五条大橋
「なんだよあいつは…随分と張り切りやがって…」
石田三成が山村まで出向いて刀狩を実行する中、福島正則は京の警護と言う名のふらふら歩きを楽しんでいた。
いかにも田舎のあんちゃんと言った風情の格好をした正則であったが、自分に向けれる視線など一向に気にしていなかった。
(これだから三成の奴はとか思ってんのか?実際俺はただの桶屋のガキンチョであいつは学問もある茶坊主だろ。瓜の蔓に茄子はならねえって言葉ぐらい俺だって知ってんだよ)
福島正則は、それほど身の程知らずでもないと自覚していた。
自分は尾張の田舎者でしかなく、いくら錦を着て歩いてもただの田舎者でしかない事をわかっていた。
秀吉が何者か、わからない訳ではない。だが自分の力で勝ち取った秀吉に対し、自分はただくっついて来ただけ。それならそれ相応に振舞うまで。馬子にも衣裳とか言う言葉など、正則は信じていない。
「しかし殿」
「何だよ」
「京は大坂ではございませんぞ」
「わかってるよ。でもさ、あまりガチガチにしてるとまた何かやる気じゃねえかこいつらって町の人たちがびくびくしちまうだろ?ちょっとなめられてるぐらいでいいんだよ。あまり抑え込むとまた反発されるだろ?」
「それはそうですが」
「何、俺は気にしちゃいねえよ。ったく音楽、っつーか歌ってのはそんなにすごいもんかね。俺は油断しちゃいねえけどよ」
正則が京にやって来たのは、そもそも理由があっての事だった。
最近、武士たちが襲われては刀を奪われ、そのまま逃げかえると言う事件が起きている。
ついこの前のその噂を聞き付けた連中がふらふらと歩き出し、挑みかかって見事に返り討ちに遭ったのだと言う。
ちょうど年明けの頃から出始めたその無法者を取り締まる事こそ、今回の正則の役目なのだ。
「でさ、何人が死んだんだよ」
「零人です」
「何だよそりゃ」
「ただし、得物を奪われずに済んだ人間も零人です」
「武士しか狙われなかったのか?ったくタチの悪い人種だぜ。
あれかよ、妖の笛って奴か?」
秀吉は武士ではない。武士でないからこそ平気で背を向けて逃げられる人間であったが、正則は田舎者の一兵卒の小姓上がりとは言え武士だ。と言うか足軽とて武士であり、武士と言う存在が戦いを挑まれて逃げるのは斬られるよりも恥ずべき行いである。
笛の音が 鳴り響いては 刀剣を 音色と共に さらう者あり
こんな狂歌も京の都にて語られ出している。
笛の音だけで刀剣を奪っていくなどそれこそ妖、と言うか近頃噂の霊武者以上にありえないではないか。
実際に話を聞いてみるとやはり、普通に挑みかかっては負けて刀剣を奪われただけだと言う証言が二ケタ単位で集まっている。笛を吹きながら誰かを呼び付け、その上で戦いを挑んでいるだけではないのか。
「っつーかどの辺りに出るんだよ」
「情報を集めた所こちらの方角に多いと…」
「こっちの方角?おいおいまさか…」
そんな風に狂歌とやらを笑っていた福島正則がさらに苦笑したのは、事件の発生地点を知らされた時だった。
「五条大橋じゃねえかよ」
「そうなのです。この五条大橋の付近、いや五条大橋その場にて刀剣を奪われた例が十の内七以上に当たるのです」
「ったく…物真似もほどほどにしろっつー話だよなあ!そいつの特徴ってのは上がってんのか」
「真っ白な頭巾を被り袈裟を着て、胸に数珠をししょい駕籠に刀剣を入れ」
「ギャハハハハハ……!」
福島正則は下品な声で笑った。
五条大橋と言えば、武蔵坊弁慶。
かつてその五条大橋を渡る平家の武者を狙い九九九本の太刀を狙い、千本目の太刀を狙おうとして牛若丸こと源義経に敗れその臣下となったとか言う五条大橋。
こんなにもいっちょかみの腕自慢たちが好みそうな場所もないと言う物だ。
「一体何だってんだよ、で、いつ頃出るとかないのか」
「あまり規則正しくはなく、それこそいつ出るかわからず。数分単位で出た時もあれば七日間出なかった時もあるとか」
「道理で話が回って来ねえはずだよ」
そんな浮かれ上がった一行が五条大橋に近づくが、反応は何もない。と言うか武士以外は全く襲わないせいか今日も商家の小僧などが行き来しており、不思議なほどに平穏だった。
「どれどれ…とりあえず俺が行ってみるか」
福島正則が、この場にいる武士の代表として歩み寄ってみる。不意討ちもあるかもしれないからそれなりに警戒はして見せるが、それでもそれならそれで戦うまでだと割り切っていたし後腐れなどないつもりだった。
「笛の音です!」
「フン、ついに来たか……やってやろうじゃねえかよ!」
笛の音が鳴る。
だがどこか不自然で、口笛で無理矢理笛の音を再現している感じだった。
その不自然さが恐怖を掻き立てているのだろうと思って正則は気合を入れ直し五条大橋へと歩み寄り、すっかり慣れっこになってしまったのか悲鳴も上げずに五条大橋から離れた町民たちをかき分けるように進む。
「皆よく聞け!これよりこの場は戦場になる可能性が高い!刃傷沙汰に巻き込みたくない故下がれ!」
正則がらしくもない口上を唱えるが、町民たちは一、二歩しか下がらない。すっかり楽しんでいる風情だった。
どうもこれまでは木っ端の様な武士しかいなかったらしく、福島正則と言う大物の登場に沸き返っている風情だった。
そして。
「お前も亡霊なのかよ!」
そう正則が反応するのも無理はない形で、男は出て来た。
全く気配もなく、いきなり五条大橋の上に仁王立ちの姿で出て来た。
格好は言うまでもなく、真っ白な頭巾を被り袈裟を着胸に数珠をししょい駕籠に刀剣を入れているそれ。
「まさか本物の…」
「本物ならそれでよし!武蔵坊弁慶に勝ったとあればその名は万世に轟くし負けたとしても悔しくはない、引き分けでもそれでよし!さあやってやろうじゃねえか!」
正則が悪ガキから、武将の顔になった。
「さあ行くぞ!」
正則の刃が、弁慶らしき亡霊の刃に向けて飛ぶ。
この時代の将兵を何十人と斬り飛ばして来た刃は確かに鋭かったが、亡霊は右手のなぎなたで軽く弾き返す。一歩も動こうとしないまま、まるで枯れ木の枝を相手にするかのように弾く。
「なるほど、これは強い!強い!甘く見ていた自分が戯けだったと言う事かよ!」
「……」
「どうした!そっちが動かないならもう一回行くぞ!」
正則は再び刃を振る。風まで起こせそうなほどの一撃であったが、やはり亡霊はなぎなたで軽く払う。正則の刃は浮き上がり、そのまま持って行かれそうになる。
「甘い!」
だがそれも予想の範囲内だとばかりにその反動を生かし、正則は刃を叩きつける。これまで何度も遭遇して来た事態であり同じようにすれば良しと言う、まだ二十代のくせに積んできた経験を振りかざしての一撃。
「ム…!」
そのおかげで、ようやく声を出させる事には成功した。だがそれ以上の変化はなく、相変わらずなぎなたの動きは小さい。
ただし、弾き返される程度も小さかった。
「どうやらそなた、本物の武蔵坊弁慶らしいな!今まで侮っていた事を詫びる!ならば教えてくれ、なぜ今ここに来た!」
「……」
「関白殿下様に何の用がある!なぜ今になって!」
「……ウラギルノカ……」
「裏切りだと?」
裏切り。
かの霊武者もこぼした言葉であったが、正則はその事を知らない。
「俺は関白殿下の家臣、福島市松だ!裏切ったりなどせん!」
「……カンパクハ、ソナタヲウラギラヌノカ……?」
「馬鹿を言え!許さんぞ貴様ぁ!」
そして秀吉が自分を見捨てるかもしれぬとか言う言いぐさに正則の頭は熱くなり、これまで以上の速度で斬りかかった。
「チッ…!」
弁慶らしき亡霊も、本気でやってやると言わんばかりになぎなたを激しく動かす。福島正則と武蔵坊弁慶、当代と古代の武芸者たちによる激闘が始まった。
「この野郎!」
「ムム…!」
「わかったら関白殿下に謝れ!」
「ソナタハヨシ…!ソナタハ…!」
「違うだろ!認めるべきは関白殿下の事だろうが!」
「ウラギラレ…ステラレ…」
「ふざけんなこの野郎!」
弁慶を、裏切った。
そんな命知らずな事をしたのは誰だ。
源義経と生涯を共にし、誰よりも固く結ばれた主従であったはずの存在を裏切るなどそれこそ神をも恐れぬ所業でありとても許される事ではない。もちろんこの亡霊が本当に武蔵坊弁慶だとすればの話であるが、いずれにしても侍として、いや人として許されるお話ではない。また単純に弁慶と言う存在の刃を受けて平気でいられるような人間など正則には思い付かなかった。
正則は感情を込めて刃を振る。自分の尊敬する主を貶められた怒り。ただそれだけで動けるほどには、正則はいい意味で単純だった。
これが石田三成ならそんな挑発に乗るものかと飲み込んだ上で格好だけ怒るかもしれないし、当然心底からの怒りではないから力を出し切れない。
「おおりゃあ!」
正則は、幾度目になるかわからない怒りの刃を振るう。
だがその刃が、空を切った。
「まずいか!」
正則は体勢を立て直すが、亡霊の姿は消えていた。
「勝ちましたぞ!」
「ええっ!?」
家臣の勝ったと言う言葉と共に京の町衆が大はしゃぎするが、正則だけは納得していなかった。
「落ち着け!このまま続けていたらどっちが勝ったか分からん!単に弱すぎる相手に飽き飽きしただけかもしれんのだ!」
「それでも負けなかったでしょう!」
「弁慶と互角にやり合うなんて!」
「福島様バンザーイ!」
歓声の渦を面映ゆく思う事など出来ないまま、正則は言い訳と言う名の混じりっ気のない本音をぶちまけた。
弁慶を裏切ったのは誰なのか。
いやあれはそもそも弁慶なのか。
(何が裏切り者だ、そんな奴がいたら俺がぶっ飛ばしてやる!)
とりあえず亡霊がいたとか言う当たり障りのない文だけを書き後は何を聞かれても知らぬ存ぜぬを決め込もうとか言う、果たされそうにない欲望を抱きながら正則は京の町から踵を返した。