甲州の事件
「この甲斐の住民は大丈夫なのか」
「よく治まっております」
「本当に大丈夫なのか」
躑躅ヶ崎館。
武田信玄を含め甲斐守護の武田氏が長年居として来た館を今居としているのは一人の幼児だった。
その名は、武田万千代丸。
齢五つ。
言うまでもなくまっとうに政を行う力はなく、家臣たちの言う事に「よきにはからえ」と言うのが冗談抜きで最大の仕事だった。
それでも上座に座る姿は置物ではなくそれなりの存在感を持ち、いの一番に民の心配をするなどその器は見せていた。
「この甲斐の民は武田を懐かしみ、その上で裏切り者を憎んでいると思ったが」
「それはそうかもしれませぬが、見性院様もおりますから」
「追悼はしっかりと頼むぞ。私も出たいからな」
見性院は武田信玄の次男であり、甲斐の事実上の前の国主である穴山勝千代の母である。
勝千代が十六で亡くなったのはつい先ごろの事であり、無嗣断絶となった穴山家の代わりに信玄は自分の五男である万千代丸を押し込んだ訳である。ある種の簒奪とも言えなくはないが、少なくとも現状ではそれほど批判もない。
まず見性院が家康に好意的であり、家康もまた武田家に好意的だった。
家康は三方ヶ原でひどい負け方を味わわされた信玄の事を畏敬しており、その信玄の孫である勝千代もきちんと自分なりに盛り立てていた。その際に当たって問題となったのは穴山の先代である信君が武田を裏切ったとされた事だが、それも家康が危惧するほどには問題にはならなかった。
結果的に末代の当主となった勝頼は長篠の戦を始め強引な出兵が目立ち国内を疲弊させ、さらにこの躑躅ヶ崎館を一時破棄して新府城とか言う城を建てようとした。
人は石垣人は堀と言う信玄の教えを全く無視した話であり、多くの将兵が勝頼から心を離してしまい、信長らによる侵攻を招くどころか自家の滅亡さえも招いてしまった。
そんな主君をぎりぎりで見捨てた小山田信茂はまだしも、勝頼による過剰な課税の負担に反発した木曾善昌や奸臣として悪名高い長坂長閑斎や跡部勝資と対立していた穴山信君の評判は思ったほどには悪くなかった。死人に口なしとばかりに責任を小山田・長坂・跡部の三悪人に押し付ける向きまであり、穴山はそれらと比べられて相対的ながらましと言う評価があった。
「世は何がどうなるかわからぬ物……父上が教えてくれた」
「もし穴山殿がお館様とご一緒であったら、と?」
「ああ。あるいは共倒れになっていたかもしれぬがな…まあそれ以前に明智光秀が悪いのだろう?それぐらいの事は私だって知っている」
その信君は本能寺の変の後堺から伊賀を越えて逃れる際に明智光秀の配下と思われる存在に討たれてこの世を去っており、それもまたある程度甲州の民の留飲を下げてもいた。
と言うか、元々武田滅亡後この甲斐に入っていたのは河尻秀隆と言う織田信長譜代の家臣と言うか側近であり、まったく尾張の人間だった。よそ者と言うか征服者である存在が歓迎される訳もなく、本能寺の変の直後に住民たちの動乱により殺されている。家康もまた信長の同盟者ではあったが先述の通り信玄に好意的であったためさほど障壁は高くなく、勝千代に続いて万千代丸が入ってもさほど問題はなかった。実際には元から本能寺の変の後に徳川に下って来た甲州組を中心に各地の領土を確実に抑え穴山の権力を削っていた面はあったが、それを差し引いても徳川家はさほど嫌われてはいなかった。
「しかし、信濃は未だ……」
「ええ。かの上田の戦にて榊原殿を失ってから二年余り、未だ我々はその仇討ちすら叶っておりません、と言うか絶対に無理な状態です」
「それは我々も真田も同じ豊臣の配下だからと言う事か。それにしても」
「それにしても?」
「この国に豊臣家の配下でない家はいくつあるのだ?」
「それは、北条と伊達と、その伊達に与する数家だけでしょう」
それにしてもと言う言葉に瞬時に反応した重臣に、万千代丸は自然と迎合する。徳川にとっての災難の話題に、誰も触れたくはなかった。
徳川家は、二年連続で重臣を失っていた。
一年目の榊原康政については討ち死にだとあきらめる事も出来たが、二年目の石川数正についてはそうは行かなかった。
上田城の惨敗後、徳川家内部で出ていた融和論の先鋒に立っていたのが石川数正だった。それに対し本多忠勝ら武断派家臣は小牧長久手の戦勝を盾に家康に秀吉に服従する意味はないと必死に唱えており、上田城の戦の後でもなお強硬論は絶えなかった。
だがその中で数正は秀吉との交渉の際にいきなり秀吉に寝返ったのだ。その理由については未だに分からないが、酒井忠次と並ぶ宿老の寝返りは徳川家に重大な打撃を与え、誰よりも家康が和睦論に傾いた。
その結果昨年の二月には三河・遠江・駿河・甲斐の四か国及び南信の領国を持った羽柴秀吉の配下として服従する事を決意し、家康自ら大坂城へ登城。次男と言うか実質長男の於義丸改め秀康を人質として差し出し、家康は秀吉の配下となったのである。
「これで戦は終わるのか」
「終わりますまい。北条も伊達も、それに連なる者もまだまだ戦をする気が満々です。無論我々も」
「単純に聞きたい。なぜ戦をする必要があるのだ」
「それは、その方が得だからでしょう。名声も得たいし領国も得たいし失いたくない。無論大事な人間を守りたいと言うのもあります」
結局、そうとしか言えない。戦は結局手段でしかなく、他に方法があるならば教えてくれと言うのがこの国の住民の共通問題だった。例え最終的に負けたと言うか屈服したとしても、最終的に戦で勝っていればいい思いが出来るのは徳川も、西の島津も同じだ。
徳川は真田には負けたが、秀吉には勝った。そうでもなければ実質五か国を守る事など出来ず、信濃及びこの甲斐あたりまでは秀吉か秀吉に付いていた上杉辺りに持って行かれていただろう。
「良いですか。戦は手段であって戦のための戦には何の意味も、いや何の得る物もございません。その事を忘れれば人は獣に堕し、栄光は流水の如く流れ落ちます。戦勝ありと言えど、その後ろにも下にも骨と魂が眠っているのです」
「そうだな…」
実に利発で、それに素直である。
まだ五歳ながらその才覚は既に現れており、徳川の跡目となっている三男の長丸、万千代丸と同じく城主であり既に元服している四男の忠康共々徳川の未来は安泰と思わせるだけのそれがあった。
「わかった。ほどなく行われるであろう穴山殿の改めての葬礼に向けて住民たちによろしくお願いしようではないか」
「それでは…」
だが先主を敬い先に進もうとしていた幼児の耳に飛び込んだのは、初秋の草の音でも虫の声でもなかった。
「ひぃー!お助けくだせえ!」
「何事だ!」
躑躅ヶ崎館に響き渡る、百姓の声。いや、悲鳴。
元より故意ではあるがさほど警戒のない館に響き渡るその悲痛な声と共に、万千代丸以下館の住民は一斉に立ち上がった。
「狼藉者です!」
「何!数は!」
「一人です!その一人がライチョウと叫びながら穴山様の墓をなぎ倒しております!」
「止めなかったのか!」
「止めようとした者は揃いも揃って殺され…どうかお助けを!」
一人の、墓荒らし。わざわざ何のつもりかとなるには、声色が真剣過ぎたし、着物が赤過ぎた。
止めようとしたのか、その者も血が着物に染みていた。一体どこの誰がわざわざ死者の尊厳を犯そうとしたのか。
と言うかライチョウとは何なのか。
「皆、行け!」
許さじとばかりに万千代丸が声を上げると共に、兵たちは一気に動き出し、そして止まってしまった。
「何事だ!」
「ああ、あいつですぅ!」
農民が震える手で指したその先には、一人の男がいた。
三十路ほどの武士、顔こそ端正だがその刃が既に赤く輝いている男が。
「者ども、狼藉者を斬れ!」
兵長の手により次々と刃が振るわれるが、その狼藉者は刃を振るい、次々と徳川軍の兵をなぎ倒す。
そして名うての兵のはずの徳川軍の攻撃は当たらず、どんどんと目標に向けて近づいて来る。
そう——————————。
「わわわっ!」
「殿に何を!」
武田、万千代丸に。
あわてて万千代丸を囲んだ将兵に邪魔だとばかりに斬りかかるその顔は、端正だったのが崩れて憎悪に満ちている。
まるでそれそのものが目的だと言わんばかりに刃を振るその姿は、つい先ほど万千代丸が聞かされた「戦のための戦」を求めるそれだった。
「グァァァァ!!」
そして、その男の喉から出た、とんでもない音。
まるで地獄から閻魔の裁定を無視して蘇って来た亡者のような声に、徳川軍の将兵は縮み上がりそうになった。
「万千代丸様だけでも守るのだ!」
「そうだそうだ!」
「ウオオオオ…!」
それでも必死に主君を守ろうとする兵士たちであったが、第二の声の前に体が動かなくなりそうになる。
ここでへたれたらおしまいだとばかりに震えながらも刀を振るうが、それでも敵は全く容赦しない。
数百単位の兵をたった一人で脅し、一番肝心要な所を取りに来ている。
その結果—————。
「もはやこれまでです!」
「ニゲル、ナ…!」
「逃がすぅ!逃がすぞぉ!」
兵たちは万千代丸を強引に馬に乗せ、逃す事とした。
男が馬を追おうとするのを必死に兵たちが抑え込み、一国一秒でも稼ぐべく捨て駒にならんとする。
十人、二十人と斬るが、その間に万千代丸は甲州から駿河へと走る。次々と替え馬があてがわれ、兵たちも文字通り捨て石になる覚悟を決める。
だが不幸中の幸いか、その狼藉者はそれ以上万千代丸を追う事はなかった。
その代わりのように穴山の墓地を徹底的に壊滅させ、勝千代と言う青年の亡骸まで掘り起こすと言う暴挙を働くのを誰にも止めさせなかったのだが。