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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第七章 鎌倉の悪夢
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奥州統一連合、出撃へと向けて

 天正十六年十月二十日。

 下野を一旦政道に任せ会津へと戻った政宗たち奥州統一連合は、氏政の決意を既につかみ取っていた。

 氏政に別に隠す気がなかったからであるが、それでもその決断に政宗さえも首を傾げていた。


 


「北条は、わしらにも豊臣にも付かぬ気らしいな」

「付くとしても、戦って勝つまでは…か」


 最上義光がため息を吐く。実際それで島津家はある程度の地位を保っているが、それでも元の薩摩大隅まで戻され肥後や日向など秀吉到来前の領国を持って行かれたのも事実だった。今更豊臣家に付こうとした所で真田の件で門前払いを喰らうかさもなくとも大幅に領国を削られる必定であり、長宗我部元親のように相模一国ぐらいまで落とされても文句は言えない。だが豊臣と奥州統一連合の両方に勝った上で服属したとなれば秀吉とてある程度言う事を聞かなければならなくなる。それこそ奥州統一連合討伐とか言う名目のために後方を守る北条を粗略にできず、現在の相模・伊豆・武蔵・上野だけでなく下野や下総を取り返し、さらに豊臣と交渉のない里見家を取り潰して上総・安房を手に入れられるかもしれないと言うのは空論だが、それでも現在の島津ぐらいの勢力は保てるだろう。ただ言うまでもなく危険極まる賭けであり、両者から取って食われる可能性もあるのだ。


 と言うか、

「下総と下野を奪われ、上野の統治もままならぬ北条に抵抗力はあるのでしょうか」

 と言う為信のそれが一般的な意見のはずだった。

 今の北条はどこからどう見ても斜陽の中にあり、奥州統一連合単独ですら時間さえかければ倒せそうに思える。

 だと言うのに


「もしこの北条を味方とする気ならば、豊臣秀吉とか言う猿男の天下を決して認めぬと誓い、さらに下野・下総二か国を返還し奥州統一連合の筆頭たる伊達少将殿自ら小田原にお住まい頂く事を要求する」


 とか言う、和議を願うにしてもありえないほど上から目線の文が帰って来た時には政宗も義光も為信も目を剝いた。無論絶対手なんか組むかバーカと言うだけの話ではあるが、それにしてももう少し加減と言うものがあるのではないか。

「上野を攻めるのですか」

「それはできまい。ただでさえ下野攻略によりこちらもそれなりに消耗している。小次郎からたっぷり謝礼をやらせたと言えな」

「確かに蘆名様のそれにふさわしいとは言え少し乱暴ではありませんか」

「事前の打ち合わせ通りだからな。とにかく本年か再来年には武蔵侵攻と行きたいものだな、行けるのならな…」


 下野は既に蘆名領と言う事になっている。もちろん下野と蘆名の領域が近いからであるが、それでも伊達・最上・大浦など奥州統一連合には蘆名からそれ相応の報酬が渡される事になってはいる。もちろん戸沢や佐竹や里見にもしかりである。そして下総については佐竹と里見が半々と言う事になり、それらに値する石高を奥州統一連合の大名たちに払うと言う形になっている。

 その彼らの次の目標は、本来なら武蔵だった。


 もし無限に時間があるのならば、五年ほどかけて北条を落としたかった。一年どころか半年で下総と下野を得られたのが自力ではなく敵失であり、かつこういう連合を組むのにはまた相当な時間と手間が要る事を誰もが知っていた。一年に一国、いや二年に一国と言うのが普通の進行速度であり、上野を放棄したとしても東武蔵に二年、相模に二年はかかる。伊豆や西武蔵に逃げ込まれた場合もう一年と考えれば、五年と言うのはそれほど不思議でもない。ましてや小田原から遠い下総や佐野家を半ば強引に奪って手にした下野と違い武蔵は北条の本国に近く、防備が固いとか以上に住民の忠誠心が高い。下手に進軍すれば兵士だけでなく町民からも抵抗され、進軍などままならないかもしれない。







「とは言え、上杉を通して来た書状は無視できませぬ」



 それ以上の問題は、豊臣家だった。




「関白の名の下に申し付ける。

 奥州統一連合を名乗る伊達・最上・蘆名・大浦の四家は翌年中に我が支配下に入るべし、さすれば四家の安寧と天正十五年までの領国の保有は認める。

 また佐竹・里見の両家に付いての庇護の功績、及び佐竹の常陸一国及び下総半国、里見の上総・安房・下総半国の領有も認めるものといたす。」




 ついにと言うべきか、豊臣家が動き出したのだ。

 条件そのものはかなり寛容ではあるが、それでもこれを呑めば豊臣家の天下はほぼ完ぺきだと言う事になる。だが単純にうますぎると言うのもあるし、それ以上に何をいまさらと言う気分もある。

「秀吉は他に何と」

「もし拒めば北条の次に敵となるはその方らである、と」

「予想をびた一文はみ出しておらんな、案外そんな物か」

 最上義光は鼻を鳴らした。秀吉の事だから奇想天外なことを言って来るかと思ったら、案外普通の話である。

 だがいずれにせよ、今年中に何とかせねばならぬ事だけは確実だった。

「では条件を吞みますか」

「そう簡単でもあるまい。おそらく豊臣は、今度の戦において全力を注ぎ込む。四国はともかく九州は正直勝ったとは言えぬと言う事らしいからな、今度はそれこそ勝たねば天下人としての威が落ちる。小田原を包囲し徹底的に叩きのめし北条氏政の首を求める」

「ですが北条は徹底的に抵抗する構えであると」

「そうだ。いくら豊臣軍が強大であろうとも、落城させるのには時間がかかる。その間に我々は動く」

「どちらに付くのですか!」

「落ち着け」

 

 小十郎を制し、政宗は日ノ本の地図を広げる。


 小田原に青い駒を置き、下野に赤い駒を置く。


 そしてその赤い駒を、相模の南東に持って行った。


「三浦…!?」

「そう。三浦よ。この相模の先っぽを目指し、そこに大兵を置く」

「できるのですか!」

「出来ると言うかやらねばならぬ。三浦より大事なのはおそらく、その隣だ」

「その隣……?」

「そう、鎌倉だ」


 鎌倉。何とも古めかしい名前だった。


 今から四百年前、武士が事実上初めて築いた都。それが鎌倉だった。

 だがその統治は百四十年で終わり、次の武士の政権は結局京に戻ってしまった。

 それでも鎌倉公方と言う地位もありもう百年ほどは東国の中心でいられたが、永享の乱によりほぼ消滅状態になってしまいその後はもう戦国乱世の時代到来により誰もその存在を顧みなくなってしまった。

 現在一応鎌倉公方の末裔である古河公方の血筋は残っているが権力は毛頭なく、現在の当主は氏姫と言う十六歳の女性である。女性だから悪いと言う事はないにせよ、鎌倉から百三十年以上離れていると言う事実は消えない。


「しかし鎌倉をなぜ」

「鎌倉は源頼朝、そして北条家が都としていた地。そこを抑えれば「北条」は正当性を失う。下野から武蔵の端を行けばそれほど長い距離でもないし、ましてや上総安房から船で行けば一日で着けてしまう」

「確かにそれはそうですが」

「それに鎌倉は武士が初めて政権を取った地。武士としては押さえねばならぬ場所であり北条も躍起になる。防備は固くなろうが絞りやすくなる」

「しかしそれでは豊臣は」

「わかるであろう。豊臣は別に北条を攻めるなとは言っておらぬ。それこそ北条は我々のちょうどよい的にされてしまったのだ。まあ、北条にはまだ手のひらを返す余地があるのかもしれんがな」


 いくら氏政がその気になった所で、当主はもう九年も前から氏直である。何とならば氏直が権限を振るい、氏政を武田信玄の様に放り出して権力を握る事だってできるはずだ。その上でどうするかのまではわからないが、もしその結果豊臣に付かれれば奥州統一連合は危なくなる。


「小十郎殿はその方がよろしいのでは?」

「何を…!」

「大浦殿、小十郎をからかいなさいますな」

「これは失敬。しかし確かに鎌倉を狙うと言うのはわかりましたがどの程度の軍勢で、誰が向かう事になるのですか」

「言いだしっぺとしてわしが行く。そして弟と、申し訳なきことながら大浦殿にも来てもらいたい」

「それだけですか?」

 伊達・蘆名・大浦となると、およそ三万程度である。最上はともかく佐竹や里見の力を借りないのは不自然と言うか不足であり、いくら三浦半島及び鎌倉が目標だとしても足りる気がしない。

「里見殿には船で三浦半島を攻撃してもらう。無論上陸できればそれでよし、駄目でも足を引っ張る事は出来る」

「ですが佐竹殿は」

「下野と下総を守ってもらう。最上殿にも悪いがどうか防衛をお願いしたい」

「わかり申した。そして期日は」


 だがそれでも、計画は遂行に向けて進んで行く。

 北条との戦い、そしてその先の豊臣家との対峙。


 その方向へ向かせている存在が何なのか、誰もがその事を分かりながらも飲み込んでいた。

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