「北条軍」の抵抗
「さすがにそう簡単ではなかったがあと一歩と言う所か…」
「しかし本当に良かったのですか」
景勝は無言でうなずく。
総攻撃の日である五月二十七日、北門での上杉景勝の戦いは大詰めを迎えていた。東西のように強力な部隊がいる訳ではないとは言え小田原の強固な門を突破しきれず、一般的な攻城戦を行っていた。
その際に家臣は幾度も奥州統一連合への援軍を求めたが、景勝は応じなかった。
「父上は小田原を破る事が出来なかったが、自分は…と」
「そうではない。元よりこの役目自体伊達殿から請け負ったそれだ。主力軍がこちらに来るのであれば助けを求めていたが、業腹な事にこっちには来ていない以上我々は我々の手で何とかするしかなかった。いくら数の差があるとは言えな…」
景勝が奥州統一連合に味方したのは、それほど積極的な動機ではない。景勝自身が北条氏政の弟である上杉景虎を押しのけて上杉家当主となった以上北条とは組みようがないが、それでも織田信長の跡目である豊臣秀吉には好感を持っていない。その権威によって重臣の直江兼続を差し出すような結果にはなったが信長の存在を差し引いてもどうしても華美な印象のある秀吉とは合わず、かと言って急速に拡大した奥州統一連合の存在を無視も出来ない。
それに、霊武者と童神様だ。南の保護対象であった真田から、東の大勢力であった伊達からそんな話が飛び込んで来た時はとりあえず疑いもしたが、調べれば調べるだけ信憑性が高まって行く。そして真田はともかく伊達が童神様たちのおかげさまで蘆名や佐竹を打ち砕きまた吹っ飛ばされた南部の領国を得た上に奥州統一連合とか言うとんでもない勢力になった以上、これ以上放置する事も出来なかった。もちろん直江兼続が何とかしてくれるだろうとか秀吉はそれほど奥州統一連合の不服従を重く見ていないとか言う計算もあったが、結局豊臣秀吉と源義経を天秤にかけて源義経を取っただけだった。
その結果その源義経が率いる軍勢と戦う事になったのは皮肉ではあったが、嫌いではないと言うのもまた事実だった。
「しかし、義経公は我々の前に姿を現さぬ。どうやら弁慶もいるらしいが東門へ回ってしまったようだ」
「所詮弁慶は一人と言う事ですか、しかし他にも義経公の家臣は」
「その方は一体何人の名前を知っている?と言うか衣川で義経公と運命を共にしたのは誰だったか?」
「……」
「まあ良い、とにかく行くのみだ!」
家臣は答えられない。
一応鈴木重家、亀井重清、備前平四郎と言った面子はいるが、弁慶ほど高名でもない。弁慶より有名かもしれない佐藤兄弟は既に衣川の前で亡くなっており、重家・重清兄弟の霊が出たとか言う話はどこにもない。ないだけで出ているのかもしれないが、少なくとも把握はしていない。
とにかく今はその義経に会うためにも退くわけには行かないとばかりに、景勝は号令を出す。
北門の攻防は景勝軍の優勢であり、今日にも城門を破れそうだった。
だが秀吉の号令は今日一日での小田原の陥落、とまでは行かないにせよ総攻撃。北門を破った後力がどれだけ残っているかと言う不安もある。
そのせいかどこか上杉軍の攻撃は手抜き気味で、景勝の本隊もまだ控えている。北門に向けて梯子を持ち込んで走る兵たちへの援護射撃を行い、決して強引に攻める事はしない。景勝が決して猪突猛進の将ではない事の証であり、兵たちが慕っている理由がここにあった。
援護射撃により反撃のなくなった上杉軍の兵が次々と梯子を城壁にかけ、上りにかかる。いざこれからとばかりに梯子を上る兵の下で、城門を開け彼らを妨害しようとする北条軍もいる。彼らから仲間を守るべく他の部隊も迎撃態勢に移るが、敵が出て来ない。
それなのに、城門の後ろから歓声が起こる。
何かの戦いの声だ。
「援護射撃は中止!城門を睨む部隊は少し気を抜け!」
全てを悟らせるには十分な声を耳にした景勝の号令と共に、城門が開いた。
そしてそこから上杉軍の将兵の目に入り込む、葵紋と竹に雀の紋の旗。
「上杉殿、失敬!」
「痛み入る!松平殿も礼を申す!」
「出過ぎた真似をいたし申した!者ども、西側へと戻るぞ!」
それぞれの将がそれぞれの言葉をかけ合いながら、兵を動かす。
既に打ち合わせ、と言うか秀吉の指図通り上杉は引き続き北を攻め、伊達は東門へと戻り大浦軍や戸川軍を始めとした奥州統一連合本隊としてそちらを攻撃、松平軍は遊軍。
西門には豊臣秀康率いる九州軍を始めとした豊臣軍本隊が当たり、南門は蘆名軍と福島正則や宇喜多秀家らが向かう。
「本丸一番乗りを目指すのだ!」
景勝の声が鳴り響く。三の丸、二の丸、本丸と前進し最終的に源義経の首を取るために突き進む訳だが、実際三の丸における北条軍の防備がどの程度なのか上杉も正確には把握していない。あるいは一番厚いかもしれないが、それならそれでも構わぬと景勝は割り切っていた。
(どうにもならない時まで助けを求める事はせぬ……)
面倒くさいとも言われるが、それが本来の武士の甲斐性だった。秀吉などは駄目と思えば平気で尻尾を撒く上にそれを恥としないから天下人になれたとか言われているが、上杉にはとてもできない。謙信とて敗戦がない訳ではなかったようだが、それとて自ら先頭に立って負けたとか言うそれではない。自らの力で戦ってこその武士であり、自力ではどうにもならなくなるまでは踏ん張るのが責務だと思っていた。
だが義経を見る限り、その時代の武士はどうも違うらしい。
誇りとか責務とか言うより好き放題暴れる事を目的としており、そしてかなり生臭い始点から来ているようだった。
義経そのものは父親たちを害した平家を討ちたい、兄に認められたいと言う現代でも通じそうな動機ではあったがそれに従う人間たちがそこまでの思いを持っていたかと言うと疑わしい。
義経のためと言う属人的なそれしかない人間もかなりおりそれらが中核になっていると言うのならばそのためならば何でもするとか言う人間が多くても仕方がない。主君様を勝軍の将にするためならば暴れ回るだけでなく騙し討ちや奇襲でも平気でやるどころか仲間になると思った存在に平気で頭を下げるぐらいの事をやるかもしれない。
無論それが悪かどうかは言い切れないが、それ以上に野卑で乱暴だった。朱に交われば赤くなるでもないが、どうも義経が部下をそう染めたと言うより義経自体がそういう色に染まっていた可能性の方が高い。そもそも弁慶と言う暴れ者に細腕で正々堂々と立ち向かって行く時点で無謀と言うより自殺志願者じみており、冷静に考えれば考えるだけ肯定できなくなって来る。
「来たぞ!」
そんな義経の薫陶を受けてしまったらしい北条《義経》軍の武士たちは、三の丸北門へとたどり着いた上杉軍に対し左右から挟撃をかけるぞとばかりに突っ込んで来る。上杉軍がやっぱりなとばかりに一歩下がると北条軍は簡単に正面衝突の態勢を作ってしまい、小田原城の有利を生かせなくなる。
しかもよく見れば装備はかなり弱く、数打に板の具足どころか棍棒を持つ兵までいた。小田原なのにそこまで装備が枯渇しているとも思えない以上、思った以上に兵の数が多い事を認めざるを得ない。
そしてそんな粗末な装備しか与えられない兵は弱い事は弱いのだが、それがおそらくは農工商階級の人間であるだけに厄介だった。下手に殺せばその分だけ国力の減退と統治の困難を招くだけであり、ある意味一番厄介だ。
だが彼らは一向一揆ではない。
「信仰心」はあったとしても「天罰」のない軍団が与える威圧感は仏教の一神である毘沙門天の生まれ変わりを称していた謙信の養子をしてなお足らず、上杉軍によって圧されて行く。彼らも鍛錬は積んでいたから練度はそれなりにあったが実戦経験と装備の差は大きく次々と刃にかかる。
元から左右からの横撃や挟撃になって初めて本領発揮出来そうなほどの弱兵たちには、上杉の相手は荷が重すぎた。しかしその事を本人たちだけが自覚せず、次々と突っ込んで行く。
上杉軍は少しばかり良心を痛めながらも、斬る。拙劣な攻撃と脆弱な装備を兼ね備えてしまっていた兵を斬るに当たり、将棋倒しが何度か発生。斬りもしないのに犠牲者の数が増え、あっという間に戦況は傾く。
この調子では自分たちが真っ先に突破できるのではないかと言う自信を付けた兵たちは押し出しにかかるが、その弱兵軍団が崩れた所に真っ当な装備の軍勢が出て来た。
「敵が少ないのはここか!」
無傷ではあるが鎧に刀傷が付いている男の刃が、上杉軍を襲う。先鋒の兵は辛うじて避けたものの顔に傷が付き、返す一撃を放つもその前に首が転がってしまう。
「大道寺政繫か!」
すぐさま上杉の将がその名を叫ぶと気合を入れ直さねばならぬとばかりに上杉軍がその男へ挑みかかるが、政繫は数名の上杉の兵の攻撃を受け止めその上で斬り返して来る。ただ大将だからと言うにはあまりにも見事な戦いぶりに、上杉軍の中で何かの結論が出ようとしていた。
「まさかそなたは大道寺政繫ではなく!」
「いかにも、それが…」
しかし大道寺政繫の肉体を得た男が名乗りを上げる前に、現代の文明が牙を剥いた。
「爆発音だ!」
後方から、左右から轟く、爆発音。
そしてその爆発音の方向を知った途端に、北条軍の顔が青ざめた。
武器庫が、燃えていたのだ。




