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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第六章 小田原に迫る両刃
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奥州統一連合、真田昌幸と出会う

 一月半ば、雪を越えて上田城に一人の男がやって来た。

「怪しい者ではございませぬ」

 全く説得力のない口上を唱えながら、門を叩く男。

 大して震えもせず、じっと返答を待つ姿は、明らかに尋常な人間のそれではない。

 何より、尋常な人間は門が開くと同時に出て来た二本の槍に対し何の行動も取らない訳がない。


「素直に物を言え」

「身元を改めてくれても構いませぬが」

 ましてや、雪の中だと言うのに服を脱ぎ出すなどとても尋常な人間のする事ではない。もういいからとばかりに城門の中に入れられた男は両端を槍を持った兵に囲まれながらも何もすることなく、分厚い胸板をさらしていた。







「少しばかり気が立ってしまっていてな、許してくれぬか」

「当然でございます」

 真田昌幸も全く気のない定型句を吐き、その使者が傘の緒に巻き付けていた書状を受け取った。

「蘆名下野守殿か」

 下野守とか言う、人の事など言えないが勝手に名乗った名前をくっつけて送り付けて来た手紙。

 やはり、奥州統一連合の間者か。


「一応それがしは関白殿下の臣下と言う事になっている。同じく関白殿下の臣下である佐竹殿は息災か」

「ええ」

「昨年北条を打ち破った事ぐらいはこんな山里の住人でも耳に入っております、誠に祝着でございましたな」


 じっと、相手の出方をうかがっている。



 北条と奥州統一連合のどちらが先に佐竹に手を出したかによって、話は違って来る。奥州統一連合が先なら佐竹は奥州統一連合に屈したと言えるし、北条が先なら奥州統一連合は北条から佐竹を守ったと言える。

 佐竹は既に豊臣家に臣下の礼を取っている事になっている以上、前者ならば佐竹は豊臣家を裏切ったとも奥州統一連合に脅されて屈服したとも言える。だが後者なら奥州統一連合は北条から豊臣家の臣下である佐竹家を守った正義の味方である。北条にとってはずいぶんな話だが、それもまた世の決まりだった。


「北条を打ち破ったのはまったく佐竹と里見の力にございましょう」

「蘆名殿がおらねば北条に勝つ事は出来なかったと見ますが」

「まさか佐竹や里見がそんなにも弱っていると」

「里見はともかく佐竹は弱り切っておりましたでしょう、それとも北条はそこまで惰弱であったと」

「でしょうな。佐竹を二年間も放置するのですから」

 間者の方もなかなかに狸であり、自分たちなどおまけだと言わんばかりに佐竹や里見の武名を並び立てる。実際先の戦いにて奥州統一連合と言うか蘆名軍がやったのは敗残兵狩りでしかなく、主力は佐竹軍と里見軍であった。もっともその分だけ損害も大きかったが、戦果も大きかったと伊達政宗などは思っていた。


「とりあえず…おっ?」


 昌幸は白湯を間者に差し出す。

 親切とか懐事情とか言うより、いかにもまだ返答は決まっていませんけどと言わんばかりの飲み物であり、そちらが話を濁すのならこっちのと言わんばかりのそれである。

 で間者も間者でその白湯をぐっと一息に呑み干し、少しばかり熱そうにしながら嚥下してみせる。

「いえいえ、それがしもこの道を歩いて来たせいでひどく体が冷えておりましてな」

 そちらの無回答と言う回答はもらいましたと言う、下手な殺し合いよりも厳しい畳の上での牽制合戦だ。


「まさか毒が入ってないと思うほどには信用されているとは驚きましたな」

「それがしがひと月以内に戻って来ぬ場合にはそういう事であると考えると蘆名様自ら仰せです」

「ふむ、それでまさか上杉や佐野の領国を越えてまで手紙配達でもありますまい。奥州統一連合に入ればそんな事も出来るのですか」



 ここにきて次々と水を差し向けた昌幸自身、なんとなく話に巻き込まれている気がしないでもなかった。

 もし真田が心底から豊臣家に忠義を誓っているのならば、一も二もなく奥州統一連合とか言うよくわからない存在の人間など斬り捨ててその首を秀吉にでも送りつけるべきだったからだ。それこそ書状など無視して適当な名目をでっちあげれば、真田はさらに出世できるかもしれないし秀吉の天下統一も一気に進むかもしれない。

 だが、しょせん「かもしれない」である事も事実だ。



 自分で言うのも何だが、あんな事があったとは言え四か国半を治める大名であった徳川軍、いや今は松平軍の攻撃を防げる程度にはこの信濃は厄介な地である。

 そして奥州と言うのは、それ以上に厄介だ。

 越後よりもさらに北にあり、一体何ヶ月の間雪に埋もれていなければいけないのか。もし仮に十月末から三月頭までだとしたら、それこそ四ヶ月近く何もできない事になる。

 敵味方、共にだ。

(その間にどれほどまで消耗せねばならぬのか……はるか西の越前でさえも冬は雪に埋もれると言うのに)

 奥州と言う天然の要害を攻めるのは、非常に難しい。前九年の役とか言うが実際は九年どころか十二年であり、さらにその後の後三年の役を含めれば十五年、いやその両方の戦の間隔を挟めばそれこそ三十六年の役ともなると言う気の遠くなって来る話だ。十五年とか三十六年とか簡単に言うが、武田信玄が亡くなったのが十五年前であり、三十六年前となると第一回の川中島の戦いすら起きていない。



「聞けば、真田様は大変関白殿下にお気に入れられているとか」

「それは」

「いえ、真田の次男殿は上杉の家老様や関白殿下の側近の石田様と昵懇であり次の時代を支えるとも言われていると」

「愚息にそんな話などありますまい」

「ぶしつけながら、我々とてただ奥州で仲間内の戯れ合いをやっている訳でもないので。大浦様はいつでも本気です」



 そこに出て来た、大浦と言う名前。

 その男がこの国の北の果てにいながら中央をも見据える力を持っていると言う事を悟った真田昌幸の顔が、わずかに青くなった。


「その大浦殿が愚息の事を」

「ええ。蛙の子は蛙であると」

「意味が分かりませぬ」

「我々四人して、是非とも真田殿を味方にしたいのですが」


 そしてついに、本題を叩きつけて来た。


 真田を奥州統一連合に入れようと言うのだ。


「それがしはたったの数万石ですぞ」

「三軍は得やすく一将は求め難し、ましてや二将なら」

「おべんちゃらもほどほどにして頂きたい」

「佐竹も里見も既に奥州統一連合に付く事を決めましたぞ」



 それが嘘ではない事は、何となくわかっていた。

 人取橋の戦いで伊達に完膚なきまで敗れた佐竹は抵抗力を失い、北条と伊達のどちらかに従うしか生きる道はなかった。仮に豊臣家云々を持ち出したとしても、常陸まで豊臣軍が行けるはずもない。せいぜい龍造寺のようにいったんどちらかに身を屈した上で寝返るとか言う事しか出来そうになく、伊達と言うか奥州統一連合に付いたのはしょうがないのだろう。また里見も佐竹が態度を決めた以上他に選択肢もなく、両者してある意味自然な流れでそうなってしまったのだろう。


 そして奥州統一連合の目下の敵ははっきりと決まった。言うまでもなく佐竹と里見を圧迫している北条だ。

 さらに、北条は豊臣家に取ってもあまり愉快な存在ではない。仮に服属するとしても島津のように一戦ぐらい戦っておかねばならぬような、と言うか北条自身がただの百姓だった秀吉に何もせず服属するほど自尊心のない御家ではない以上、どうしても激しい戦が必要となる。

 さらにその先に奥州統一連合が待っている以上、豊臣家としてもあまり本気でかかる事も出来ない。ついさっき考えたように奥州は極めて攻めにくい土地であり、上杉より東の大名が全て一体になればそれこそ攻略に何年かかるかわからない。内部分裂を促そうにも大浦とか言う北の果ての大名が中心人物の一人となっているとなるとそんな事は出来そうにない。


「しかし…」

「わかっております。やはり気になりますか、童神と呼ばれし存在が」

「気にならぬなど!」

「童神と霊武者。聞けば聞くほど似たような所が多すぎまする。あるいは兄弟や親子であったとか。まあ、依存する物でもないでしょうけど」

「それはその通りです、上田の戦いにてかの霊武者のおかげで勝てたなどと侮る者も少なくありませんでな、せっかくの勝利も薄れてしまいましてまったく腹立たしい事です!」


 

 さらに問題なのは、あの「霊武者」と「童神」だ。

 それこそたった一人で現れ、せっかく人が必死になって作り上げた戦局を全てぶっ壊して去って行く。敗者どころか勝者としても迷惑であり、正直現れて欲しくなかった。


「味方である限りは味方です」

「依存する物ではないと言っておいて!」

「まさかその霊武者に誰か殺されましたか」

「六分の勝ちは上、八分の勝ちは中、十分の勝ちは下です」

「慢心を恐れるのは素晴らしい事ですがあまり気を引き締めすぎると片倉様のようになりますぞ、酒の席でさえもずっと仏頂面をして泣きわめくような」

「伊達殿は素晴らしい家臣をお持ちですな」

「真田殿の家臣は大変ですな、主君が腰抜けで」


 皮肉でも何でもなく常日頃から慢心を戒める部下がいる事を昌幸は褒め称えたのに対し、間者の男はとんでもない事を言い出す。


「何…!」

「確かに緊張感を持つ事は重要でございます。しかし総大将がそれでは部下は潰れてしまいます。隗より始めよとは申しますが、総大将が何もかも頂点に立ちかつまめまめしく動くのでは、部下の存在意義が危ぶまれます。我が主君もその事を心配しておいででした」

「わかった。しばらく待たれよ」


 腰抜けと言った口を持ちながら頭を下げるその姿は、ちっとも矛盾していない。

 彼が自分と同じように相手を心配している事を悟った昌幸は、激しく手を振りながらも刀に手をかける事はしなかった。

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