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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第六章 小田原に迫る両刃
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北条の失策

 三月十日。


 北条軍は上野へと向かっていた。


 兵たちの足取りは重く、大将にもやる気はなさそうだった。


「大将様、お館様には…」

「一応訴えはした。だがそれでも有無を言わさぬ態度でな…」


 大将こと北条氏邦は、ため息を吐いていた。


 ほぼ無役であった氏邦に与えられた役目は、氏邦や兵たちをそんな気持ちにさせるそれだったのだ。




※※※※※※

「名胡桃城を狙え?」

 

 名胡桃城は上野のかなり北にある城で、真田領に近いと言うかほぼ真田領である。その真田領を犯すなど、それこそ真田に喧嘩を売るような物ではないか。


「誰のせいで北条が苦しんでいると思っている」

「はい…」

「下総はその大半を佐竹や里見、その後ろ盾になっている奥州統一連合とか言う連中に持って行かれ、この調子では下野も危うい。と言うか今年中に連中はやって来る。これを放置すれば北条はどんどん蚕食されこの小田原すらなくなってしまう」

「それでなぜ上野に」

「知らんのか」


 敵の狙いが下野ならば下野を守ればいいのに、なぜ下野ではなく上野の名胡桃城へ行けと言うのか。その当然の疑問に対し、氏政は鼻で笑った。


「今、名胡桃城は手薄だ」

「そんな事を言っても、ここから名胡桃城までどれほど!」

「もし警戒されていたらそのまま沼田に入り、その城代として務めよ。そこからなら下野の警戒も出来よう」

 沼田城は上野の中央ではあるが関東平野とは比べ物にならない山地であり、下野への便は地図の上ほど良くない。いっそ川越城辺りの方が早く駆け付けられそうなぐらいであり、平たく言えば西向きの城だった。




「と言うか氏邦、ひと冬越してもまだ熱が覚めんのか。里見が既に奥州統一連合とやらにひざを折ったのが悔しくてかなわぬ気持ちはわかるが、少しばかり頭を冷やした方がいい。しばらく小田原も下総も離れ、西の方を向け。さすれば気持ちも落ち着こう」




 そして、その後に出て来た言葉がこれだったのである。

※※※※※※




(…結局兄上、いやお館様はわしを信じてくれなかったと言う事か!)


 座敷牢に入れられてまで必死になって訴えたはずなのに、結局霊武者と言うかあの童神の事を氏政は真に受けてくれなかったと言う事か。

 初めて出たのは奥州とは言えもう三年も前なのに、まさか情報が入ってない訳でもないのに。

 その上で数千単位の目と口があるはずなのになぜ目を耳を塞ぐのか。数千単位の人間の頭がおかしくなったとか言うのなら、それはもはや北条そのものの終わりと言うだけの事ではないか。


 佐竹も、里見も、蘆名もおかしくなっている。

 そして、勝っている。まともな精神状態でできないのが戦とは言え、こうなってみると正気であるはずの自分たちが負けていると言う現実が重く重くのしかかる。

 佐竹だってそのはずなのだ。二年前、人取橋でこっぴどくやられた時彼らはおかしくなっていたのか。いやどう考えても正常であり、だからこそ佐竹義重を失ってしまったのだ。


「それにしても、ここ最近お館様はいささかおかしくはありませんか。それまでは霊武者や童神の事もそれなりに真摯に考えていたはずなのに」

「落ち着け。道理に合わぬものを受け入れろと言われても難しい。ましてやお館様は今年で五十一だ」

「私とて五十一です」

 五十一と言う年齢は、人間の考えを固めるには十分すぎた。氏邦は十個下の四十一だが、自分でもそれなりに兵法を学び経験も積み武将として出来上がったつもりでいた所に投げ付けられた一撃に対処しきれないほどに自分でも硬直しているのを自覚していた。だからこそ隊長格を含め若い兵たちをくれるように兄に請願したが、与えられたのは氏邦に元からくっついていた兵たちばかりで若い兵はほとんどいない。



 と言うか、沼田城を出てもなお敵の気配がちっともない。


 沼田城を守っていた猪俣邦憲からさえもお気を付けくださいとか言う通り一遍のそれしか返って来ない氏邦軍は、それこそほとんど自腹で捜索を行わねばならなかった。

 確かに下総で惨敗したのは自分の責任だとは言え、ここまでの仕打ちが必要なのか。そんな打ちひしがれた男たちの事など知らずに春の木々は生い茂り、いるかいないかわからない兵を隠していた。


 名胡桃城について何も教えてくれないほどに信用を失った大将の兵たちは、それでも健気に主人のために戦っていた。山林を歩き回り、敵を探し求めた。



 だが、速度を抑えて前進しても、ちっとも見つからない。

 間者すらおらず、いたとしても農民や木こりばかり。

 もちろん名胡桃城から誰か出て来る事もない。

「猪俣殿は!」

「下野の佐野様の事が心配だとしか言わぬ事を忘れたか。それが今のわしの地位でありわしの扱いなのだ」

 名誉挽回とか言えば体裁はいいが、実際はお前でもできるだろうと言わんばかりのほとんど使い走り。それも、全く当てにならない情報のためだけに。

 敗戦の責任は当然あるが、それにしても仮にも弟に対してあまりにもひどい話ではないか。兄弟親族だからと贔屓しないと言えば体裁はいいが、なぜここまで雑に扱われねばならぬのか。



 とにかくそんな調子で進んでやって来た名胡桃城。

 だいたい想像通りの、いかにもな山城。


「どうなさいますか」

「一応叫んでおく。この数を見せ付ければあっさり門を開くかもしれぬ。無論ダメだった時のために攻城戦の準備は整えておけ」

「はい」


 氏邦もやる気を絞り出すように定型句を口にし、部下もそれに従う。攻城戦の準備をする部下、名胡桃城に宣戦布告と言うか降伏勧告をしに向かう部下、この後の事を考える部下。

 誰もが、早く終わらない物かと思っていた。もし敵が本気で来るならそれでいい。城を落とせなくとも戦で勝てば少しは気分も晴れる。とにかく自分自身の憤懣を晴らすためにも名胡桃城に翻る六文銭の旗を三つ鱗の旗にしてやろうと自分たちなりの本気の速度で動き出した。



 やがて準備を整えた氏邦軍の中から、一人の兵と言うか氏邦の側近が単独で名胡桃城に向けて馬に乗って進んだ。馬蹄の音だけが鳴り響く静寂の中、城門の目前にまで達した。


「我々は北条の軍勢である!この名胡桃城は完全に包囲されている!命が惜しくばこの城を明け渡してすぐさま立ち去れ!」


 びた一文たりとも型を外していない口上を唱え、降伏を迫る。無論

「ふざけるな!この城が欲しくば力づくで取ってみせろ」

 と言う言葉が返って来るのは先刻承知の上であり、これも一種の作法だった。虚礼と言われようが何だろうが、やるのが名家である北条としての意地だった。もちろん鎌倉幕府にて執権と言う名の最高権力者であった御家と関係はないが、それでも元より関東の名家であった御家の名を受け継いだ以上責任と言うのはある。


「聞こえているのか!百数えるうちに答えよ!」


 反応がなくとも、これぐらいやらねばならない。それが戦における礼節ではないか。

 そして実際問題、この礼節を守らない相手の方が対外的にはやりやすい。いくら戦国乱世が百年続いたからと言って、無法者は無法者でしかないのは変わらないはずだ。


 実際にその通り、一から数え始める。

「十三、十四、十五、十六…」

 律義なほどの声と共に、兵たちはゆっくりと近づく。臨戦態勢とはこういうことだと言わんばかりに、目一杯威圧してやらんとする。

「三十二、三十三、三十四、三十五…」

 何かあればすぐ飛び出してやると言わんばかりに迫る兵たち。じっと迫る数字。


 そして。


「六十四、六十五、六十…!」

 


 六十六まで数えられた所で、全てが動き出した。



「狙撃か!」


 一人の男が、櫓から弓を引き絞っていた。その矢が数を数えていた男の胸元を狙って飛び、寸での所で凌ぎ切られた。


「ええいもはや構う事はない!進め!進め!」


 氏邦が言うまでもなく、兵たちは一挙に進撃を開始した。










「……愚かな」


 この騒乱もどきをじっと見ていた、一人の足軽大将こと服部半蔵正成はため息を吐きながら消えた。


 なぜ、気が付かないのか。なぜ、あそこまでの真似ができるのか。


 

 名胡桃城にどれほどの価値があるのか、なぜわからないのか。



(確かに城一つ渡すのは痛い…だがそれ以上の成果があるのならばか。いや、それより大事なのは……)



 真田が、北条に攻められたと言う事実。

 真田がどれほどまで豊臣家の犬であるかはわからぬにせよ、もし豊臣家の忠犬であったとすればそれこそ絶好の機会ではないか。

 

 この事実を振りかざして適当に色づけすれば「北条は豊臣家の配下である真田家に喧嘩を売った」事になり、北条討伐の絶好の大義名分となってしまう。何をいまさらと言えばそれまでだが、名胡桃城の事を思うとどうにも合点が行かない。



 実はこの時名胡桃城にいたのは、先ほど矢を放った兵士一人だった。後はそれこそ煮炊きをするような女性たちさえもおらず、文字通りの一人ぼっちだった。

 そしてこの調子だと物資の量もおそらく知れた物であり、それこそ文字通りの空城かもしれない。


 とは言え、そんな大胆な事などいくら精巧にやろうとしても気付きそうなはずだ。




「まさか…」


 半蔵は、一人の男を思い出していた。


 氏邦、いや氏政に情報をもたらすべき男を。

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