「英傑祭」
「新たな歴史の、始まりである」
天正十七年、六月二日。
血で染まった小田原を前にして、秀吉は高らかに両手を上げた。
「おいそれと 沈めし原へ 押し込めて さぶらう夢を 常に濁さん」
「枯れ尾花 血潮飲み干し 地を清め 若芽もろとも 黒く染まらん」
安達清経と源頼朝を、これでもかと非難した歌である。
「し原」は「シ原」で「源」であり、さらに源氏の政権が頼朝の死後わずか二十年で「死」と言うか終焉した事にもかけている。
「さぶらう」も「侍」の語源となった「さぶらう」及び頼朝が源義朝の「三男」と言う掛詞であり、その義経があくまでも兄に尽くそうとしていた「夢を常に濁さん」と義経を裏切ったのだと言わんばかりである。と言うか常は「つね」であるし、「濁」は「清」の反対だ。
また血潮、すなわち真っ赤な旗である平家を飲み干した、つまり滅ぼした義経であったがその実は枯れ尾花に過ぎず、そんな物を若い芽もろとも真っ黒に焼いてしまうなどただただ臆病の極みであると言うこれまた相当にずいぶんなそれだ。
「あまりやりすぎるのもどうかと思いますが」
「静かなる 磯の香りに おののきて 獅子と猫の子 見わけも付かず」
「万物の 穀を異にして 故郷の 知るに脅えて 皆焼き尽くす」
片倉小十郎の言葉など届かないかのようにまったく誰も彼も浮かれ上がったかのように憤懣をぶつけあい、笑っている。武士らしからぬ潔さもない陰湿な話だが、それもまた現実だった。上座にいるのが歌道の心得などない秀吉の上に石田三成もいないので、もう誰も止めようとしないで悪口合戦となっている。
一応家康だけは下を向いているが、よく見るとちっとも悲しんでいない。と言うか最初の歌を詠んだのは家康であり、他にも獅子《四四》(=八郎)と無害なはずの猫の子も見分けがつかないほどに「静」御前及び静御前の母である「磯」御前に脅えてしまったとか言ったり、全ての穀≒米を異に、つまり自分の全ての行いを「糞」にするような真似をして「郷」を滅ぼすと来ている。
「気持ちはわかりますがな……」
「いや済まぬ、人の振り見て我が振り直せでもないがわしもそうならんようにせんといかんな。本当にそなたらの大功と忠義には頭が上がらんわ」
秀吉も苦笑する。ただ二人ほど場の空気を変えようとする片倉小十郎と本多正信だけが浮いていた。
他人の悪口を言うのは、楽しい。
ましてや、それが言い返しようのない相手ならば、もっと楽しい。
人間の最も汚い部分ではあるが、それもまた事実だった。
「木の根こそ 腐り果てたる 荒野原 京の日さえも 時を戻さん」
「常に来る 朝の日射しを ただ疎み 提携断つが 日々の慶事に」
次の敵は梶原景時だ。
源頼朝にこびへつらう振りをして義経を殺し、さらに安達経清に命じて八郎を殺させた男。文字通りの大罪人であり、ある意味二人以上に凶悪な存在。
「木」の根っこ、つまり尻にあるのは「尾」であり、それに「原」。
そして「京の日」に「時」。その上に「腐り果てたる」。要するに梶原景時と言う腐り切った奴がいるような荒れ野と来たら、主上様が時を戻したくなるぐらいひどいと言う事である。
そしてその流れに乗り、蘆名政道まで浮かれ出した。
「常」に「来る」つまり「九郎」に、「朝」すなわち「源頼朝」。
その「弟兄」の「提携」を疎み断つ事こそ「景時」の「慶事」であると言う極めて随分な歌。
「誰かないのですか」
「まさなきを 諌めまさある 父娘 修羅のみたちに 陸奥の春来ず」
小十郎が何とか流れを変えようとすると、今度は伊達政宗が動いた。
「まさなき」、つまり邪な行いを諫めようとした「まさ」ある父娘であったが、修羅に落ちた男たちの三本の太刀を前にして陸奥の冬のように背筋を寒くして動く事も出来なくなり、修羅の身に落ちた人間の好き勝手を許すしかできなかったと言う次第だ。
この「まさ」が「正」であると共に、「政」の「まさ」である事は皆わかっている。
「幻庵殿。義経公は間違いなくおっしゃっておったのですな」
「はい、時政公と尼御台様には良くしてもらったと……義清公も気の毒な事で」
「義清…いや清と言う字はまずいのではないか?」
「では義和ですか」
「八郎でよかろう。何せ義経公自身がそう呼んでおったのだから」
もはやこの場にいる誰もが、ついこの前とどめを刺したはずの源義経の言葉に従っている。
源頼朝——————————源氏を率い平家を倒すもその名声の傷付くを恐れ義経公らを殺めまくった権力の犠牲者。
そしてその頼朝をたぶらかした梶原景時。さらに八郎殺害実行犯である安達清経。
この組み合わせが、ほとんど確定事項になってしまった。
ちなみに八郎に対し「義清」と言う名前を提唱したのは政宗であったが、それはあまり受け入れられていない。清和天皇から取ったにしても安直であり、それ以上に義経がどう呼んでいたかと言う事が重要視された。
「時代は一体何人の義経公を作れば良いのでしょうか」
「わからぬ。責めがあったとすればただ源頼朝とか言う人間の言う事を聞かずに後白河法皇から官職をもらった事ぐらい……」
「天皇家を凌駕する権力が欲しかったのかもしれんがのう……ほんの三十年もあればそうなったと言うのに……」
「二卵を以て干城の将を棄つ…」
確かに義経の行動は軽率であったかもしれないが、それでもその程度の過ちで逆賊に貶めるなど乱暴極まりない話であり、平氏を滅ぼした功績を完全に無視した非道な行いである。毛を吹いて疵を求めるような苛烈な粛清もまた時代のせいであったかもしれないが、そのせいで族滅とか言う身の毛がよだつような文化が流行し二十年で源氏と北条氏と大江氏以外の豪族のほとんどが消えた現実からしてその答えは大失敗と言うべきそれである。
「今頃あの世で悔いているのでしょうか」
「残念だがそんな器ではあるまい。覚悟はしていたのであろう。自分が正しいと今でも信じ、義経公をもてはやす我々をあざ笑っているのかもしれぬ」
「あまりにもつらい片思いですな」
片思いとか言うずいぶんな言葉が、一番適当な現実。
功名心などさほどないであろう義経が、兄のために動いたと言うのに兄はちっとも理解しようとしなかった。
「そうか…皆、改めて聞いてもらいたい。
わしは伊達殿たち奥州統一連合が頭を下げてくれたことにより、この国全てを治めたとも言える事となった。だが所詮それは、貴公らがこのわしを主をするとよしと思ってくれているからに過ぎぬ。
かつて源頼朝は、権勢欲に取り憑かれもっとも取り上げるべき存在を逆賊としてしまった。ゆえに我が身を守る事にきゅうきゅうとし、逆臣の言葉に耳を貸しその先に粛清の風を作ってしまった。その結果生きている限りはその威に脅えさせる事は出来たが、その先の天下を守る事は出来なかった。わしは知っての通り既に五十四。幸いようやくにして我が子ができたとは言えまだあまりにも幼い。わしは、豊臣の天下を失うこと以上にすぐまた戦乱が始まる事があまりにも恐ろしい」
宴が終わりに近づいたのを確認した秀吉はよく通る声で不安を吐露し、頭を下げるのをこらえながら必死に背を伸ばす。
「もしわしの論功行賞に不満があるのならば、一年以内に何なりと申してくれ。少しでも多くの人間を幸福にすることこそわしの役目であり、もう二度と義経公や八郎公を作らぬ事が役目でもある。出来るかどうかは分からぬが、やらねばならぬ。そしていずれ崩れた時が来たとしても、流す血の量を出来る限り減らして欲しい。どうか、わしを、いや豊臣家を天下人にして…もらいたい!」
して下されとか言う言葉を呑み込む秀吉の顔は、人好きのする面相を残しながらも引き締まっていた。
(難しい、実に難しい……)
威張りくさるような天下人は尊敬されないが、あまりにも腰が低ければなめられる。
源頼朝と言う権勢欲に取り憑かれて全てを失った存在を前に秀吉はそういう姿勢を取った。その時代から比べればずっとおとなしいはずの武士たちを前にして、その力にすがる事を選んだ。
だがそれは依存ではなく、信頼。そして、同情。
北は大浦為信から南は島津義弘まで、皆源義経の存在に当てられてしまった為政者たちが集う国、日本。
だがその義経が望んでいたのが何なのか、正確な答えは多分誰も持っていない。おそらく武蔵坊弁慶、いや義経本人だってわかっていない。
あえて言えば、決して裏切らない世界。下が上を、上が下を。
だがその裏切りが頼朝からしてみれば自分の権力、鎌倉幕府の権力を脅かし武士の世の到来を遅らせるそれであったからこそ断を下したつもりであっただろうし、こうして袋叩きにされるのも覚悟の上であっただろう。
(乱世は終わる……もうこの国に人殺しは要らぬ…されど、裏切りはまた別……)
治世でも裏切り行為は起こる。
秀吉はおそらく意図的なそれの廃絶を願っているし誰だってそれは同じだが、義経が先に背信行為と見られる行いをしたのも確かだった。だがその二人の背信者である兄弟の内兄は現世で勝利し、弟は後世にて勝利した。
いや、本当はどっちだって勝ちとか負けとかどうでも良かったはずだった。
「皆、本当に、よくやってくれた……!」
秀吉は、泣いた。ただただ、泣いた。
その涙に、誰も何も反応する事はない。
それこそ、義経が求めたそれだったのかもしれない。
一同は、納得するより他なかった。