援軍、間に合わず!?
「先遣隊は壊滅か…!よかろう、この戦の敗北は佐竹の敗北である!何とかして勝たねばならぬ!」
和田昭為は、南下する軍勢の先頭に立ちながら吠えていた。
つい先ほどまで太田城で佐竹義宣の相手をしていたとは思えぬほどの変わり身であったが、これもまた自分たちなりの備えだった。
(後で何と言われようが構いはせぬ。これしかもう兵はないし術もない……)
この佐竹軍は、義宣が鹿島神宮にいる間に義宣の指揮系統とは別に作られていた軍だった。謀叛とも言えなくはないが、それでも義宣の状態を思えば仕方がなかったと昭為たちは割り切っていた。
逆によくもあの程度で済んだとか言う声さえも聞こえるほどには、当時十六歳の青年が受けた打撃は大きかったと言う事であり、昭為たちも理解していた。
「敵の防備はそれなりに出来ているようですが」
「力と力のぶつかり合いなら負けはせぬ!」
それでも氏邦の部隊が案外しっかりしている事には舌打ちもしたくなったが、ひるむほど弱いつもりもない。
佐竹家の命運、全てこの一戦にあり。残っていた精鋭たちが氏邦めがけて突っ込んだ。
「ひるむな!これを討てばもう佐竹は風前の灯火だ!」
氏邦も負けじと叫ぶ。
三軍は得やすく一将は求めがたし、二年も放置したとは言え将がやすやすと育つ物でもない。いくらあれが本当に新兵どもだとしてもどうせ本当の精鋭など知れている。数で圧するのもまた戦いだ。
「北条を討て!」
「佐竹を討て!」
わずかばかりの射撃が終わり、戦が始まる。
佐竹軍は当然士気旺盛であるが、北条軍も疲弊していない上にやる気があるので戦いは激しくなる。
「この野郎!」
「死んじまえ!」
「お前が死ね強欲な北条め!」
「うるせえよ滅びかけの佐竹が!」
「何を言ってんだ滅びかけと滅亡すんのは全然違うんだよバーカ!」
やあやあ我こそはとか言うそれらしい口上など誰も言わずに殴り合い斬り合う。一応お互い状況を分かった上ではあるが、将たちもあえてそういう汚い物言いをするようにしている。
ここにいる兵たちの中に、専業での兵が出来るような富裕層などそんなにいない。
そのほとんどがそれこそここで少しでも手柄を上げて出世栄達を望むような零細農民であるが、戦いに本気になっていない層も多い。
前者は気合を入れるために叫ぶし、後者もとりあえず自分が死にたくないから叫ぶ。攻めも守りも関係ない。どちらの御家が優勢でどちらの御家が劣勢かもやはり然りである。
だが、将たちにとっては話は変わって来る。
「このまま押しきれますかね」
「押しきれなくとも良い。長引いて攻めきれなくなければこちらの勝ちだ」
氏邦は馬上で嘯く。実際このまま時間切れで終われば戦線を大きく北へと引き上げた自分たちの勝ちであり、佐竹はさらに領土を狭める事になる。そうなればそれこそ佐竹は風前の灯火だ。
(しょせんは遠征軍。兵糧その他がどれだけ持つか…)
だが和田昭為もまた、長引かせて引き分けになる事を嫌がっていなかった。小田原城と常陸はあまりにも遠く、武蔵の本城と言うべき川越城からもかなり遠い。いくら下野の佐野氏忠が補給して来るとは言え、その物資を運ぶ軍を叩くやり方ならいくらでもある。
もちろん兵たちの質の差について否定はしないが、それでもいざとなったら死んででも時間を稼ぐぐらいの覚悟はある。
そして佐竹軍の方が戦場への距離は近いが、北条軍もさほど疲れていない。
しかし、一つだけ差はあった。
(数は力だ……!)
氏邦は、ひそかに五百ほど兵を副将にやっていた。
その副将に合図をやり、自分たちが真正面からぶつかっているのをいい事に横側にやる。太田城を攻めるか、それとも昭為を狙わせるかは任せる。
いずれにしても、佐竹軍にはどれほど余分な兵が残っているのかと言う話だ。数としてはこれでも互角どころか、まだ千人ぐらいこっちが勝っている。
「よしここだ!わしも出るぞ!」
そしてここぞとばかりに氏邦も出る。殴り合いにこちらも飛び込み、泥沼化するかもしれない形勢を傾けようとしているように見せる。
「敵将が出て来ました!」
「あわてるな、打撃力はそれほど上がらん!落ち着け!」
それでも和田昭為は冷静に振舞うが、余計な兵がどれだけ残っているのかと言う問題はある。
もちろん佐竹軍全軍が今命のやり取りをしている訳でもないが、余分な兵を差っ引くとそれこそ防備は薄くなる。虻蜂取らずの展開に追い込む事が可能なはずだ。百も承知とは言えお互い大声で吠えまくっているせいで昭為の声も氏邦や兵たちのそれに負けじと響くが、余裕があったのは明らかに氏邦だった。
「押せ、押せ、押せー!」
わざとらしいと思いながらも声を張り上げ、一挙に敵を叩き潰そうとする。実際に潰せれば良し、出来なくともごまかす事ぐらいはできる。
「敵援軍!」
「チッ…!」
だがそんな事は許さないとばかりに、佐竹も援軍を出して来る。
遠目で見た所数は五百程度。こちらの副将の軍勢とほぼ同じ。
もう一隊割いてやろうかと思ったが、あからさますぎるきらいはある。
「まあいい。予備隊の準備を整えておけ。敵援軍が負ければよし、勝ってもこっちに来なければそれでもよし…」
とりあえず残る千の兵に準備をさせ、敵をうかがう。全く佐竹の誰なのかわからないが厄介な時に来たものだ。せいぜい痛い目を見せてやると思いながら、氏邦は得物を突き付ける。
戦は依然として混戦模様、一進一退どころか一厘進一厘退ぐらいのペースでしか動かず、予備隊が勝敗を分けそうな情勢になって来ている。
せっかく戦果を挙げた兵がまた別の兵の戦果にされ、その兵もまた別の兵の手柄にされ…と言う繰り返しが続き、死体が積み重なって行く。疲弊した兵は後方のそれと交代するがその際に間に合わず討たれた兵は少なくなく、無傷で休める兵はそれだけで戦果を挙げている部類だった。
その間に、北条の副将の軍が佐竹の援軍とぶつかる。ともに五百同士であり勢いも互角かと思いきや、明らかに北条軍の方が勝っている。
「どうした、そんな兵で!」
ここぞとばかりに吠えた氏邦だったが、すぐ異変に気付いた。
勢いで押し込んでいると言うより、皆我先にと出てしまっている。それでは態勢が崩れてしまう。一体どうしたのか。
「敵援軍の将、佐竹義宣なり!」
そこに飛んで来た、佐竹義宣の名前。
なんと、佐竹の当主が出て来たと言うのだ。
「ああもう面倒な!」どうせ影武者だ!捨て置け!」
大方攻撃を受けたと聞いてわずかな兵を率いて矢も楯もたまらず駆け付けて来た……と思わせるためだろう。確かにもう二年が経っているとは言え鹿島神宮に日参してようやく精神が安定して来たばかりの小童だ。こんな戦場に出て来たところで真っ当な指揮は執れないだろうし、和田昭為や東義久がそんな事をさせるはずもない。
氏邦は冷静に、義宣の存在を切り捨てた。
そして、決定打を放ちにかかった。
「よし、全軍投入だ!」
ここで勝負を付ける。残存兵力を投入し、一気に片を付ける。粘られるならばそれでもよし、削るだけ削って見せるまで。仮に援軍第二陣があったとしてもあらゆる意味で時間切れ。辰の刻(午前八時)に始まった戦は移動距離の関係もあって既に未の刻(午後二時)になっており、八月二十九日と言う秋真っ只中の日はつるべ落としだ。あと一刻もすれば夕焼けが威張り出し、そのまま夕闇と言う名の引き分けがやって来る。
ここで押し切れば少なくとも負けはない。氏邦はそう確信した。
「敵援軍第二陣来ます!数は千ほど!」
「あーしぶとい奴め!」
第二の援軍にも、氏邦は口ばかりいら立ちながらも怒りはなかった。さっきも言ったようにそれでも戦の帰趨に影響もなくせいぜい引き分けに持ち込むまで。それなら大過はないと踏んでいた。だいたい人の事を言えないが兵力の逐次投入など愚策ではないか。こっちが半ば奇襲のようなやり方をしたせいで対抗できる兵が集まっていなかったのかもしれないが、それでももしまとめて来ていたならばこっちはとっくに撤退するしかなかったのに。所詮義宣も佐竹もここまでだなと、氏邦は確信した。
「ちょっと待ってください、砂煙が大きゅうはございませぬか?」
「砂煙…?」
しかし、千にしては佐竹軍の後方に見える砂煙が大きい。もしかして、第二だけではなく、第三も第四もあるのか。
「ああもういい!やめだやめ!後退する!」
「ええ…」
「わしとした事が甘く見ておったわ!今日はここまでとする!下がれ!」
氏邦は、戦を投げ出した。大将の意思に応えるように北条軍はゆっくりと下がり出し、殴り合いを続けていた佐竹軍本隊もまたそれを追う気力も体力もないため戦は終わった。
「佐竹は、未だ死なず…か…!」
氏邦は疲れ果てた顔をしながらも、敗北感はなかった。
昭為もまた相手を引かせたとは言え、その顔に喜びはなかった。
ただ言い訳を、考える事しかできなかった。