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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第五章 徳川家康、松平家康となる
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徳川家康、松平家康になる

 上杉景勝が迷いを断ち切ってから十日後の駿府城は、ひどく騒然としていた。




「まさか、主君様自ら…!」

「いや落ちつかれよ、我々とて母親の系譜をさかのぼればどこかに…たぶん、おそらく……!」

「確かにそうは聞いていたが……」

 本多忠勝や井伊直政はあわてふためいていた。忠勝はまだ何とか正体を保っていたが、直政は完全に乱れていた。

 大久保忠世が何とかして場を治めようとするが、それでもその場にいた人間たちの混乱は全く治まる気配を見せなかった。

「静まれい」

「似ておらんぞ」

 大久保彦左衛門も珍しく物真似をして見せるが、ちっとも似ていない事もあり場は落ち着かない。昔から三河武士の鑑の様であった男も少し変わってしまったと思いながら忠世に目をやる一同であったが、忠世も軽く突っ込みを入れたきり動こうとしない。

 もしこんな時、酒井忠次がいたらどうしたか。

 すぐさま使者をやってと言うか寄越したいのだが、返事が来るはずもない。何せ書状などまだ書き上げてすらおらずその話を聞いたのさえも一時間前だから当たり前と言えば当たり前だが、それでも文字通り矢も楯もたまらないと言わんばかりに落ち着かない将たちの姿は、ついこの前の兵たちとちっとも変わらなかった。




※※※※※※




「この徳川、いや松平家康は在原業平の末裔である」




 酒井忠次以外ほとんどの将たちを集めて為されたその宣言に、勇将たちは揃いも揃って腰を抜かした。

 辛うじて側用人の本多正信が平静を保っていたものの、その正信さえもキョロキョロと周りを見渡し扇子を何度も叩きつけそうになっていた。


 確かに、在原業平を出した在原氏なら官位をもらうに不足ではない。だが在原氏の初代と言うべき業平祖父の平城天皇はあまり覚えのよろしくない人物でありその点源氏よりは落ちる。と言うか清和源氏とか言うのも源氏の真の祖先である陽成天皇に乱行が多かった事からその父親の清和天皇から名前を取った言う説があるほどにはその名前は大事だった。

 と言うか、松平氏が在原氏の末裔であると言う根拠すら薄い。吉田兼右に調べさせた系譜に因れば藤原氏だと言う説もあり、正直在原氏より格上の源平藤橘の一つだ。実際家康は徳川家内部では源氏と言う事になっているが、公式的には藤原氏であった。



 だが実際問題、下剋上が横行しまくっていた時代に系譜も何もない。島津義弘のような守護大名や織田信長のような守護代の家系やらならともかく、織田の家臣団などそれこそ織田の国人どころか足軽上がりのそればかりでありまともな系図などあるはずもない。例えば前田利家は菅原道真の末裔とか称しているがそれこそ噴飯ものであり、菅原道真が五十七歳の時に太宰府に流されてから作った子の末裔とか言う話など誰も真に受けたりしない。

 秀吉については言うまでもない。


 そして松平氏自身も歴史の表舞台に出て来たのは百三十年ほど前からであり、秀吉や利家よりははるかにましだとしても目くそ鼻くそかもしれない、そしてそれ以前に松平親氏の時点で娘婿に過ぎない。

 それこそ人物として優秀であったとしても親氏そのものが新田源氏であるとか言う証明がない以上、家康だって元からかなり無理をやっていたと言うか最初に源氏の末裔だとか言い出したのは家康の祖父の清康だが、それやった清康が二十五で討ち死にしたと言う現実は拭いようのない負の歴史だった。もっとも新田氏でないとしても足助氏の時点で源氏ではあるが、それとて確証は薄いと言うか、実際母系を含めれば藤原氏でありながら源氏であると言う事象はちっとも矛盾していない。何なら松平親氏は藤原氏だがその妻は源氏だからとか言う屁理屈さえも、根拠さえ作ってしまえば通ってしまう。何せ秀吉が平氏の末裔を名乗りながら藤原氏の名前を手に入れた以上、もう何でもありなのだ。



「ですがなぜ源氏を!」

「人の一生は重き荷を背負っていくが如し……」

「はあ?」

「今のわしに源氏を背負って行くだけの勇気はない。対外的に藤原氏を気取ったとしても意味のなき事を、わしは思い知らされてしまった。自分だけの事ならばいくらでも我慢できようが、それでも我意を通し続けた結果がこれでは誰にも申し訳が立たん」

「まさかとは思いますが小平太殿の!」

「全くその通りだ」


 彦左衛門は自分なりに話をずらそうとしたのに、むしろそうだとばかりに家康は手を打つ。


「いや、小平太だけならばまだ耐えられたかもしれぬ。あるいは我が身だけならばまだ堪忍も出来た。

 だが、人取橋を聞き、関白殿下の話を聞き、いよいよ耐えられなくなった」

「人取橋と言いますと奥州の」

「ああ。その時の戦の経緯はもうわかっておるであろう」

「伊達軍が五倍とも言われている連合軍を討ち果たした大戦ですか」

「そこに現れた幼き武者、伊達左京大夫をも救ったと言う幼き武者と、小平太を討った霊武者。その両者が同根である事はもはや論を待つまい」

「はっ…」

「その幼き武者、一部では童神とも呼ばれている存在が討った者は佐竹義重、その次子義広、石川昭光、さらに言えばその前の畠山義継、さらに南部。

 わかるか。この名前が」


 石川はともかく、佐竹は皆わかる。

 南部もわかる。

 そして、畠山はもっとわかる。



「源氏…!!」




 佐竹は常陸源氏、南部は奥州源氏、畠山は足利家の分家。




 皆、源氏の末裔なのだ。




「そう、かの幼き武者が狙いしは皆源氏の裔。伊達に味方したのもあるいは伊達が源氏でなかったからに過ぎぬかもしれぬ」

「では殿が酒井殿の…!」

「ああ。精一杯警護を増やし不寝番まで付けたのはそのためだ。人の事を吝嗇だとうるさいからな、たまには金も出すわ」


 冗談めかしてはいるが、それでも顔は全く真剣だった。


 酒井忠次は家康の叔父であり、一説には別の方向の源氏の末裔であるとも言われている。いずれにせよ源氏であり、畠山・佐竹・南部と変わらない。


 そしてそれなら、あの霊武者が武田の一族である穴山家の墓を荒らした理由もわかってしまう。


「まだその全てまではわからぬ。されどかの霊武者が源氏に対して深き怨恨を抱いている事が事実。黒田殿の話も聞いたであろう」

「ええ…」

「黒田もまた佐々木家の末裔の播磨源氏だ。それこそ徹底的に狙われたのだろう」

「ですが島津は」

「島津は惟宗氏だ。源氏とか言うのはほとんど自称であり、わしが名乗っている以上に信頼されておらん。おそらく源氏とは見なされなかったのであろう」


 


 源氏と言う、武士として初めて国家を治めた存在をここまで憎む理由は何なのか。


 その答えは未だに分からないが、それでも今はこのとてつもない嵐を避けねばならない。

 しかも二つ。


「それから、北条もまた牙にかかったらしい」

「そんな!」

「どうやら里見の大将が北条に誘い出されて叩かれたのだが、その大将がやり返しだと言わんばかりに北条の陣に突っ込み、しかも荒すだけ荒して逃げ切った。これは確報だ」

「……」

 里見もまた源氏の末裔である。そしてその事を利用し、見事に一発逆転を決めて見せたと言う。

「では里見は…」

「蘆名に付くだろう。今の蘆名、いや奥州統一連合とやらはかの幼き霊武者を童神として奉る人間がいるような所だ。このままではなおも大きくなり、豊臣家と相対するのは必死などころか豊臣家にも結果的にせよ牙を剝く可能性が高い。我々もその流れから目を背ける事など出来ぬと言うわけだ」


 そしてその源氏を憎む存在を武器に、奥州統一連合とか言う新たなる存在は肥大を続けている。

 蘆名に伊達、最上に大浦とか言う聞いた事のない家。それが里見だけでなく佐竹まで取り込むとなると、北条でも太刀打ちできるか怪しい。上杉などはそれこそ鎧袖一触かもしれない。



「なればこそ、我々はその名を捨てるより他なかったと言う次第だ。良いか、嵐が過ぎ去るまでは耐えよ。断じて行えば鬼神もこれを避くとか言うが、鬼神に勝てるほどうぬぼれる必要はない。小手先だと言われるかもしれぬが、それならそれでまた手を打つまで。

 どうか心得てもらいたい、若人たちには気の毒であるがわしは元々人質同然であった身の上ゆえ。どうか、どうか」


 必死に頼み込もうとする家康を前にして、武闘派の重臣たちも何も言えなかった。

 ある程度わかっていたはずの本多正信さえもいつもよりさらに鈍足で体を引きずりながら家康に付いて行くのがやっとであり、その貧弱さをからかう声も出て来ない。もしかして本当に知らなかったのかもしれないが、だとしてもあの常日頃からすまし顔と言うかしたり顔を崩さない男の動揺に釣られるように、家康が姿を消すと同時に喧騒が始まったのである。




※※※※※※




「……源氏を恨む、霊…平家ですか」

「そんな安直な!」

「あるいは足利幕府により」

「真面目に物を言え!」


 誰もがありきたりな言葉でお茶を濁そうとするもなかなかうまく行かず、場は余計に雑然とする。


 家康の失意と言うか挫折もさる事ながら源氏とか言う重大なはずなのに何とも言えない存在がいきなり出張って来た。

 そしてそれに対しどうにも手の打ちようのない現実。


 源氏の血を引くも引かぬも本人の責任ではないではないか。

 


 そして、裏切るなと言う言葉。



 源氏の誰かに、よほどひどい裏切りをされたのか。




「徳川だろうが松平だろうが殿は殿である、それまでの話ではないか!」




 その答えがわからぬまま、大久保忠世により強引に話は打ち切られる。


 誰もが無理矢理に納得させられた中、遅ればせながら主君を追いかけるように駿府城の広間から去って行く。




 どの背中にも、猛々しさはなかった。

 皆が丸くなって逃げ腰であり、戦場で見せる姿はどこにもなかった。

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