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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第六章 小田原に迫る両刃
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扱いにくい存在

「そうか、北条は真田の罠にかかったか」

「はい。しかしまだはっきりとこちらに付くとは」

「別に良い。我々は北条を叩くだけだからな」


 直江兼続が大坂へとたどりつくずっと前、北条氏邦が名胡桃城に攻撃をかけた二日後には伊達政宗は片倉小十郎共々その言葉を口に出来ていた。


「しかし」

「北条にはこちらを殴る大義名分がある。だがこちらに北条を殴る大義名分はない…とでも言うか?」

「いえそのような、しかし里見殿は随分とこちらに接近したがっているようですが」

「確かにな。里見はこちらと悪い意味での因縁がないからくっつきやすい。とは言え佐竹と里見の仲を思うと結局佐竹は心休まらぬ定めかもしれんな…で、佐竹殿は何と」

「常陸一国を安堵していただきたしとのみです」

「下総の半国を里見と分け合うぐらいで良いと思うのだが…とは言え下野をやるわけには行きにくいしな…」


 佐竹と里見は北条と言う大敵を共にしていたため友好的にならざるを得ない立ち位置にいたが、その北条が衰えたとなると話は違って来る。里見は守りやすく攻めにくい地理的状況であり佐竹は逆である以上どうしても佐竹の方が力関係は弱くなる。何より里見は進んで味方したのに対し佐竹はほとんど服属したも同然の形であり、その点でも佐竹は弱い。



 もっとも、それ以上に弱い立場にいるのが北条である。


 北条は真田家の城となっている名胡桃城を攻め、占拠し、真田の重臣である鈴木重則の甥を殺した。


 どう考えても真田に対する敵対行為であり、真田の主家に対する豊臣家への敵対行為である——————————。


 実際には名胡桃城を攻め落としたのだけが事実であり、死んだのは鈴木重則の甥だと名乗っていた一人のどれほどの身分か分からぬ武士だけ。何となれば兵士一人の犠牲でも吹っ掛けられる話であり、ただのチンピラの喧嘩である。少し調べればわかる話だが、北条はそれを怠ったのだ。



「それで、下野攻略はいつからにするかと言う事だ。わしとしてはすぐでも良いのだが、言っとくが十年も待つ趣味はないぞ」

「ちょっと!」

「お前に任せると十年でも二十年でもまだまだと言いそうだからな」

「それでも最上様や大浦様、もちろん弟君様とも」

「これを見ろ」


 政宗は懐から短冊を取り出し、小十郎に見せる。



「荒馬を おす事もなく 手綱引き たまを奪いて 安堵を求む……」

「伯父上もその方のやり口に苦笑しているらしい。雪が溶けていきなりこんな短冊を送り付けられた時には顔から火が出たわ」

 

 ついさっきまでからかうような風情だった政宗の口が重くなり、目線だけはそのままで小十郎を見下ろす。目が笑っていないと言うより目しか笑っていないと言うような風情であり、家臣の醜態を笑う悪戯小僧とその醜態をとがめる主君が同居していた。


「なぜそれをここで」

「お前がどうしてもわしを城に押し込めようとするものだからな、その時に備えて持っておけとの事だ。母上もなぜこれが思い付かなんだと悔しがっておったわ」



 政宗と言う荒馬を決して強引に押し切ろうとせず静かに手綱を引き、魂を奪ってでも安堵を求める—————と言うだけでなく、政宗の身を守るためならば「雄」である事をなくさせ、つまり「玉」を奪っても構いはしないほどである—————と言うのだ。


「……無責任ですね」

「小十郎、もしわしが女子だったら良かったのか?と言うかもう一つあるぞ」


 

 —————無下はつい 大なるうらを 読みたがり あしを求めて 無音に従う



 政宗は短冊の裏を小十郎に見せる。


 無下なるもの、つまり最低の存在は何か物事には裏があると読みたがり、悪い所を求めてその結果何も聞くまいと耳を塞いでしまう。

 要するに下衆の勘繰りと言う次第だ。

 だが「無下」の「つい」は「最上《最上》」であり、「大なるうら」は「大浦」で、「あし」は「蘆名」であり、「無音」を「むね」と読めば伊達家の通字である「宗」である。

 平たく言えば、最上も大浦も蘆名も伊達について行くと言う事だ。


「私は逃げ道を塞がれているのですね」

「お前はそこまで名物になってしまったと言う事だ」

「……」


 小十郎は何も言えない。

 自分がどう言われようが知った事かと言う気持ちはある。だが余所の家までそんな風に思われているとなるとそれこそ面映ゆく、と言うか臆病者の代名詞呼ばわりされているのかと思うと武士として情けなくなると言うのは実にもっともな理屈だ。

 

「ですが、どうしても、どうしても受け入れられないのです」

「千度も 刀を振りし 男子より 三つ子の涙 なき骸作る」

「存じておりますが!」

「大丈夫だ、お前が正しくわしがおかしい。そんな事はよくわかっている。だが現実だ。朱に交われば赤くなる、屈原とて万能ではない」




 そして小十郎の心をつかんで離さず握り潰さんとしている存在がかの童神である事もまた、伊達家のみならず奥州統一連合周知の事実であった。




「どうしても道理に合わぬ事を信じられぬのです」

「信じられないのではなく、わしがそれで動くのが信じられんだけだろ」

「はい」

「わかりやすい事だ。思い通りに動かん味方は一番性質が悪いと言うのは兵法の一説ではないか」

「あ」


 だがその童神に対しての政宗の言葉は、小十郎のひびが入った心をわずかに修繕するそれであった。


「童神とか言うがな、神に人が言う事を聞かせるのははなはだ難しい。神はこちらの事など考えずに動く、人が同行できるとすれば必死に頭を下げ頼み込むことぐらいだ。僧とて御仏にすがるべくあれやこれやとやっているではないか」

「……」

「かの童神は、わしが見た所悪しき処はない。ただ自分が何をすべきか、まだはっきりとした規範を持たず力を振るっている。その力が、今はああいう形でしか発揮できていないだけだ」

「力……?」

「ああ。南部に佐竹、それからあの二本松義継。彼らを敵とする何かが童神の規範となっている、と言うかおそらくそれしかない。それ以外何一つ持たず、それにより童神となった」


 純粋で混じりっ気のない、強い気持ち。そういう情念が霊となり、神となる。


 その気持ちが、悪意なのか。南部や佐竹を文字通り膾切りにした、悪意だと言うのか。


「その奥底にある物を、人間は探ろうとする。わしだって自分なりに考えた。自ら言葉をかけもした」

「その上で…!」

「ただ返答は得られなかった。しかしあくまでも推論だが、決して非友好的ではない。こちらに敵意を持つ事はなく、ただ自分の敵か味方か、いや誠実か不誠か見極めようとしているだけだ」

「誠実さを……」

「それもまたあくまでも推論に過ぎぬ。なぜ童神が誠実さを求めているのか、いや誠実さは無論第一ではあるがなぜ極端に重んずるのか、そして南部や佐竹を憎むのか。小次郎もひどく苦労したらしいからな」


 あの北条との戦いの後、かの童神は佐竹を襲おうと暴れたらしい。蘆名軍が必死に守り抜いて無事だったものの、結局誰もかの童神を自由に扱えてなどいない。それこそ自然の風のように、気まぐれな神様に振り回される事しかできない。

 いや、飲み込む事しかできない。



「しかしそうして童神を小次郎がなだめたと言う事は、佐竹に取って決定打となろう。その一撃で佐竹はもはや完全に我々の配下となってしまった。小次郎はある意味童神よりも恐ろしいかもしれぬな」

「言われて動く事がよしと言う人間は存在します。しかしもし、ぶしつけ極まる話ですが小次郎様に才覚がなかったとしてもさほど支障があったように思えないのはそれがしの気のせいでしょうか」

「気のせいではない」


 誰かに誘導されて動くのは情けないとか言うが、それでもその方が実力が発揮できる人間はいる。蘆名政道は政宗から見てもおとなしい次男坊だったが、それゆえか政宗のような激しさはなく、どこか人たらしの気がある。童神に対しても政宗のように自ら対話したりはせずとも小十郎の様に拒否はせずにすんなり受け入れ、最上義光や大浦為信、そして蘆名の住民に佐竹義宣と言う存在ともうまくやっている。これはこれでかなり得難い才能だ。

 だがその才能がなかったとしても、優秀な家臣がいてその家臣の言葉を素直に聞き入れるだけの器があればさほど問題はない。政道の筆頭家老となっている鬼庭綱元は父以上に優秀な人物そうであり、その綱元が政道を正しく導いていた可能性もあると言えなくはないのだ。


 そして政宗は言うまでもなく有能だが、それ以上に活動的だった。有能ゆえに行動を成就させるが、活動的なゆえに周囲を振り回す。必死に手綱を握ろうとするが、そうするとむしろ悪い方向に行きそうだからできない。なんともジレンマに満ちた存在であり、扱いにくい存在だった。

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