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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第五章 徳川家康、松平家康となる
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里見氏の壊滅

 九月一日。


 たった一日休んだだけでまた戦場にて馬上の人となっていた北条氏邦は、再び笑顔をこぼしていた。



「勝つと思った瞬間こそ、人は負けに近づく。いや、勝ったと思った瞬間こそ人は一番負けに近づく」



 そう大言壮語する氏邦の足元には、二つ引両の旗が横たわっていた。


「確かに馬場城の一件は少しばかり痛い……だがそれまでなのだ」


 攻め込んでおきながら自分の方の城を荒らされて撤退、と言う字面だけ見れば敗戦である。

 だが、一か所での敗戦は全体での敗戦ではない。


「このまま一気呵成に攻めかかるのですか」

「そうだ。佐竹の援軍の数は多いようだが突っ切るまでの力はない。あったとしても城に籠れば突破はできん。いくら疲弊した兵とは言っても数は多いからな」

「一点集中は兵法の基本ですが」

「それは兵法書の暗記と言う物だ」


 氏邦軍の数がどれだけいるか、佐竹も里見も正確に把握していない。いくら北条が五か国少々を占める大勢力と言えど兵力に限りがあり、上杉や徳川や蘆名伊達と言った諸大名の問題と相まって下総とか言う一方面、それも辺境に近い方角にそれほどの兵を注ぎ込む余力などないと思っていただろう。

「とは言え安房守様」

「何じゃ、まさか里見も誘計を用いていると」

「いえ、単純にお疲れではないかと」

「少しばかりな。だがそれでも勝利を挙げるまでは疲れてもいられまい」


 北条氏邦、四十歳。別に若いと言う訳でもないが老いていると言う訳でもない。ちょうど今が男盛りであり、まだまだ疲れているとか言うわけには行かないつもりだった。もちろん馬は変えているが、自分自身は馬にずっと乗っていただけであり武器もまともに振っていない以上大したことはないと思っていた。


「見たであろう。里見のあの有様を」

「しかし肝を冷やしましたぞ」

「里見もあれだな、義頼が亡くなって継いだ息子の出来があれだったと言う事だな」


 里見義頼は里見の先代に当たり、今年一月に四十五でこの世を去っている。跡目となったのが義頼の長男の義康だが、まだ十五なのはともかくあまりにもあっけなく敗れ過ぎた。



 自ら兵を率いて出て来た義康は、目の前の軍勢の先頭にいた北条氏邦の姿を見て突っ込んで来た。影武者とかではなく、紛れもなく本物の北条氏邦に。しかも兵たちは見るからに装備が乱れ、押っ取り刀である事が明白なほどの軍勢しかいない。


 ここぞとばかりに里見軍は一気呵成に進軍し、氏邦もこりゃ無理だとばかりにすぐさま尻尾を巻いて逃げ出す。

 時は来たれりとばかりに里見軍は追いかけるが、そこにやって来た北条軍。

 どうせこれも常陸とかに行かされて疲れた兵だろうと思いきや、これがまったく疲弊していない兵たち。勢いで押し切れないまま戦は長引かされ、その間に氏邦がちょっと出て行って横から叩けば、あっという間に敵軍は壊滅した。


「これでまた、北条の武名も轟こう。里見もこれ以上調子に乗りはすまい」

「武名が轟けばよろしいのですが」

「まあな、大軍に兵法なしとか言う文字だけを覚えている奴とは訳が違う」

 下総にいた北条軍は五千でも、佐竹が考えているような七千でも、一万ですらない。

 一万五千はいた。

 いくら閑地気味とは言っても南北の敵に挟まれている以上、それこそ相当な数の兵を置かねばならない。その兵を使う時が来ただけだと言う話だ。

「ただやはり常陸の戦の打撃はない訳ではなく戻ってきた兵たちが再び動けるようになるまであと三日は要るとの事です」

「城の守備ならば問題はなかろう。里見を叩くのは当初から予定通りであり、彼らは下総を守らせ続ける。安房まで奪ってしまえば陸地は行き止まり、まともに兵を置く必要もないからな」


 常陸と上総・安房の決定的な差は周辺国である。常陸の西の下野は佐野と言うか実質北条の領土なのでいいとしても北の陸奥は広大な上に蘆名や伊達が威を示しており、取れば取っただけ余計に兵を注ぎ込まなくてはいけない。

 一方で安房は三方が海でありしかも海を渡れば本拠地である小田原城のある相模と言う地であり上総まで手に入れれば制海権を握り込んでしまう事となりまず安房は安全圏と化す。なお北条とて上総安房へ水軍で攻撃をかけていない訳ではなかったが、里見は当然水軍を整備しており戦果は上がっていない。と言うか北条の水軍は伊豆半島のせいもあって他に使い道が乏しいためか強いとは言えず、氏康でさえもあまり熱心ではなかった。




「とは言え……」

「うますぎる時は注意せよ、か……よし、とりあえずここで小休止だ。北の連中にも気を付けておけ」

「はっ…」


 氏邦が進軍を止めさせた頃には、里見軍は総崩れになっていた。

 四ケタを討てれば成功だと思っていたはずなのに、既に犠牲者は千以上とも聞いている。これほどまでに義康が愚かだとは思わなかったと笑う氏邦の顔は、余裕そののものであった。




※※※※※※




「なぜだ!なぜだ!」


 里見義康は叫びながら歯嚙みしていた。

 せっかく自信満々で出兵したつもりだったのに。


 六千の兵を率いて北条を叩いてやるつもりだったのに。


 北条氏邦に釣られて猪突した自分が悪いのか?いやその通りだが、それにしても負け過ぎではないか。

 北条軍があそこまで精強だと思わなかった訳ではないが、それにしても里見軍が脆過ぎた。ほんの少し横撃を喰らうだけであっという間に壊乱し、相当な数の兵を置き捨てにしてなお逃げ切れるかわからない。



 氏邦の配下の兵の数は、一体何人なのか。

 何度調べても一万を越える事はなく、それこそ北の佐竹の事を思えば使える兵はせいぜい半分程度だったはずだ。その一万の内の七千の兵を佐竹戦に注ぎ込んでいる事を知った以上、動くしかないのは明白だったはずだ。

 それなのに!


「佐竹は誠意を尽くしたはずだろう!」

「ええ、間違いなく出兵しておりました。そして、北条に誘い出されて叩かれました」

「すると何か、里見も佐竹の二の舞を演じてしまったとでも言うのか!」

「残念ながら…」


 昨日の佐竹と北条の戦の概要を、里見とて掴んでいなかった訳ではない。だがその際に北条の正確な兵数を把握できなかったのは手抜かりにもほどがある話だった。


 

 なおこれについては、普段兵卒として数えないような存在を水増ししたとかではなく出番の少ない武蔵や相模から兵を借り受けて秘かに動かしていただけであり、気付こうとすれば気付けなくはなかった方法だった。だが佐竹にそんな余力はなく里見も下総と言う厚い壁と風魔忍びたちにより情報封鎖されてしまっており、正確な情報を把握する事は出来なかった。これもまた北条の手腕であり、里見の責任と言えば責任ではあるがこれもまた戦国乱世の常であった。


「北条は追って来るのか!」

「どうやら小休止している模様!」

「今の内に逃げるしかないのか…」


 止まってくれているのはありがたいが、追って来られるより腹立たしい。

 情けをかけられていると言うのか。

 それとももうこれで立ち上がれまいと思われているのか。


 新田源氏の末裔であるこの里見氏が、ずいぶんと舐められた物だ。新田源氏と言えば、徳川家康だ。どこの誰だかわからないが急に新田源氏を名乗るなど随分な話である、松平が何者なのかはわからないがいくら秀吉と言う農民の子が天下を取っているにしてもだ。



「しかしだ、あまりにも早すぎないか。北条の兵の動きが」

「やはり数の力は恐ろしき物かと」

「……そんなはずはない。聞いたであろう、あれは嘘だと申すのか!」


 血筋とか関係のない事を考えていた義康であったが、そこで急に思い出した。


 佐竹軍に援軍が到来したため北条は北上を諦め、こちらへと向かって来たと言う報告を。


 なればこそこちらだって攻撃をかけたはずだったのにこの有様、騙されたと言うにはあまりにも不自然。



 佐竹の援軍は本当に到来したはずだ、

 それも北条を百八十度動かしてしまうような存在が。


 佐竹の部下たちか。

 いやそんな少数のはずはない。

 それこそ戦況を一挙に変えてしまうような存在のはずだ。


 佐野な訳はない。するとやはり北の蘆名、いや伊達か。



「待てよ……!」



 蘆名の今の当主は、伊達の今の当主の実弟。

 人取橋と言う佐竹が滅亡の淵まで追い詰められた戦いの結果、蘆名家の当主となる事が出来た存在。


 その勝利をもたらしたのは—————。


 


「佐竹義重、白川義広、石川昭光……………………」




 人取橋にて亡くなった将たちの名前を口にする里見義康の顔面が、徐々に歪んで行く。


 その下手人が、ここにいるかもしれない。




 …とすれば!




「見つけたぞ!北条に決定的な痛撃を与える方法が!」


 我得たりとばかり、義康は馬の向きを百八十度変えた。


「どうなさったのです!」

「皆の者!我こそはと思わん者はわしに続け!北条の陣へと飛び込むのだ!」

「そんな無茶苦茶な!」

「黙れ、これは生涯の大博打だ!万一の時は伊達と蘆名に頼れ!」


 十五歳の青年の大博打宣言。



 自分の持ち物を最大限に生かすべく、自分の命を賭け金にしたとんでもない一手。


 十五とは思えないほどに肝の据わった一手が、今打たれようとしていた。

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