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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第七章 鎌倉の悪夢
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秀吉は最後の一手を思う

「またご機嫌取りですか」

「しょうがないじゃろ、最近どうにも優れんと言うから」

「共に参ります」


 大坂の冬は寒い。

 尾張とどちらが寒いかはわからないが、それでも京の人間に言わせれば暖かいらしい。

 とにかくいずれにせよ、彼女の体調は徐々に悪化しているのは間違いなかった。



 —————その病人が口にしている言葉を、真に受ければだが。



「……ったく、あんたはどこまで人がいいんだい!」

「いや、でもあと一歩と言う所で……!」

「私なんかを気にして最後の最後でつまずくんじゃないよ!」


 案の定と言うべきか、なかは元気だった。おねまで一緒に見舞いに行ったと言うのに、彼女は横になりながらも悪態を付いていた。


「ったく、少しばかりはしゃいでちょっと調子を崩しただけだよ、そんな事何度も何度もあるってのに」

「ですが」

「ですが何だって?年の話?んな事先刻承知だよ!ちょっとあんたも何か言いなさいよ!」

「しかしやはりお体と言う物も」

「ったく、どうせここに来るまでに騒ぎすぎとか思ってたんだろ?それなのにそんな事言うもんじゃないよ」


 おねにも悪態を付きながら、身体を起こす。むしろそうしていると余計疲れると言わんばかりに胡坐を組み、息子と長男の嫁に向かって吠える。侍女の事などもう知った事ではない。


「私はもう確かに戦は飽きたよ、でも飽きるとかってしょうもない個人の感情で動いていいもんじゃないだろ」

「それは先刻承知ですが、これ以上北条を放置しては天下は定まったとは言えませぬ」

「そうかい。そうなのかい」

「はい」

「ったく、あの犬千代のとこの奥さんと変わんないねあんたも」

 おねが母子の会話に口を挟むのは全く今に始まった事ではない。

 嫁いだ時は米一粒、長じては城の飾りつけ、今となっては天下の事まで、夫に向かって平気で物を言う妻であった。その辺りは秀吉の盟友である前田利家の妻のまつと同じであり、おねとまつもまた親友のような存在であった。そんな彼女もまた北政所様とか言う大層な存在ではないが能登・加賀・越中三か国の大名の妻である。そんな二人にそんな言い方のできるたった一人の女は、深々とため息を吐いた。


「ったく、これが関白殿下様の母君様って奴かい?ちょっと調子が悪いだけでみんなを心配させちまうだなんて。そんな時間なんかないだろ」

「ご安心ください、暇を盗んで来ておりますので」

「それはやっぱりないって意味じゃないの、まああんたの事だから誰かに責任押し付けて来たんだろ、まさか小一郎って言わないよね」

「大丈夫です、三成です。彼は実にきっちりと真面目な男ですので」

「それは知ってるけどね…ああいけない、お前は昔からいい意味で丸投げがうまいからね、私と違ってさ」

「あはは…」


 丸投げと言う言葉に、おねは笑ってしまった。

 丸投げと言うと責任放棄の同義語に思えるが、相手を完全に信頼していると言う意味であるとも取れる。ましてや関白とか言う一国の長に等しい存在になった以上、何でもかんでも一人で回す事など不可能だ。

「いやあ、それこそ政権の仕組みを整えねばなりませぬな、かつての頼朝公や尊氏公のように」

「本当に可愛げがな…いやあるんだけどねえ。あんたの相手は大変だよ」

「すいませんすいません」

「その笑顔で何人を呑み込む気だい?本当、あんたこの息子を頼むよ」


 どう見ても格好良くないのに、なぜか引き付けられるその笑顔。

 

 その笑顔に対し文句を言えるたった一人の同志に息子を託し、健在を示すように右手を振った。








「あの子はちゃんとできるのでしょうか」

「問題はなかろう」

「確かに佐吉なら数を揃えるのには欠片も問題はございませんが、此度の戦いに一体どれほどの兵を出すのです」

「わし自らで三万、毛利が水軍を込みで一万五千、四国から五千、九州から鍋島・島津・黒田・立花らで一万五千、利家が一万で松平殿が一万五千…」

「九万ですか…はあ、九千どころか九十の兵もいなかった時代もあったのにですか……」


 夫婦二人で御殿へと戻った秀吉とおねは、石田三成の名前を出しながら酒を酌み交わし合う。尾張のあばら家にいた時とちっとも変わらない二人であったが、それでも何もかもがかかっている金の桁が違っていた。


 二人の服も、器も、酒の中身も、そして部下に担わせる仕事もだ。


 と言うかその九万と言う数字でさえも、本気でないかもしれない。

 毛利の本気の動員兵力は三万はあるし、前田も松平も全力を出せばもう五千は行ける。さらにこれに上杉が加わるから、十万でも一向におかしくない。

 北条の兵力は秀吉の見立てでは四万程度であり、数の差だけで行けば倍以上である。さらに言えば北条は下総と下野を失っているから四万さえもいない可能性があり、そうなればなおさらである。


「しかし問題はやはり、奥州統一連合とやらです」

「一応、書は送ったがな……」

「返答は」

「未だにない。期待はしておらんが」

「何と書いたのです」

「翌年中にわしに服せば領国は守ると」

「相当に寛容ですね。まさか母君様に」

「違うわ、奥州の事を知った上でじゃ」

 

 その上で、夫の軍略にさえも口を挟むのもまたしかりだった。

 羽柴家は秀吉ではなく秀吉とおねの共同統治であると言われた事もあったが、実際まだ秀吉が城主でも何でもなかった際にはそれこそため口を利いていた事さえもある。この当時の女性、と言うか妻としては信じられなかったほどだったが、それでも秀吉はすんなりと受け入れていた。

 おねだって、奥州統一連合とか言う巨大なそれの存在ぐらいは知っていた。伊達・蘆名・最上に大浦が加わり陸奥・出羽を統一しさらに常陸の佐竹をも取り込み、最近では安房の里見まで味方にした事もだ。

「なぜ九州に出したような命を出さなかったのです」

「出しておいて放置するだけでは命が意味を失う。かと言ってその時は九州が優先で東国は後回しでな、九州を終えてからで良いと思っておったのじゃ。しかしわしとした事が不覚であった、まさか奥州がこうもまとまるとはのう……」


 秀吉はごまかすように顔を搔くが、実際秀吉でなくとも奥州の変化を予想するのは無理があった。

 まだまだ戦国乱世だと思っていたはずなのに自分が九州に出兵する直前に諸戦力が一気にまとまり、九州の時と違ってひとかたまりとなって動き出した。九州の時はまだ島津の統治が極めて浅かった上にまだ抵抗していた御家があったから何とかなったが、奥州に付いては現状隙がない。



「正直に言えばどうやって勝つべきかわからんのだ。普通に攻め落とすにしても雪と言う代物に頼られたら相当に時間がかかる。それこそ三年、四年は下るまい」

「鎧袖一触と言う事は」

「できぬ。奥州統一連合が佐竹や里見を傘下に収め下総と下野を得たとなるとその力は数百万石にも及ぶ。雑な見立てではあるが四〇〇万石とか言う話すらある」

「四〇〇万石ですか……」

「下総と下野で合わせて八〇万石、常陸で五〇万石、上総安房で三十五から四〇万石。それに人取橋で動員された兵が佐竹のそれを除いても両軍合わせて三万五千人とか言う話もある。三万五千人と言う事は、百四〇万石と言う事じゃ」

 

 今出た名前だけで合わせて三一〇万石である。


 それに最上と大浦の領国、そして旧南部領などを足せば四〇〇万石と言う数字はあながち誇張ではない。四〇〇万石と言う事は単純計算で十万人であり、それこそ今度持って行く事になる兵力と拮抗どころか上回ってしまう。ましてやこれに北条が味方すれば一大事だ。


「兵を集めただけでは勝てぬと言う事ですか…それにそんなに力があるのならば抗ってくる可能性は高いと思いますが」

「じゃな。正直実にやりにくい。なればこそ抱き込もうとしてはおるが彼らがそれを呑むか否か……」

「呑まなければ討つしかないのでしょう」

「ああ……」

「相当に勝たないと向こうの方が継戦能力は上ですから下手をすると大逆転負けとか言う事になりかねませんよ。それ以上の要求をして来たらどうするのですか?」

「うーむ……」

「争いたいのですか?争いたくないのですか?それとも争わねばならないのですか、争わなくてもよろしいのですか?」


 実際問題、秀吉は奥州統一連合の実態を調べれば調べるだけ汗をかく量が増えた。南部大虐殺などもあり少しはほころびがあるかと思ったが、予想外にまとまっている。あるとすれば人取橋で負けた上に服属させられた佐竹だが、それとてせいぜい一万相当の兵力しかない上に里見と挟み撃ちにされそうな地理的環境で当てには出来ない。ただでさえ奥州と言う極めて攻めにくい地形である以上、戦いは出来れば避けたい。




「行くしかないじゃろうな。わし自ら」

「いまさら何を」

「伊達政宗…いや奥州統一連合を動かしている本当の存在に会いに行くのじゃ」

「本当の存在……」

「ああ。その存在と会い、乱世を終わらせる。おね、わしはやるぞ」

「わかりました……それで彼は小田原に」

「ああ!」


 そんな秀吉に縋る物があるとすれば、奥州統一連合を支えていると言うか後押ししている一人の存在だった。その彼の存在を知り、彼に触れればどうにかなるかもしれない。少なくとも悪い事にはならない。


 ここに、秀吉もまた相模を目指して動き出したのである。

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