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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
最終章 英傑は眠りにつく
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乱世の終結

「讃岐より さんざ祈りし 叶いては 兄弟もなく ただ人二人」




 北条氏政、いや源義経の辞世の句。




「頼朝公、いや頼朝はこの純粋な気持ちを受け止めきれなかったのでしょうな……」

「松平殿がそのような事をおっしゃるとは」

「いえ、権力に押し潰された哀しさを嘆いているだけです」


 義経父子の死により、残っていた兵は全て降伏。小田原は完全に落城し、ここに秀吉による天下統一は成就した。

 それでも血みどろの戦場となった小田原城の清掃その他には相当な時間がかかる事もあり、多くの将がしばらくこの地に滞在する事となった。


 そんな中で天守を攻めていた松平家康と伊達政宗だけは、お互いの軍勢の疲労にかこつけて座を組んでいた。



 義経が生まれる少し前に讃岐に流された崇徳院が皇を取って民とし民を皇となさんと呪詛を唱えたと言うのはここにいる万人の知るところだが、皇が民になった訳ではないにせよ百姓が天下を取ったのは紛れもない事実だった。

 本当にそこまでの呪詛を抱いていたのかはわからないが、いざそうなった時崇徳院がさらに、いや本当に求めたのは何だったのか。崇徳院は異母弟の近衛天皇に譲位させられ崩御後も自分の子を天皇に据える事も出来ず近衛天皇より十二歳も上の後白河天皇に天皇の座を持って行かれ、その挙句流人になってしまうと言う人生を送って来た。もし近衛天皇や後白河天皇が天皇や上皇どころか、ただの兄弟、いやいっそ他人同士ならばどうだったか。こんな事もなくただただ普通に過ごせたのではないか。


「そして自分も…ですか」

「ああ。その点では伊達殿は実に素晴らしい事です」

 政宗と政道、秀吉と秀長は言うまでもないが家康にも三人異父弟がおりその仲は決して悪くない。織田信長は弟の信勝と家督争いをした事があったが、それでも現状秀吉・家康・政宗の三人はとりあえず問題はない。


「それで郷御前及び息女と静御前は」

「我々が引き取りまする。幸い墨付きはちょうだいしております故」

「これでようやく、全てが終わるとよろしいのですが」

「終わります、終わらせます。終わるために尽くします」



 政宗はそこまで言うと、いきなり腰の刀を地に捨てた。そしてそのまま、単身で秀吉の下へと向かった。

 改めて、秀吉に服属を誓うために。

 しばらく動けなくなった家康であったが、ほどなくして拾った刀を持ちながら笑った。


 こんなにも、戦の終わりとは意外な物なのか。

 もう四十七のはずなのにまだまだ学ぶ事も多いなと、苦笑いするより他選択肢などなかった。










 五月二十九日。


 秀吉は戦後の労功交渉の仮の計画を諸将の前で述べた。



 奥州統一連合は事前の約定通り陸奥・出羽の領有を認められる。

 個々の御家としては伊達家は旧南部領の領有を正式に認められ、さらに蘆名家から東の海岸分を譲渡された。その代わり蘆名家は下野の領有を認められ、最上家は出羽の大半を領有する事となり、大浦家は旧南部領の北側を獲得する事となった。

 上杉家もまた越後・佐渡に加え上野を加増され、佐竹と里見は常陸及び上総安房の本国を守った上で下総を半分半分に分ける事となった。真田昌幸・信幸親子は北信を与えられ、信繫は石田家の代わりに佐和山へと封じられた。なお石田家は家臣団は真田に服属し。正澄・正継親子他石田家本体は豊臣家の直臣として領国を失う代わりに同程度の禄を与えられる身分となっている。


 そして武蔵・東相模には黒田官兵衛が入り、黒田家は十二万五千石からおよそ八十万石になった。

 松平家康は「徳川家康」に復姓し、三河・遠江・駿河に加え甲斐・伊豆・南信の五か国半を治める事となる。また北条は家康の娘婿の北条氏規が小田原周辺の数万石を領国として治める事となり、徳川は実質六か国相当の大名となった。

 またその一方で前田利家は能登・加賀・越中三カ国の大名となり、尾張には伊予から福島正則が倍禄で入封、豊臣秀康が美濃の大半及び金森長近を旧黒田領に入封させてまで得る事になる飛騨で四十万石を得、秀吉の養子であった宇喜多秀家も領国を拡張される事となった。



「これで奥州統一連合は前田、黒田、徳川、さらに秀康公に見張られる事になった訳だ。真田とてこれ以上の野心はないだろうしそうなれば積極的に止めにかかるだろう」

「何せ九郎様が来ているのを見破ってすら動かなかったのだからな」

 真田昌幸についてそう揶揄する人間もいた。実際あの時勢いに乗って攻めていたら徳川家は大打撃を受けそれこそ甲斐の保全すらままならなかったかもしれない。結果的に真田は奥州統一連合の一員として北信三十万石の大名、旧石田領の佐和山を治める事となった信繁を合わせれば五十万石となったが、それでも大魚を逸したと言い出すような人間もいる始末だった。

 



「文字通りの徒手空拳からここまで来た関白殿下の天下はどうなるのか、わしには及びもつきませぬ。

 ですが、少しばかり後悔はしておりまする」

「後悔とは」

「関白殿下の世は、意外と安定するのではないかと言う事です」


 だが真田昌幸が小心者などでない事は、政宗に向かって二人きりの場でそんな大胆な事を言い出す時点で明らかだった。


「安定とは」

「関白殿下は上がる事しか知らないお方だ。結局頼朝も尊氏公も苦難を経験されたればこそ世を安定せしめることが出来た。尊氏公が駄目なら義満公でもいいが、いずれにしても一度高い所に上ったきり苦難を知らないのはどうしても不安になります。義経公はまさにそれでありました」

「有頂天になり過ぎているのではないかと」

「ああそうです。ですが此度の事がかなりの薬になったのではないかと」

「本当に、数えたくないけど数えなければならぬ数を思うと…」

「ええ…」




 この小田原攻城戦において生き残った北条の兵は、わずか八千。

 六万を超えていた軍勢の、八割五分が死体となった。

 もちろん豊臣軍及び奥州統一連合にも石田軍の大半を含めそれ相応の死者は出ており、死者だけで六万人を数える文字通りの大惨事である。

 負傷者も含めればそれこそ十万にまで到達しかねない。


 天下人を決めるためとは言っても、あまりにも大きな犠牲だった。




 しかも、それが過去の人物の八つ当たりで。


「責任転嫁は平易ですがな」

「これだけの血を見てまたやりたいとか言うのは、もう流石にどこかおかしいとしか思えませぬ。まあそのどこかおかしい人間の集まりが我々なのですが」

「そして義経公からしてみれば我々は別の意味でおかしいのでしょう」

「おかしい存在の後始末をおかしくない人間がやる……理不尽な話です」

「古今東西を問わず世の中そんな物ですがね」


 源頼朝と源義経と言うおかしい存在の後始末をしたのが北条政子と義時の姉弟であり、足利尊氏と言う調べれば調べるだけおかしい室町幕府の創始者の後始末をしたのが足利義満である。

 そして中国でも秦の始皇帝と言う英雄ではあるが暴走した統治者の後始末をしたのが劉邦であり、三国時代の後の司馬炎らの失政により長引いた戦乱を治め切るのに隋唐の時代までかかってしまった。


「北は我々から西は薩摩…島津殿も流石に参ったのではないか」

「ああ。それこそこの国総出で集まった武士たちが、同時に体験してしまった。島津殿については詳しくはわかりませぬが、倅はさすがに嘆息しておったと申しておる」

「十二分に力を示し、先祖の汚名も晴らす事が出来たのにですか」

「名目的にはですな」



 六万の血だまりに目を背ける事が出来るような大胆不敵と言うより暴虎馮河とでも言うべき人間など、誰もいない。

 それこそ小田原に来た全ての人間が、目の当たりにさせられてしまった存在。


 戦の無意味さを示すには、あまりにも大きな犠牲。



(いくら小田原とは言え、たった一城を落とすがためだけに…これでは関白殿下の面子にも関わろうと言う物であるしな……と言うか父もまあよくやってくれるものよ。あの母上とよく付き合って来ただけの事もある……まあこれでもう、誰も戦をする気にはなるまい……)



 義経に悪意などなかったろうが、秀吉だって無傷ではない。


 石田三成の不始末の件もさることながら、秀吉自身の軍略家としての才にも傷がついた。いくら向こうがその気だったとしてももう少し犠牲を抑える策はなかったのかとそれこそずっと後ろ指を指され続ける案件である。

 有終の美を飾れず、晩節を汚した。逆に言えば兵法の専門家としてはあまりきれいではないが引き際と言う物でもある。


 それに、伊達輝宗が三人の女性に向けて放った矢のせいで秀吉はそれこそおとなしくするより道はない。

 大政所に誓って平和を守り、北政所に誓って豊臣家と天下を安寧にし、茶々に誓って子を守らねばならない。

 北条政子が義経の死を嘆いていたとか、あるいはこれでもう源氏がおしまいだとか嘆いたとか言う話はこの際真偽どちらでもいい。


 どちらでも良くないのは、この戦の先。

 そのためには秀吉の様な天才の、分不相応ではなく分相応に伸びてしまった鼻をあえてへし折る必要があったのかもしれない。


 少なくともその点だけは、万人は義経にも感謝すべきだと政宗は確信した。

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