刃の振るい方
「うわ…」
「いくらこんな連中とは言えどな……」
甲州へと入った井伊直政と大久保彦左衛門が最初に見た物は、死体の山だった。
それも農民ではなく、刀を持ったいかにも風体怪しき連中ばかり。平たく言えば山賊だ。
だがその山賊たちの遺体は見るも無残なほどになっており、逆に同情を掻き立てられる気さえして来る。
首がない者はまだ上等で、両腕を斬られたり全身から二けたの風穴が空き血の海に沈んでいた事がわかるほどに真っ赤になっているそれもある。
あまりに凄惨さに目を背けるまでは行かないが速度は落ち、死体回収のための余計な人員を要請する羽目になった。
「百姓も寄り付かない恐ろしさと言うか…」
戦が終わった後になると、したたかな百姓は死体から刀剣や鎧をはぎ取って持って行く。田畑を荒らされたり戦に人を取られたりした仕返しでもないが、武士にはできない真似でもある。ましてや戦に関係がない場所の住民からしてみれば絶好の小遣い稼ぎの機会であり、山賊もまた庶民を襲うばかりの存在ではないのだ。
しかし、誰がこれをやったのかと言う事についての答えはない。在地の徳川軍がとか言うには何も連絡がないし、それにしてもやり方が凄惨すぎる。
「やはり……」
あの男か。あの男なのか。
上田城で徳川を大敗せしめたあの輩なのか。
なれば話は通じるかもしれないと言う期待と、それならなぜ徳川を狙ったのだと言う理不尽な憤り。
「榊原殿に、穴山殿……なぜに……」
「それがしも分かりませぬ。
それがしはあの時、確かに対峙したつもりだったのですが、それでも向こうの目には入っていなかったとしか思えませぬ」
勇猛果敢、謹厳実直、同時に石部金吉なはずの大久保彦左衛門でさえも、ひるまずにはいられないほどの男。
「兄上や甥御たちと共に調べてはいたのですがその姿をなかなか見聞する事も叶わず、わかったのはせいぜいその羽織袴が現代にはないそれだと言う事ぐらいです」
「本当にないのか」
「はい。ああもしかしたら、京の賢所の皆様が着ているような、それがしのような田舎侍にはとんと縁のないそれかもしれませぬが……」
ではあの男は京出身だと言うのか。
直政はあの伊賀越えをしたように堺と言うか京にもいたからその地の住民の事はわかっている。自分も遠江では名族の部類に入っていたはずだったが京に来ると大久保彦左衛門が自称する田舎侍もいいとこであり、民一人でさえも成熟している。それを悪く言えば外面如菩薩内面如夜叉となるが、それが民の生き方であるのは今さっき自分で口にした事実だけ見ても分かる。
わからないのは、京侍だった。見た所戦に不慣れで軟弱そうに見えたが、織田信長が鍛えていたのかどうかわからないが「見た所」でしかないと言うのが家康の見解だった。その気になればいくらでも屈従した振りをし、自分たちの不利益となれば手のひらを返す。しかも表立ってではなく、裏で、誰にも見られぬように。陰湿とか言う訳ではなく、それこそ権力の中枢にて八百年近くいた人間の生きる術。武力のない存在が圧倒的な暴威に立ち向かうための手段だった。
だがそれにしてはあまりにもやり方が暴虐であり、正直京から来たとは認めたくない。まるで今ここに転がっている山賊たちのように粗野であり、乱暴であり、強引だった。
「自分が悪と思う者は、全て殺して構わぬ……」
「山賊の中に真っ当でない人間が何人いたのか、そんな事はどうでもいいのかもしれませぬな……」
盗人にも三分の理と言う訳でもないが、進んで山賊になったような人間がどれだけいるのかわからない。武田勝頼の晩年の暴政の犠牲者やそれ以前からの凶作の果てに税を治められなくなった逃亡者たちの成れの果てかもしれないし、あるいはもっと悲惨な待遇の人間かもしれない。無論山賊行為を働いている以上同情の余地もないが、先に述べたように山賊もまた山賊狩りと言う名の賞金稼ぎの対象でもありある意味どっちもどっちでもある。そういう意味では犯人の行為はある意味迷惑であり、一方的でもある。
そして、その光景は何も街道だけではなかった。
「……」
道中でその一件を聞いていたとは言え、改めて直政も彦左衛門も言葉を失った。
寺一個が、まるまる赤い木材の塊になっている。
聖俗問わず人間たちが死体となり、生存者たちも直政らが保護するまでひたすらに震えていた。
「かろうじて武田様だけは逃しましたが……」
「今は!」
「平岩様が乗り出し保護しております」
「そうか…平岩殿には礼を述べねばなるまい…」
そして、その死体はほとんど、武田につながる存在であった。
当主として適格な存在である信玄の孫の信道は無事であったが、それ以外の者たちはほぼ全滅。その信道も彼らが必死に逃がした結果であり、その家臣はほとんど生きていない。在地領主である平岩親吉の援護がなくば、その信道すらも生きていなかったと言うほどの惨劇。
「やはり、あの男か」
「ええ。しかし…」
「しかし何だ」
「平岩様の姿を見た途端、男の刃が鈍ったのです」
「平岩殿を?」
「ええ、気のせいかもしれませぬが、まるで俺の相手はお前ではないと言っているような……そしてそのまま踵を返し、どこかへと逃げて行ったのです……」
どうやら犯人はあの霊武者らしいが、そこで異変が起きたと言う。
平岩親吉と言う第三者を見た途端に、急に刃が鈍ったと言うのだ。
—————武田が悪い。武田が憎い。例え乳幼児であろうと生かしてはおかぬ。
逆に言えば、ただそれだけ。武田に与しないならばそれでいい。そういう事なのか。
「まさか織田様の」
「あのお方はおそらくそれほど執着はない。口では武田を残さず討てとおられたが実際は甲州がそれこそ源平合戦の時代から武田が治めてきた土地だし信州もまた三十年近く武田の支配下にあった地でその統治が染み込んでいるから油断をなさるなとの事だろう。武田がおとなしく服従するのであればそれでよし、あるいはどこかで
細々と生きているもまたよしと言う事だろう。それにその命は織田様が彼岸へ向かうと共に失効したも同然たることは明白。なれば秀吉殿と我々は争わず、秀吉殿が上杉を受け入れる訳もない」
「では…」
「さっき自分で言ったであろう、あの霊武者だと。あの霊武者はおそらく、相当に古き時代から武田を恨んでいるのであろう。徳川も織田もない時代から」
「そうでしょうか…」
織田信長より二十七個も下の井伊直政は、信長の事をあまり知らない。
苛烈には見えるが寛容な面も強くありしっかりとしていて情に流されず言うべき事を言い必要でない事はしない人物、それがだいたいの信長像であった。
また過去の事を引きずる事もなく、さっぱりとしている。自分に抗わなければ、足を引っ張らなければそれでよし。そんな人間が全く力を失った武田に執着するようには見えなかったのだろうと言うのが直政の推理だった。だからこそそんな事を言ったのだが、彦左衛門はどうにも不服そうだった。
「まさかとは思うが彦左衛門殿は本多殿がお気に召さぬと」
「召しませぬが」
「お館様はおっしゃっておられた、あの霊武者は過去の存在であると。その過去の存在に現在の存在である我々が立ち向かわねばならぬのだと。もしかして彦左衛門殿はその事をお館様が思い付かぬと」
「失敬な!」
「ご安心召されよ、それがしも本多殿はあまり快く思っておらぬ。だがその言葉は正確である。と言うかもし奸言であればお館様が取り入れるはずもないでござろう」
井伊直政とて、本多忠勝や今は亡き榊原康政と仲良くしていた以上本多正信に対してあまり好感を抱いてはない。だがそれでも経緯もあって家康自身を信じていた直政は両名ほど嫌悪するところが少なく、また家康自身を信じていたためそこまででもなかった。
なお大久保彦左衛門は兄の忠世が正信の庇護者であったこともありそこまで嫌悪感もなかったが、忠勝や康政らとつるんでいる内に少しばかりそちらへと傾いていた。
「かの目には、その存在までも見えていたと言うのか…」
「それは無茶と言う物でしょう」
「まあ、少しは拙者も大人になりましたからな。榊原殿の無念を思うと…ああそれと、平岩様に感謝の使者を」
「ありがたい……」
それでも上田城の敗戦以後は自分なりにおとなしくなったと自負するように、気持ちの高ぶりもなくなっていた。
まだその事を知らない井伊直政と言う自分よりも若い大将への不安もあったが、それでもあれより怖い物はないと覚悟できると同時にあれはきちんと恐れねばならないと言う覚悟も出来たつもりだった。
(わしもいい加減感情に折り合いを付けねばならぬ年か……まあ、素直に褒められるのも悪くはないな)
老けたつもりもないがと思いながら親吉に使者を送るように進言して受け入れられた事に喜んでしまう自分の幼さに苦笑する彦左衛門と共に、直政たちは北上した。
そしてたどり着いたのは、荒れてしまった館。
「ここが躑躅ヶ崎館か……」
五年前武田勝頼により破棄され、その後すぐ織田信長が適当に直し、そして河尻秀隆がわずかな期間いてその後徳川の手に渡った武田家の本拠地。
勝頼でもここまでしなかったかもしれないほどになっていたその館。
武田信玄が見ていたらどう思うだろうか。
とか言う思いを直政たちが巡らしていると、急に場が騒がしくなった。
ほとんど無人のはずなのに、まるで地震でも起こったかのように悲鳴が鳴り響く。
「敵が見えました!」
「来たか!」
敵が来たのだ。
そう、たった一人の敵が。