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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第四章 奥州統一連合完成す
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石田三成も亡霊を探る

 石田三成は、仏頂面で京の町を回っていた。

 馬上の人として家臣の島左近と並ぶその姿は見るからに不機嫌そうであり、家臣たちでさえも声をかける事が出来なかった。


「……左近」

「何でしょうか」

「黒田軍は本当に遭遇したのだな」

「との事です」


 九州へ行かなかった三成は、黒田軍に何があったか見ていない。それでも聞いてはいたし何度も考えてはいたが、考えれば考えるだけ頭が痛くなる。

(黒田勢ばかりなぜ狙われねばならぬのか……俺に言われたって分からんわ!)

 

 確かに黒田官兵衛の才知は天下に轟くそれだし、九州征伐に当たって秀吉がその力を頼りにしていた事も分かっている。

 だがそれがなぜ九州にいる間ずっとよくわからない男に襲われ続けたかなど、そこにいなかった三成にわかるはずもない。


 それこそ日がな一日、ずーっと防衛に徹し、ただの一人の犠牲も出さずに済んだとは言え心身共に疲弊し、九州と言う地に恐怖心を覚えた黒田の将兵が次々と戦中にもかかわらず長門へと送られると言う事態になってしまい、島津を降伏させた頃には黒田軍は半数になっていた。そして戦いが終わって官兵衛が筑前に封じられる事になってなお、二割近い兵が黒田に戻らず秀吉直臣として大坂に戻って来た。


 その挙句、最近福島正則や加藤清正のような連中がやたらにうるさい。いつも神とばっかり向き合っている頭のよろしい三成に向かってどう思うだのお前ならわかるだろうとやたらと聞いて来る。うざったいし、わからないと正直に言えばいつも知的ぶっているのにと散々責められる。秀吉でもわからないと言うのに何を言えと言うのか。

 上田でも現れたとか言うが、その現場を生で見ているはずの真田幸村すらも反応が鈍い。話を聞くと父親の昌幸がそれほどその存在に執着しておらずたまたま風が吹いた程度にしか思っていないため深く調べる事もしなかったらしい。

 何が真田昌幸だ、ただの田舎侍ではないか。折角絶好の機会を得て大勝したと言うのにその存在に突っ込もうとせず小さな領国にしがみついている。秀吉にも進言して彼をもっと引き立てるように言うべきかと思いもしたが、幸村と言う極めて真面目で実直な男を見る限り少しでも浮足立ったと見る事を嫌いそうでありどうにもなりそうにない。


 子女名優とはよく言った物だと内心悪態を吐きながら、町を回る三成の姿はとても普段のように落ち着き払ったそれではなかった。



「一応遊女が殺された現場周辺を回ってみたが怪しい者すらいやしない!喜ばしい事にな!」


 一年以上前に起きた遊女殺人事件とでも言うべきその現場の付近とか言う、何十回も調べられた近辺を回ってみるが怪しい者などちっとも見つからない。いくら大坂と言えども刃傷沙汰が全く起きない訳でもないが、未だに犯人に対して何の当てもないのはその事件ぐらいしかない。


 いや、犯人は挙がっていたが既に冤罪である事が確定している。



 —————三十路で眉目秀麗で、古めかしい格好をした口数は少ない男。



 とか言う町民たちが語っていた犯人像を全く無視した輩が勝手に処刑され、その処刑した男も既に殺されている。


 何より

「むっちゃ足が速くてな、馬でも追いつけそうにあらへんくて」

「それで間違いなく人を殺したはずなのにちっとも返り血を浴びてへんで」


 とか言う、三成が幸村からようやく聞き出した上田に現れたとか言う武者の特徴とも合致する情報。それらの特徴を全く無視したあの男の事を思うと余計にいら立ちが溜まり、さらにどうしてその特徴を自分たちが必死になって信州とかに患者を送り込んで知るより先に伝えてくれなかったのかと幸村に対して八つ当たりもしたくなる。

「父上は天下様と言えど未だ道完全ならず、ましてや敵味方かも分からぬ以上決して浮かれ上がらぬようにと」

 そんな事を言った幸村に対し敵であるかもしれぬ以上情報を伝えるべきだと言ったらあまりにも差し出がましい行いであると返されてしまい、挙句こんな事を言って来た。


 —————差し出がましい。全く不愉快な言葉だ。


 三成と言うのはそれこそ、その言葉を四六時中言われて来た。自分としてはただ主君である秀吉様のために誠心誠意忠義を尽くしているだけなのに、何をやっても出しゃばるなとか勝手にやりすぎだとか言われる。秀吉からさえも注意される。秀吉が言う以上実際にそうなのかもしれないが、実際自分がやらなければ回らない事が少なくないはずだ。

 と言うか、だんだんとそうなっている。その気があろうがなかろうが、勝手に出世してしまった以上そうなるしかないのだ。出世と責任は比例するのは世の約束であり、秀吉だって足軽時代のそれと今のそれではケタが違う責任を背負っている。差し出がましいとか言うなら、どうして欲しいか言えばいい。出しゃばるなとか言うなら、自分と同じ事が出来るのかと言ってやりたい。もし自分が秀吉の影に縮こまっているのがお似合いだとか抜かすのならば、いっそ望みを叶えてやりたい。そうして豊臣家の天下が保たれるのならば、いくらでも死んでやる。それの何が悪いと言うのか。




 何より、だ。



(亡霊だと?そんな物がいたら一体いくらいるのだ?)



 武士の時代が始まってから四百年経つ。その間に何人が戦で死んだのか、数えるだけ無駄以外の何だと言うのか。

 特別その気持ちの強い何かが出て来たのだとか言うにしても、なぜ今になってなのか。あまりにも不合理であり理不尽だ。


 何が目的なのかは知らないが言うべき事だけを言ってすぐに終えてもらいたい。

 現世の人間の時間を潰すような真似をしないでもらいたい。



「それなんですがね」

「どういうことだ」


 そんな三成に気さくに声をかけられるのは、それこそ島左近だけだった。石高の半分を突っ込んで引き入れた股肱の臣の言葉に三成はようやく少し顔をほころばせ、左近の方を向く。

 三成より二十歳上の左近は砕けた笑みを絶やさず、三成と言う厳格で冷徹な主人よりある意味人気があった。三成が自分に厳しい事を誰よりも知っているからこそ、誰よりも支えてやりたい。そのためなら何でもできると言う自負もあった。


「京の五条大橋にて変な奴を見たって噂話がありましてね」

「噂話?」

「ええ。何でも頭に白い布を巻いたバカでかい奴で、背中に武器を山のように持って高い下駄を履いて」

「俺に言わなかった訳だな」


 その上で、主の事を誰よりも理解していた。



 左近が聞いた噂の登場人物は、まるっきりかの武蔵坊弁慶でしかない。



 四百年前、源義経と共にその名を轟かした僧兵にして猛将。

 衣川にて、主を守り立ちながらその命を落とした伝説的な忠臣。

 憧憬の念を抱く人間が一人や二人であるはずもない存在。


 明らかに、粗野な仮装だ。かつて京を荒らしまわり九九九本の武器を集めたとか言う武勇伝を持った存在だが、実際にそんな物を背負おうなど不可能に決まっている。

 刀一本で大体一六〇匁(≒600グラム)ぐらいであり、鞘なども含めればそれこそ約二六七匁(≒1キログラム)になる。九九九本ともなれば、それこそ百貫デブならぬ二六七貫(≒1トン)である。

 実に馬鹿馬鹿しい。実際に弁慶がそんな事が出来たとしても、そんな人間が二人もいてたまるものか。と言うかいるならば見つからないはずがないだろう、そんな特異な存在など。


「少しは気晴らしにはなった。礼を言うぞ」

「それは何よりですよ」


 だが島左近もまた、弁慶のように器用とは言えない主に仕える男であり、そして同じぐらい不器用だった。


 元々島左近は筒井家の人間であり、本能寺の変の後に発生した山崎の戦にて主が日和見を決め込んだのに反発して脱走したような男である。だが現在でも筒井家は健在であり、少なくとも滅んではいない。その点では左近は馬鹿であり、後ろ指を刺されるだけの責めはあった。

 現在の筒井定次はあまり高く評価されていないが、左近が仕えていた筒井順慶は日和見を決め込むと言う男らしくないやり方ながら本能寺の変直後の混乱をしっかりと乗り切ったと評価する声も決して少なくない。また定次はともかく順慶の代から不満を抱いていたと言う左近のそれを、男らしいと言うより所詮お気楽な武将の考え方だと陰口を叩く人間も決して少なくなかったのである。

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