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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第五章 徳川家康、松平家康となる
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亡霊武者再び

「何を考えておるのだ」


 氏邦をして他に何の言いようもなかった。

 

 多く見て千程度の里見軍の兵が、突っ込んで来る。これ以上の進撃を止めるための捨て駒かと思ったが、それにしても敵の士気が高い。


 小休止を止めて兵を動かしてみる。



 二つ引両の汚れた旗を立てながら走る兵たちは旗と同じく汚れており、まともなのは得物ぐらいだった。

 

「勢いをもって当たって来る兵には正面から立ち向かうべからず…」


 氏邦は冷静に、とりあえず用意の出来ている弓兵・鉄砲兵を構えさせ攻撃をさせた。

 あまり態勢は整っていないので散発的ではあるが射線はそれなりに張れたし命中した攻撃もあった。


 その間に態勢を整えながら少し後退し、打撃力を分散させるべく軍を分ける。

 狙いは自分かもしれないから少しばかり小賢しく隠れてもみせ、何とか正体を隠してやる。

 後続に兵はない。


(里見軍がどれだけ死んだかわかっておらぬのか…まあ佐竹には逃げられたが里見を叩いておけば留飲も下がるし計算も合う。それにしてもあまりにも強引と言うか何と言うか……里見の小僧は佐竹の小僧よりなお幼いな……)


 里見義康とか言う、それこそひと月前に亡くなった父から家督を受け継いだばかりの小僧。

 佐竹義宣のように苦難を経験している訳でもなくただ血の気が多いだけの小僧。


 そう言えば、対峙した時もやけに自分たちの勝利を信じて込んでいるような風だった。わき目も振らず押しまくるだけであり、そんなやり方で勝てるわけがないとわからないのがわからなかった。

 もしかしてこっちが疲弊していると思い込んだのかもしれないが、実際疲れているのは氏邦一人であり兵たちはただ待機していただけなのでむしろ元気だった。



「大変だ!」

「何だと言うのだ!」

「里見の総大将です!」

 どう見ても無駄な足搔きだと言うのに、一人の兵が叫んだ。あわててそちらを向くと、動揺はしていないが首を傾げたそうにしている。

 何だと聞く前に、その兵はとんでもない答えを寄越して来た。


 里見義康だと!


 もう一度兵を見てみるが、数はおよそ五百程度。どう考えても、全力とは思えない数。

 ましてや、生還の見込みなど一分もなさそうな所に。


「ええい影武者とは小賢しい!適当にあしらえ!わしは行くぞ!」


 氏邦は当然の答えを出し、当然の指示を出す。


 何が理由で総大将がこんな状況で突っ込んでくる必要があるのか。

 それこそ影武者でも置いて兵たちを集中させ追撃を止めさせるぐらいしか思いつかない。

 ならばそんな連中に構う事なく自分は自分のすべき事をするまで。


 氏邦は冷めた気持ちで千程度の兵を残して馬を南に向け、本物の里見義康を討ちに向かう事とした。







「北条め!逃げるのか!」

「逃げる訳ではないわ!お前などに付き合っておれんだけだ!」


 里見軍はようやく見つけた敵に向かって全力でぶつかる。勢いは流石にすさまじかったが、それでも北条軍からしてみればわざわざ全力で相手する必要もなく受け流せば勝ちと言う事もあり余裕もあった。


 正面から受け止めるふりをして左右から槍を突いたり矢を放ったり、あくまでも殺すのではなく死なない事を考える。


 強引に切りかかって来ようがじっと受け止め、脇から攻撃して集中させない。

 槍で突いて来たら上から叩き下ろし、方向をずらすか勢いを減算させる。

 勢いを止めてしまえば体力が切れてしまい、それこそ無駄死にになってしまう。

 

 実はここにいた兵たちは氏邦軍の中でも一番強い所であり、里見軍などとは練度が違うと言う自信があった。ちなみに一番弱いのが佐竹軍を追いかけたそれであり、二番目が誘導されて来た佐竹軍を叩いた軍勢である。

 そんな強い兵が守りに徹してしまった以上、破るのは困難だった。里見軍がいくら吠えようとも構うものか。声の大きさで勝敗が決まるのならば槍も刀も要らぬとばかりに振る舞う熟練兵たちの動きは、実に余裕があった。



 だが、余裕があったからこそすぐ違和感に気が付いた。



(何だ……?向こうも殺す気がないのか……?)


 いくら狙いが北条氏邦だとしても、どこか刃が鈍い。ただ弱いだけかと思ったが、それにしてもやっている事が自分たちと変わらない。

 

 と言うか、氏邦目当てなのか一部の兵たちが下がって行く。別に殺す気はないから逃がしてはいるが、それにしても奇妙だ。あくまでも氏邦を叩きこちらを止めたいのかもしれないが、それでもどれだけの意味があるのか。



「まあいいか、とりあえず逃がさない様に包囲するか……」



 その当然とでも言うべき言葉を覆い隠すように、鳴り響く音。



 馬蹄の音か。



 しかし、聞いた所一騎。


「敵援軍!数は一騎!」

「十人ほどで何とかしとけ」


 あわてる価値もないとばかりに適当な事を言い、里見軍を叩いておけばいいとばかりに将は振る舞った。


 だがその直後、その北条の将の首が舞った。



「よし…!」


 

 その言葉と共に、里見軍が全面後退して行く。

 

 いきなりの将の死に言葉を失うどころか次の行動すら失った北条軍だったが、次々とその命が奪われて行く。

 仲間たちを殺した何者かがいる事に気付いた兵たちが里見軍に構わず斬りかかるが、さらに屍を増やす。

「何者…!」

 それだけ言って命を落とした兵が幸福だったのか否かはわからない。


 自分の命を奪った刃が、また別の人間を斬っている事に気付かぬまま死んだ事が。


 

 ましてやそれが、里見軍であった事を。




「ヒーッ!」

「何だ、何だ、何だぁぁ!」

「ああああああああああ!!」


 北条軍は別に自分たちだけを敵視している訳じゃないと安堵するより先に、腰が抜けてしまった。

 第三勢力とか言うには()()()()()()()()()()により、全てが破壊されて行く。


 あちこち飛び回っては得物を振り次々と立ちふさがる者を北条も里見もなく斬り殺し、刃だけでなく走る速さも常人ならぬそれ。


 

 何より、常人ならぬ背丈。




 どう見ても、童子。




 三つぐらいの童子。




「まさ、か、まさ…!」


 里見勢が脱兎のごとく逃げ出す中、北条勢は次々と斬られて行く。数に任せて押し潰そうとした北条勢はことごとく刃にかかり、死体に変わる。一撃も与えられないまま、童子は里見軍を追いかけて行く。

 残った北条の兵士たちに、何かをする気力はない。


 ただただ、小さな背中を目で追うのがやっとだった。







 そして、里見軍と北条軍に追いついた童子は、再びその恰好にふさわしい仕事を始めた。


「武士…!?」


 いつもとは少し違う、やや大きすぎる物の歴とした甲冑を身にまとった童子はこれまでと同じように馬よりも速く走り、目の前の敵に向けて突っ込む。


「彼奴め、我が軍をやりおったか!全軍このまま里見勢もろとも討て!」


 ちょうど後方から来た里見軍が衝突したのと同じ時に向かって来た第三の存在に向けて氏邦は兵を差し向ける。

 しかし来ない。行ったのは、里見軍の後方だった。


「味方では」

「そんな訳があるか!」


 そのせいで一瞬戸惑いが生じた北条勢に向けて、里見軍が突っ込んで来る。その隙を突かれて北条勢の間に入り込んだ里見軍を包囲殲滅しようとした氏邦であったが、里見軍の勢いは凄まじい上に閉じるべき翼が機能しない。

「彼には里見も北条もありません!」

 その声の通り、第三勢力とでも言うべき幼き武者は次々と当たる存在を切り裂き、屍山血河を作り上げる。里見軍が構わずにいるとは言え北条勢の刃を全く意に介さず、刀を叩き上げて手から跳ね上げさせ空から降らして殺すと言うとんでもない方法まで用いる。

 そのせいで北条の押し込めるべき兵たちは死ぬか傷を負うかひるむかになってしまい、と言うか包もうとすればするだけ殺されて行く。


「追いつかれたら死ぬぞ!」


 そして里見軍は、その幼き武者が自分たちの敵でもある事を理解している。それを承知で四千の中に突っ込み、突破を図ろうとしている。


(まさか…!!)

 


 これを敵はわかっていたのか。

 あるいは最初から自分を囮にしてその童子を引き付け、それこそ無理心中を図るように……!


「ええい!もうこれ以上戦に意味はない!退くぞ!」



 氏邦に他に言う言葉はなかった。里見勢など構う暇もなく、四散しながら北へと逃げて行こうとする。だがそれに付き合うように里見軍も別れ、あくまでも無理心中を辞さぬとばかりの態勢を崩さない。

 そして童子もまたそれに付き合うかのように凄まじい速さで左右を動き回り、里見勢共々北条勢を斬る。だがその損害は現状の兵数の正比例するように、つまり推定八倍から十倍以上の北条軍の方が十倍どころか二十倍にも膨れ上がり、その間に里見軍は北条軍を突破して逃げ切ってしまった。


 





「勝ったぞ…!」


 里見義康は、鎧を引き裂かれ、髻も斬られて大童になりながらも、命を持ち帰る事に成功した。


 その顔には満面の笑みが浮かび、今すぐ死んでも何の悔いもなさそうだった。あの時一緒に突っ込んだ五百の兵は二百になっていたが、それでも皆一様に同じ顔をしていた。

「ですが」

「わしが斬られるならば仕方がなし……」


 だが北条に敗北をもたらした存在は、紛れもなく里見をも狙っていた。

 いや今でも狙っているかもしれない。

 しかしだとしても、それが宿命なら仕方がない。

 無論いざとなれば目一杯抗うつもりではあるが、それでも義康は自分の命で済むならばと思っていた。



 だが、来ない。


 いつまで経っても来ない。



 あの、幼き武者は来ない。




「まさか…!」

「ああ、ボロボロになった我々を知り、情けをかけてくれたのだ……とにかく、今は生き残ったことを感謝せねばな!」




 里見義康は、勝った。


 一世一代の賭けに、勝利したのだ。







 一方で、その賭けに敗れた北条氏邦の運命は、あまりにも悲惨だった。

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