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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第五章 徳川家康、松平家康となる
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北条氏邦の挑戦は続く

 酉の下刻(午後六時)。


 ついさっきまで戦場にいた佐竹義宣は男に向かって悪態を付きたそうに顎をしゃくっていた。


「……で、その童神とか言う存在を振りかざしてここまで来たと」

「まあそうなります」


 自分と年のさほど変わらぬ総大将らしき男と、その総大将のお付きを気取る男。

 和田昭為がこれこれと言いたそうにするが、義宣は一向に態度を変えない。


「本来ならば我が弟がそこにいるつもりだったのです、我々としては」

「何事も自分たちの思う通りには参りませぬ」

「戦の強弱で決まるのが道理の世故にな」



 総大将の男こと蘆名政道は、義宣に向かって今日何度目かわからぬほどに頭を下げた。義宣がため息を吐き昭為が政道に酒を注ぎ、お付きの男こと鬼庭綱元も義宣に酒を注ぐ。

 その昭為の背中も、義宣はきつく睨んでいた。

「昭為………………」

「責めならばいくらでも受けまする。腹を切れと言われればすぐ切ります」


 昭為は夕闇の中でも光りそうなほどの義宣の目線にも、びた一文動揺する事はなかった。


 道中の佐竹方の兵たちは童神の存在を聞かされるや誰も警戒せず自儘に出撃し太田城の援軍に向かい—————要するに蘆名軍の通過を認めてしまい、その結果蘆名軍もまた義宣さえもまともに知らぬままにここまで来てしまう事が出来たのだ。


 そしてそういう風にしたのは、東義久であり和田昭為だった。



「はっきりと申せ、そなたら伊達に降ったのか」

「北条と蘆名、どちらかに付くしかない事は残念ながら必然の流れ…」

「佐竹は織田の同盟相手であり豊臣の臣下ではなかったのか」

「豊臣家が、でないとしても上杉が間に合うと思いますか」


 佐竹は南は北条北は蘆名西は佐野と言う場所であったが、北の蘆名は伊達と奥州統一連合なる物を築き上げてしまい西の佐野は南の北条の配下となってしまった。さらに南の里見とは関係は悪くないが北条を挟んでいる以上提携が取れるか怪しく、しかも人取橋の敗戦で大打撃を受けた佐竹には仮に里見と組めたとしても両者を敵に回す余力などない。

 他に助けてくれるとすれば上杉か徳川か真田だが真田はあまりにも小さく、徳川は北条の足は引っ張れても奥州統一連合にどうにかできる場所におらず、そして上杉もまた北条と奥州統一連合の両方から狙われる立ち位置である。上杉に出来る事と言えばそれこそ能登加賀の前田利家から兵を貸してもらうとか言う話であり、上杉単独で駆り出せる兵はそれこそ無理をしても二万ぐらいであろう。そして北条にも奥州統一連合にも、それぐらいの兵を出す力はある。上杉と真田と徳川が一体となれば兵数で対抗出来なくはないが、そんなうまい話がすぐあるはずもない。


「しかし奥州統一連合か…まったく、いつの間にそんな物が出来上がったのか。その方も一枚噛んでおるのか」

「とんでもない。蘆名殿、奥州統一連合はいつ頃」

「二週間ほど前です」

「でもその前からいずれ来るとは思っておったのだろう」

 二週間前に大名たちが会合を開いたのはともかくその内容まで佐竹とか言う第三者が把握できる訳もない。だが同盟とかだとしてもあまりにも動きが早すぎる。確かに蘆名家を取り込んだ以上政宗が弱っている佐竹を狙って来るのは自然だがそれでも行動が早すぎる。


「なあ蘆名殿、私は見捨てられるにふさわしいか」

「そのような!」

「蘆名殿。私はあの時以来、ずっと鹿島神宮に籠っていた。父と弟を殺した存在と向き合うためにな。だがその結果がこれだ、蘆名殿はおわかりいただけるか、あの存在が」

「それがしとてかの童神の事はわかりませぬ。兄や大浦殿は自ら言葉を交わしたようですが」

「聞いていないのですか」

「お恥ずかしながらいい年してこれが初陣ですので」


 蘆名政道は義姫の方針でもないが二十歳近いにもかかわらず戦場に出た事もなかったため、人取橋の戦いはおろかそれ以前の戦の事もよく知らない。輝宗拉致監禁殺害未遂事件の事も、あくまでも伝聞でしか知らない。

 政宗の指示なのか奥州統一連合とやらの統一方針なのか、いずれにしても初陣である人間にしてはずいぶんと動きが速い。まあそれはどうせそういう用意をしていたからで説明が付くし、実際奥州統一連合と言うか伊達が奥州の諸勢力を抑えこめば人取橋で惨敗した佐竹を狙わないのがまず不自然だった。


「……兄君様は参られるのですか」

「わかりませぬ。とりあえずそれがしの手勢だけで参りましたので」

「それがしの手勢だけで、ハハハハハ……」


 棒読みですらない笑い声をあげる義宣だったが、口だけでなく目も笑っていた。


 何せ、太田城にこの時いた蘆名軍は五千。出番のなかった援軍も含めてこの戦に注ぎ込まれた佐竹軍六千とそれほど差がない。

 佐野や上杉と隣接していると言うのにそれだけの兵を持って来られている時点で、両家の戦力差は圧倒的だった。




「なあ和田、私がもう少し現実と向き合っておればこんな事にならずに済んだのか?」

「それは…」

「私が鹿島神宮に逃げ込んでいたからそなたらはこうしたと言うのか」

「伊達や蘆名に佐竹を売ったと言う事は否定いたしませぬ」

「佐竹惜しさにか」

「ええ」


 和田昭為の瞳には、一片の曇りもない。



 佐竹を壊したのは、一体誰か。

 義重が人取橋にまでのこのこ出て来たからか。義宣がその時立ち向かわなかったからか、あるいはその衝撃のせいで勝手に引きこもって政務を放棄したからか。

 いや、人取橋の戦いでよせばいいのに最後まで抵抗した伊達軍のせいか。それとも、ほぼ自己都合で全てをひっくり返して勝手にいなくなったその「童神」とやらのせいか。


 だが確実な事は、この和田昭為らが蘆名軍を引き入れる事を選択した事により佐竹にとどめが刺されたと言う事だった。


「…………蘆名殿。貴公は実に謹厳実直だ。貴公の誠意を疑えば我々は生きて行けないし、いやどこでも生きて行けまい」

「そのような」

「いや、こんな言い方は良くないが伊達殿は雄々しく恐れる存在も多かろう。蘆名殿は穏やかで人を包み込む事が出来る」

「ありがたきお言葉にございます」


 義宣とて政道の父母の事は知っている。父輝宗以上に母義姫の存在感が強く、鬼姫とか言う不名誉とも取れるかもしれない綽名を持っている事も。そう考えると政宗は母親似で、政道は父親似なのかもしれぬとか勝手に考えもする。

 だとすると、政宗が余計にしたたかに思える。



「それでつい先ほど聞きましたが、馬場城の戦いがかなり激しかったと」

「残された軍は全滅です。逃げ切った方もそれがしが無理矢理に駆り出したので疲労を回復する暇もなく見ての通り現在太田城と書いて雑魚寝する人間の集まりと読みます」

「だとすると北条もそれほど安心はできないと思いますが」

「それで、本格的に貴公に縋るしかないと」

「そのように卑屈にならずとも」

「伊達もそうですが佐竹も鎌倉の頃からの家です。その家の当主として人並みには自尊心もあるつもりです。その上で今こそ北条を叩く好機かもしれぬ事はわかっております」


 攻めて来た北条を佐竹が迎え撃ち、その佐竹を誘導した北条が逆に叩き、佐竹の援軍を見て北条が逃げ出すと言う目まぐるしい戦が今日一日で行われた。少なくとも今逃げているのは北条であり、公平に言って不利な側である。ましてや北条が当てにしていた馬場城の江戸重通が自身こそ無傷なものの軍勢はぼろぼろになってしまい、馬場城そのものひどく荒れ果て城郭としての機能を取り戻すのにどれだけかかるかわからないと言う。


 とは言え一日もあれば撤退ぐらいはできるだろうし、氏邦の事だから手抜かりがあるとも思えない。


 だが

「もはや佐竹に攻め込むだけの余裕などありますまい」

「ええいかにも」

 と言う若武者二人の意見だけは、一致していた。

 まるで疲弊していない蘆名軍五千と佐竹軍五千を攻撃する事など、北条の精鋭でもなければ難しい。氏邦が優秀か否かとか以前に、それが常識だった。




「氏邦は、諦めておりませぬ」

 



 だが、二人の将は異口同音に若武者たちの速断を戒めた。


「鬼庭殿、佐竹領にはもう少し兵が来るのでしょう。その事を氏邦がわからぬとは思えませんが」

「違います。佐竹ではありませぬ」

「まさか下野から攻め上がり蘆名殿の」

「いえ、氏邦にはまだ敵がおりまする。この佐竹を囮にしてでも倒したい敵が」


 氏邦の敵。それは蘆名でも佐竹でもなければ誰か。

 真田とか言うには常陸からあまりにも遠すぎる。上杉でも十分遠い。

「あ、だが」

 そしてすぐさまその答えに気付いた義宣はすぐさま兵の数の事を思い、すぐさまその問いを呑み込んだ。


「兵の数を強引に生かすとは……」

「それもまた氏邦の芸でございましょう」


 その芸のために利用されたのかと思うと、悔しくはないが腹が立つ。どうしてそんな将がいるのかと層の暑さが羨ましくなり、同時にそんな物を求めても無駄だとすぐ気が付く。三軍を作った所で優秀な将が生えて来る訳もなく、それこそ出来得る限りの最善を選択するしかないのだ。



「もっとも、方法がない訳でもございませぬが…」

「何だ!」

「これはその、佐竹様の了解なしでは出来ぬ事ですが…」

「もったいぶらずに言ってくれ!」

「ではこちらへ……」


 その北条の策を打ち破る手段があるのですがと言わんばかりの政道に促されるように、義宣は屋敷を出て蘆名軍の陣地へと向かう。

 いったいどうすれば北条を叩けるのか、その方法さえ教えてくれれば何でもいいと言わんばかりに大股で歩く義宣を引き連れ、政道は馬小屋へと向かう。




「何!これは…!」

「ええ。そして……」

「……まさか!」

「はい」


 その馬を見た義宣の顔色が一挙に赤く変わり、力強くうなずく政道の顔色の赤さに負けたと言わんばかりに青くなる。

「申し訳ございませんが和田殿には既に伝えてあります」

「……どういう事、ですか…………」

 その一頭の馬を使った、誰も思いつかないような策。実際政道も思いつかなかったとんでもない策が、政道の口から語られる。


 そして二人とも、その策の本当の提案者の名前など知らなかった。

 そんな事は、どうでも良かった。


 それぐらいこの馬に関わる策とは、常識を逸脱したそれだったのである。

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