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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
最終章 英傑は眠りにつく
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光の先に……

 天正十七年、九月三日。




 久方ぶりに奥州へと戻った伊達政宗・輝宗・蘆名政道、大浦為信・戸沢盛安を待っていたのは最上義光と、大勢の民の歓呼の声と、もう一人袈裟を着た女だった。



「まさかあそこまでするとは…」

「完全な敗北宣言です」




 義姫は、夫に怒鳴りもせずに髪の毛を落としてしまった。

 夫はまだ生きているはずなのに。




 恨みがましさは微塵もなく、ただただ真摯に僧侶をやろうとしている。




「妹はすっかり打ちのめされてしまったようでな、しばらく静かにさせて欲しいとの事だ」

「わしが一生涯面倒を見ますが」

「当然だ、と言いたいがもうその気すらあるかどうか怪しい。完全に敗者である事を認めてしまった。何が鬼姫だと、人の姫ですらないと」

「まさか離別すると」

「だから言っただろう、敗北宣言だと。義弟よ、おとなしい顔をして無茶ばかりしたからこうなったのだ。義経の二の舞を演じるなよ」

「わかったわかった」


 輝宗が軽く笑いながら妻の下へと歩く中、政宗と政道はあの母親の変わりように驚きながら父に遅れて母の下へ向かった。


 一組の母子と、一頭の馬と共に。




※※※※※※




「そうですか…我々は関白から許されたと」

「ええ。あのお方は我々が仕えるに足る存在です」

「とは言え世間体と言う物もありましょう。私がここを離れてもあなたたちはもう十分にやっていけます。と言うかそうでもしないとあの人は何をするか分かりませんからね」

「まさか大坂へ向かうと」

「ええ。あの人が言う事を聞くかどうかはわかりませんが連れて行きます」


 それでもなお、義姫は義姫だった。

 仮に「奥州統一連合」が再結成されたとしても大坂はあまりに遠く、奥州統一連合解散と共に豊臣家側に戻った真田や上杉、佐竹や里見だけでなく黒田官兵衛や徳川家康、前田利家などを倒さない事には不可能だ。かと言ってこちらが攻撃をかけられたとしても籠城を決め込めばそう簡単に落ちる物ではないのは明白であり、それこそ流す必要のない血を無駄に流すだけとなる。


 確かに現状では人質など要らないほどの関係であるが、秀吉も政宗もいなくなった後の時代を思えば先鞭をつけるのは悪い事ではない。二人の息子は苦笑しながら母に向かって頭を下げた。


「それで、わらわが鳥にでもなってそなたらの末裔に会いに来たとでも言ったら信じるか?」

「それはわかりませぬ。その末裔は我々ではありませぬゆえ」

「そうじゃな。信じさせるには相当な力が必要じゃ。彼女らのようにな」

「確かにそうです」

「力と言うよりはゆがみであり、それこそ時代そのものを歪めてしまうそれが要る。今のわらわにそんな力はないし欲しいとも思わぬ。その必要を感じぬからな」

「必要ですか」

「ああ。頼朝も藤原泰衡もその必要性をなめておった。いや承知で飲み込んだつもりでおったが、その上で甘く見ておった」

「わかり申した。父上ももう満足したようですし」

「まったく、藤次郎はわらわに、小次郎は夫に似たと思うておったがな……」


 輝宗もまた、完全に隠居し大坂へと向かう気らしい。


 さすがに今からとなると雪もあり出立は来年になるが、それでもやりたい事をやりたい放題にやった上でこの結末ともなれば文字通りの勝ち組だ。それもこれもまったく源義経と言うか源八郎のおかげ様であり、ますます義経信仰は高まって行くかもしれない。

 ましてや、静御前の生まれ変わりとか言う馬と、郷御前と義経の娘の生まれ変わりとか言う母子までいるのだから。それを否定するにはあまりにも証拠が揃い過ぎている以上、誰もが飲み込むより他ない現実を前にしては、鬼姫ですら無力だった。




※※※※※※




「それで、兄上はどうなさるのです?おとなしくする気もないと思いますが」

「よく言うな。だが実際その通りでもある。わしはおとなしくしろとは言われておらん。もう一か所だけ、行く場所もあるからな」

「衣川ですか」

「ああいかん、その前にそこにも行かねばならんな」


 その上でじっと出来ない兄をたしなめるように、弟は肩に手を置く。

 あれだけの事があっても突っ走る兄とそれを支える弟と言う構図の変わらなさに二人して安堵感を覚える中、次なる待ち人の下へと足を運ぶ。



「お館様、蘆名様」

「小十郎。どれほどの規模の物になる」

「基本は鎌倉から連れ帰った工人たちと打ち合わせが必要ですが、大体は百人程度のそれになるかと」

「それで良いのか」

「ええ。豪奢なそれを望むお方でもないでしょうから」


 まだ枯れるには若すぎる政宗であったが、同じくまだ若い片倉小十郎と共にまだやるべき事はある。


 源義経が望んでいた物。

 それは、家族の団らんと自分を慕う郎党との平和な暮らし。


「社は作るのだな」

「ええ。伊達のみならず、奥州の者たちにとっては神であり、誰にもその存在を否定できませぬ。本人でさえも……」

「本人でさえも、か…………」




 源義経は、別に神になどなる気はなかった。


 だがあの輝宗救命の一件から三年余り、義経とその息子がやって来た事はあまりにも人間の領域を逸脱していた。無論その行いにより多くの人間が迷惑をかけられたが、同時に救われもした。そして、もしあの場で納得させる事が出来なければまた同じ事が繰り返されるかもしれないとあの場にいる誰もが思い知った。


 その上で、今後も親子に報いるための方法が今の政宗らにとって他に思い付かぬのもまた事実だった。


「源義経、源八郎、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊…他郎党の名を刻んだ社を作ります」

「となると…」

「ええ。また相当な費用が掛かるでしょう」

「だな。しかもほどなくして雪が降る。ここはやはり…陸奥と言う名の通り陸の果てだな」

「小十郎。あんまり兄上の機嫌を損ねるな。まあしばらくはのんびりすべきかもしれないがな、私とて見たいのだ、兄上がさらに夢に向かって突き進む姿を」

「……そうですな。されど民は連戦に次ぐ連戦で疲れております。彼らのためにも少し腰を落ち着けるべきかと」

「疲れていない民はどうするのだ」


 そして何より、民のためもあった。

 小十郎の言う通り長い乱世で民は疲弊していたが、同時に小次郎の言う通り疲弊していない民もいた。

 これまで戦国大名が戦を仕掛けて来たのは家臣や民を富ませるためと言うのも大きく、今後それが見込めない以上彼ら元気な民をどうするかが今後の課題となる。


 そのためには源義経らを弔うための社の普請と言う名の公共事業は無論、他にもいろいろせねばならない。

 そして政宗は、既にその案を決めていた。


「…まさかとは思いますがもう許しを得たのですか」

「ああ。関白殿下もわかっておられたようでな。と言うか備前殿(宇喜多秀家)がいなければそれこそ八郎とでも名付けそうなほどであったとか言う話まで上がって来ておるぞ」

「したくもない天下統一、ですか…………」



 つい先ごろ、小田原に向かう前に孕んで居た淀殿から秀吉の子が生まれた。

 しかも男子だ。秀吉の喜びようはどれほどの物か想像に難くなく、そんな存在に八郎とか言う名前を付けようとする事自体義経がどれほどの影響力を持っているかについて察するには十分すぎた。


 その秀吉に、政宗は小田原で何を求めたか。




「もはや、この国で我々が完全に足を踏み入れておらぬのはただ一か所。

 蝦夷地のみ」

「蠣崎殿との折り合いは付いたのですか」

「付いておる。と言うか義経公のための社を怠るようならば手のひらを返しかねぬと大浦殿が申しておってな」

「はあ……」


 蝦夷開拓。何という果てしない野望だろう。

 蠣崎氏が領国としている松前近辺ですら米がまともに取れぬほどだと言うのに、その先どれほどまで広がっているか分からぬ大地をどうやって調べようと言うのか。


「わし自らどの程度気合を入れるかは分からぬ。だがまだ時間はいくらでもある。




 あるいはもしかすると、本当に逃げ切られたかもしれぬからな」




 そして、その先へと引きずり込む、源義経と言う男。


 さすがに衣川で亡くなったであろうし、そのつもりでこれから社を建てようとしているはずなのに、一体どうしてそうなるのかと言う疑問をぶつける人間は誰もいない。


 実際問題、義経の家族はともかくその郎党が騒乱のどさくさに紛れて姿を消したと言う話は旧南部領内にも大浦領内にもかなり存在している。多くは民草の根拠もないお話に過ぎないが、それが生きているとすればそれこそ蝦夷地にでも渡っていなければありえない。

 その彼らが此度の騒乱を知っているか否かはわからないが、もしそうならばもう義経は大丈夫だと伝えてやりたい。


 もちろんとっくに滅んでいたり陸奥に留まっていたりするかもしれないが、その方が楽しいし面白いではないか。




「…まあ、その前にやる事は山とあるからな。せいぜい義経公の魂を守ると共に、関白殿下の真似事でもするか…」

「そうですな、兄上…」


 この兄弟に、憂いはない。


 その姿を見せる事もまた、義経への供養である。




 そんな風に勝手に納得した二人に、大小の陽光が差し込む。


 まるで、自分たちを祝福するかのように。


 晩秋の強くないはずの陽光は一挙に広がり、北方を照らし続ける。



 英傑の魂が、まるで自分を追いかけよと命じるかのように。


 天に上ったはずの魂が、最後に遺した光。




 その光を、政宗も、政道も、小十郎さえも。




 誰もが、目を離す事は出来なかった————————————————。

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