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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第六章 小田原に迫る両刃
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服部半蔵が感じたのは

 正月が終わってほどなくと言うべき、一月九日。


 半蔵は初仕事と言うわけでもないが、甲州にいた。


 一応松平領であるとは言え、まだ統治が安定しているとは言いがたい地。


 昨年はあの霊武者が暴れ、未だに当主の万千代丸は帰還できていない。現状では菅沼や鳥居、奥平と言った甲州者たちが預かりと言う形で入っており、南信の統治もおざなり気味になっている。

「かの武者はまだ我が主を許したまわぬか……」

 いつ、万千代丸が甲州に帰還できるのか。それこそ数千単位の兵を引き連れ徹底的に乳母日傘承知でやるしかないのかもしれない。


 掴み切れない敵。いや、敵か否かはまだわからないがそれでもなお断定の出来ない不透明を極めし存在。

 甲州や信州だけでなく大坂や京、九州にまで現れて何をしたいのか。昨年には佐々成政まで殲滅したかの霊武者。

 武田を憎んでいるとも、穴山を憎んでいるのかさえも分からぬ存在。

 自分たちと違う理で動いているとしてもその理が何なのか分からぬ存在。


 またこの甲州に現れ、万千代丸たちを受け入れまいと欲するのか。そこまでの無念をどのようにして晴らせばよいのか。



「…寒いな」


 奥州や信州に比べればまだましとは言え雪の積もっていた地、甲州。

 雪の中にたたずむ半蔵の視界は大半が真っ白であり、その白に太陽の光が照り返す物だから目立って仕方がない。忍びにはまったく不都合な環境であり、半蔵とて長居できるか難しかった。ただ雪は音も吸い込む事だけが利点ではあるが、それでも人間が動ける環境ではない。


 一応破壊されてからまともに修繕されていない穴山家の墓へと行ってみる。一応復興された躑躅ヶ崎館からほどない距離にあるとは言えかの霊武者の圧倒的な憎しみにより地元民ですら裏切り者の末路であるとして放置されたその墓にはもはや野犬すら寄り付いていないと言う。

「裏切り、か……」

 裏切り。そう盛んにあの霊武者は連呼していた。

 誰に裏切られたのか。それゆえに穴山の行いを許せなかったのか。

 確かに穴山信君は武田信玄の義兄ではあるが勝頼とは折り合いが悪くまた言うほど武田家に密接に結びついていなかったとも言われ、信君が勝頼を裏切ったと言うより勝頼が信君を裏切ったと言う指摘もあった。


(もしかすると…)


 裏切りと言うのは、あるいは名目なのかもしれない。穴山に対する怨恨があり、それゆえに墓を荒らしたのかもしれない。そして武田にもまた別の意味で怨恨を抱き、それゆえに武田の一族であった穴山やその名を継がんと欲した万千代丸を許さぬのかもしれない。




「む!」




 なればと思おうとした半蔵の耳に、わずかに音が鳴った。


 明らかに何かを、と言うか剣を打ち合う音。穴山の墓からして北の方と思われるその音、わずか一度しか鳴らなかった音を頼りに半蔵は雪の上を走った。


 わずかな音を立てず、この雪の中で動けるウサギのような生物にさえも気付かれぬまま、走る。まるで霊武者のようだなとか思いながら、半蔵は音を頼りに走った。



 やがて、案外と早く目立つ存在を見つけた。



 無論、半蔵に言わせれば、だが。




「風魔…!?」


 少しばかりうずくまっているように見えた、一人の山伏。


 どう見ても不釣り合いなその装束を身にまとった男が何者かなど、半蔵にはすぐわかった。もっとも半蔵とて猟師の振りをして蓑を被ってはいるがまともな装備などなく、そういう点ではお互い様だったと言える。


「半蔵、か……」

「風魔。こんな所で何をしている」

「………………今更、すっとぼける事も出来まい……」

「多弁であるな」


 風魔小太郎が自分よりは多弁である事を、半蔵は知っている。

 関わりたくはないが関わってしまわざるを得ない以上、顔見知りにならざるを得ない。お互い様とは言え、それこそ致命傷なのにだ。


「主のために情報を得るのみ…………」

「こんな所までか」

「お互い様であろう………………」

「だな」


 風魔は身を起こすとすぐさま飛びのき、距離を置く。その身のこなしは流石であり、半蔵も驚くほど足跡を残さなかった。


「だが…ここで貴様を討てば」



 そしてそのまま半蔵に向けて斬りかかって来た。半蔵もすぐさま受け止め、そのまま斬り返す。


 たった二人の、戦が始まったのだ。


「…!」

「む…」


 もっとも短刀と言うに等しい忍び刀での打ち合いなので迫力はなく、それでいて急速に殺気だけが高まる。声もお互い出そうとせず、お互いがお互いの命を奪い合うためだけに戦おうとした。

「チッ…」

 だが五度ほど斬り合った所で半蔵は風魔と同じように後ろに飛びのき、そして風魔と違ってゆっくりと下がり出した。


「何…?」

「ここで死ぬわけには行かぬ…」


 半蔵の言葉に風魔はほんのわずかに、至近距離で見ても分からぬほどに目玉を丸くした。その事に気付いた半蔵はここぞとばかりにさらに飛びのき、距離を離して行く。


「待て!」


 これまでとは違う声の大きさで、風魔が半蔵を追う。

 絶対に逃がさないと言わんばかりの気迫と、底知れぬ殺意。

「待つ理由はない…」

「この!」

 半蔵が軽く聞き流そうにも付いて来る小太郎。雪上を走る二つの生命体を追う視線はなく、ただ追いかけっこだけが繰り広げられる。


 半蔵が向き直りもせずに手裏剣を投げ付けると、小太郎はやはり止まりもせずに高く飛び上がり前進して来る。半蔵はやはり振り向きもせず、ただただ逃げる。


 一見半蔵が情けなく見えるが、忍びとは本来正面切って戦う存在ではなく逃げるのが本懐だ。いかに服部半蔵や風魔小太郎が一流の武芸者だとしてもそれは他の武将で代わりが務まる役どころであり、忍びには忍びしかできない役目がある。よほどの機密情報を握られていたり主の身に危険が迫ったりしていなければ、わざわざ相手を殺しに行く事はしない。ましてや、敵将の暗殺など絵空事の世界である。


 そして忍び同士の戦いもまた、暗殺までは行かないにせよそれほど現実的な話でもない。


「なぜだ…?」

「……語る必要はない!」

「軽口を叩く余裕もないのか。何を追い詰められている?生粋の忍びを気取るいつもの貴様はどこへ消えた?」



 半蔵からしてみれば小太郎は軽く、小太郎から見れば半蔵は重たい。


 小太郎に言わせれば半蔵は忍びの真似をしている武士であり、半蔵に言わせれば主君に忠を尽くす事の薄い存在である。小太郎自身氏康には忠義を尽くしていたが氏政となってからはやや縁が遠くなっているとも言うが、この小太郎が氏政と縁遠そうには思えない。


 何と言うか、やけに武士染みている。


「…貴様がそれを考える必要はない!」

「話術は貴様の方が優れていよう」

「今は今…!」


 半蔵は家康の前でさえも不言実行を実践しており、舌先三寸をこねくり回すような事はしない。だがそれでも必要とあらばするし、相手の痛点を付くぐらいの事はできる。この場合痛点を付いていると言うよりただ違和感を吐き出しているだけだが、これまでの風魔小太郎とは違うと言う事を付くのには成功していた。


「逃げるのか!」

「逃げようとしているのは貴様だ!」



 その流れのまま、向き直り小太郎の忍び刀を受け止める。

 確かに速いが、狙い筋が素直だった。いつもの小太郎ならば、それこそこちらの急所を狙うべくまったく思いもよらぬ場所ばかり狙ってくるはずだがそれがない。極めて武士染みた刀捌きであり、手裏剣など懐の得物も使おうとしない。

 いやまるで、それらの存在から逃げようとしている。搦め手を使う事を恐れ、逃げようとしている。


「忍びの術とは何か?答えよ小太郎!」

「……………………」

「こういう事だ!」


 半蔵は雪を左手で掴み、投げ付ける。

 反応が遅れた小太郎は雪を真正面から受けてしまい視界が塞がり、勢いを頼りに刀を振るが接触の感触がない。


 あわてて手で雪を払うも、半蔵の姿もない。あわてて敵を求めるが、前はおろか後ろにも横にもいない。


「……逃げたか!」


 雪上を走る小太郎の捨て台詞を聞いたのは、雪だけだった。







「あれは、小太郎にして小太郎にあらず……」


 既に小太郎から遠く離れて駿河へと向かっていた半蔵は、改めて小太郎の戦いぶりを思い返していた。


(本当の殺意…いや、武士としての気……!)


 小太郎自身優秀な武芸者であるのは間違いない。だがあの場にいた小太郎はその身体能力と武勇のみを恃み、忍びらしき搦め手を取ろうとしていない。

 まるで武士だ。自分以上に武士だ。


 


 —————あれはもはや、小太郎ではない。




「…………」


 では誰なのかと言う疑問を呑み込み、半蔵は甲州を去った。

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