島直茂は龍造寺隆信の従兄弟で龍造寺家をまとめる知将、立花宗茂は両名よりずっと若いが武勇ならば一級品であると名高い若き俊英。
黒田官兵衛とか石田三成を差っ引いても彼らと対峙するのはなかなかに難儀である。
「それでこちらはいつ相模へと」
「玉縄城の事もある。しばらくは小田原へ向かわずそちらを攻める。そちらの将は確か北条…」
「氏規でございます」
「それもなかなかに手ごわいようだな。しかも兵の数は少ないないようだしな…」
「里見勢の再度の攻撃を待つよりありませんか」
「そうだな。弥右衛門のためにも負けられぬぞ」
「はい…」
とりあえず問題は目の前の城である。これまでの無抵抗のままではないと兵たちに兵を引き締めさせ、政宗は国境へと馬を進めた。
※※※※※※
「しかし援護が来るのでしょうか」
「北と東からな」
「奥州統一連合もまた既に武蔵を南下し相模に入ろうとしておりますが」
「そんな事などどうでも良いのじゃ」
駿河と相模の国境を越えてなお戦の起らぬ事に不安を覚えながら、石田三成は黒田官兵衛に付き従っていた。足の悪い官兵衛に従い官兵衛の息子の長政と共にゆっくりと駒を進める三成であったが、どうにもしっくり来ない。
「いくら小田原が堅固であるとしても、このまま包囲されてはそれこそ日干しに遭うと思いますが、黒田様はよくご存じのはずでは」
「確かに関白殿下の得意技ではある。されどそのためにはそれこそ全ての道を塞がねばならぬし始めるのにも時間がかかる。いくら四月とは言えそんな付け焼き刃でうまく行くわけがなかろう」
「大変申し訳ございませんでした…」
「ふん……」
黒田長政に鼻を鳴らされたのも全くごもっともな話であるが、かの三木城出の戦いにいなかった石田三成の軍略に対する理解はこの程度だった。それでも家臣を集めているので「石田軍」そのものの力は強いが、戦場では個人的にも優秀とは言えなかった。
「なあ治部、お主は確かに素晴らしい。だが何もかもが出来る訳ではない。その事を忘れてはおらぬか」
「そのような!」
「なればな、ほどほどの所で下駄を預けよ。そなたの寵愛する部下や崇敬する関白殿下にだけではない、他の者にもだ。自分がやれば何もかも独り占めできるとか言う甘い考えは捨てろ」
「そうだ、まさか北条を自分の手で討って」
「吉兵衛、お前は阿呆か。治部は自分が言い出せば全部自分のせいだとか言う男だぞ」
「…………」
福島正則とかとつるんでいる長政からしてみれば三成はいけ好かない男であったが、官兵衛から言わせれば別の意味で問題があった。
「治部よ、そなたは自分が言い出したんだから悪いのは自分であり、それでうまく行けば自分を成功させた家臣や関白殿下、同僚のおかげだとか言い出す気だろう。実に殊勝に聞こえるがな、それもまたかなり私利私欲に塗れておる」
「そんな!」
「無私で公正な男とか言う肩書と言うか風評を得たいのか?」
「私はただ関白殿下のために!」
「ならば息子の事でも考えてみよ。まだ可愛い盛りじゃろ?じゃったらそのためにもせいぜい生き延びてみせよ」
権勢欲とか、領土欲とか、そんな物はない。
と言うか金銭欲もなければ性欲も人波にしかなく、ただひたすら主君と国のために尽くす事が好き。
そのためには他の何もさほど求めず、自分の命さえも惜しまない。
一見理想の武士に見えるが、その実はむしろ欲望の塊。と言うか一点集中しているだけで並の人間より相当に欲深い—————。
「……………………物資はちゃんと守ってみせます」
「それが良い。まあ、もし奥州統一連合が近付いて来たら、その交渉は頼む。言っておくが喧嘩腰になるな、こちらに奥州統一連合を責める権利などないのだからな」
「はい……」
そう人物評を下された三成は顔を伏せ、神輿のように担がれている官兵衛から目を背けた。よほど痛い所を突かれたのか武士に二言はないと言う事なのか後方に下がり、一万五千の兵の兵站を守りに行った。
長政も長政できざでいけ好かない男だと思っていた三成が自分の考えていた「殊勝な武士像」からさほど乖離していないと言われたせいで、次の言葉を失っていた。
「吉兵衛、聖人君主など世の中には存在せぬ。無欲に見えてもその実は無欲と言うか無私であろうと言う欲で一杯じゃ。多くの欲深いと言われる連中は単にその欲を過剰に吐き出しているだけに過ぎん。あの治部はそれこそ、内側に向けて吐き出しているに過ぎん」
「確かに、もしかしたらそれゆえに我々、いやそれがしは…」
「じゃな。同じ人間のくせにあまりにも気取りすぎている、自分と同じ男のくせにと不可解に思いそれゆえに八つ当たりもする。ほんの少しだけでも、自分らと同じようにしてもらいたい。健全な欲望じゃな…治部に足らん物じゃ。おそらく関白殿下はそれを治部に伝えたいのじゃろうが難しいかもしれんな。
あるいは、咎なくして死んだ者と言うのは古来からそんなだったのかもしれぬ。あまりにも欲望が少なく見えたゆえに人と別物のように扱われ、恐怖を掻き立てさせてしもうたのやもしれぬ」
あまりにも過酷にして悲しき運命。と言うか汎用的な真理だと思いたくない残酷な真理。
「おいおい、何を落ち込んでおる。九州で何があったか知っておるのか。あれより恐ろしい事はそうそうないぞ」
「はい……」
父親の言葉に打ちひしがれてしまった息子を励ますように、官兵衛は九州での思い出を話す。
九州に上陸してから平定されるまでの数か月間、黒田官兵衛・長政親子を狙い続けた刃。
兵たちに必死に取り囲ませ、文字通り四六時中襲い掛かって来た謎の武士の攻撃を凌ぎ切った事。
動かぬ足を無理やりに動かして自ら刀を振り敵の攻撃を受け止めた事。
九州平定後も肥後にやって来た佐々成政がその武者に襲われて倒れ救援に向かおうとして黒田軍も攻撃を受けた事。
その事を思い出として笑いながら語る官兵衛の顔に、憂いは一切なかった。