松田憲秀、立ち往生する
五月二十七日。
西門にて攻撃が始まったように、東門でも攻撃が始まった。
これまでと同じように、東門へと入る蘆名軍。
それを迎え撃ちに来る、松田憲秀《武蔵坊弁慶》率いる北条《義経》軍。
そしてやはり同じように、適当な所で後退する蘆名軍を追いかける北条軍。
そこから城門の外におびき出され、横からの射撃を受けて討たれる北条軍。
こんな光景がここ数日続いていた。
こんなやり方で毎回何十人と討たれているにもかかわらずちっとも学習しない北条軍であったが、それでも兵たちの士気は落ちない。
北条軍の亡骸を奥州統一連合が回収して埋葬しているのをいい事に、仲間たちの血が付いている地を平気で駆けて来る。
元寇の際に同輩を盾にされても平気で矢を射かけるほどには勇猛果敢であった鎌倉武士。
元寇のおよそ百年前にこの世を去った弁慶の頃からちっとも変わっていないであろうはずのその姿は乱世にいたはずの者たちさえも戦慄させ、同時に困惑もさせていた。
仲間を失えば失うだけ無念を晴らしてやろうと燃え上がる姿は勇ましくはあるが、端的に言えば負の連鎖だ。ただでさえ戦闘単位になれるような人間を失う事は国力を低下させる事につながり、ましてや今回の場合防衛戦だから多くの物は得られない。
また単純な問題として数の差がある事は承知のはずであり、一対一の犠牲では割に合わない。それなのにこうして突進を繰り返した結果犠牲者数は一対四十になっており、蘆名軍を押していると言うのも気分的にと言うか異世界の生物を相手にした蘆名軍の疲労感のおかげだった。
「敵は脆弱なり!伊達政宗よ、我々を何だと思っておるのか!」
弁慶は怒りを込めて政宗の名を呼ばわる。鶴岡八幡宮跡地にて言葉を交わした政宗が、直に出て来ないのはしょうがないとしてもそれからずっと政道や大浦、戸沢とか言った連中ばかりを押し出して来る物だから弁慶はいら立っていた。
政宗を出せ、政宗はどこだと吠える弁慶に構う事なく敵が背を向ける物だから余計にいら立ちが高まり、弁慶はどんどんと進む。
城門跡を抜け橋を越えても平気で突き進み、ついに陣幕に近づく。
「それでも武士か!」
幾万の人間がいようとも勇士は一人とてなしとばかりに吠えた弁慶のそれに応えるかのように、陣幕からようやく兵が出て来た。
竹に雀の旗を掲げた伊達軍の兵士が、弁慶に向けて槍を突き出す。
「甘いわ!」
弁慶もようやく来たかとばかりに薙刀を振り回し、槍を次々と弾き飛ばす。取り巻きたちも負けじと武勇を見せ、次々と伊達軍に斬り込んで行く。
待ち望んだ伊達軍との堂々とした戦。
しかも、これまでより歯ごたえのある相手。
ここ数日の相手で会った蘆名軍は適当に機をうかがう事ばかりに優れたような小賢しい連中ばかりで、まともに相手をせず弱い所を削るのに腹が立っていた。
だが今度の伊達軍は違う。こちらに向けて正々堂々と斬りかかり、攻撃を確実に受け止める。自分にかかって来てくれないのはあまり面白くないが、それで文句を言ったら罰が当たるとばかりに弁慶は勇んで得物を振る。
楽しかった。
政宗が口にした言葉を忘れたつもりではないが、やはりこういう真っ向勝負が一番やりたかった。
それこそ、義経と出会う前のように京の町で暴れていたあの頃のように。
「さあ来い伊達政宗殿!わしと勝負せい!」
そして、伊達政宗。
自分を受け入れてくれた存在。
立派な武士であり、最後の仇として悪くない相手。
主とその家族を受け止めてくれたその存在に対する自分なりの恩返し。
それを果たさねばならぬと言うもう一つの欲望が、弁慶の魂を持った松田憲秀の体を動かしていた。
勢いに任せ、伊達軍を突き破る。命こそ奪わぬが天幕を破り、その奥にいるであろう伊達政宗の姿を拝みにかかる。
弦月兜に眼帯。不遜であると同時に勇猛な隻眼。二度と忘れられなさそうなその面相を求めた。
だが、いない。いるのはまた別の伊達軍の兵だけ。
仕方がないとばかりに敵を倒しに行くが、兵たちに阻まれ進めない。
こちらの鋭い一撃を前に弾き返すのが精いっぱいではあるが、それでも一歩も通すまいと言う姿勢は見事な物である。
「総大将様は控えるのも仕事か…だがそう簡単に諦めはせぬ!」
弁慶の刃を、兵たちは受け止める。どんどんと強くなる敵。
次はいよいよか、胸が高鳴る。全力で敵を叩きに行くが、敵も譲らない。気が付くと後続もいないが、それでも構うまいとばかりに刃を振る。
天幕の中に入ったせいか視界も狭くなっているが、それに乗じて襲って来る敵もきっちり薙ぎ払う。それでも向かって来る姿に敵ながら天晴と感心する。その勢いに任せ、さらに薙刀を振り、左後ろ側の天幕を斬る。バサリと言う音と共に天幕は落ち、視界が広がる。
「な…!」
「悪いが、これがわしなりの正々堂々だ!」
そして、気が付いた。
「戦わぬのか!」
「わしの時代では、犠牲は少なければ少ないほど良い!そのために頭を巡らす人間が将として尊敬を受ける!無論自分の命を賭して戦う事も重要ではあるがそれだけではいかんのだ!」
政宗は小田原城へと突っ込んで行く。ここ数日で犠牲者を多数出し薄くなった城門を破るのは難しくもなく、今伊達軍に侵入されたら東門どころか北や南まで破られてしまう。
謀られたと思ったが、その心の隙を突かれたか伊達軍の兵たちが押して来る。苦戦などしないはずだったのに後退させられ、天幕内から追い出される。
「梵天丸!小次郎!わしが後は請け負う!」
天幕から飛ぶ、梵天丸と言う名前。
そう、この「伊達軍」の指揮官は、伊達輝宗。
米沢からはるばる気まぐれでやって来たような男が、今ここで恩人と言うべき武蔵坊弁慶と戦おうと言うのだ。
「そなたは確か政宗殿の!」
「おう、梵天丸はわしの息子だ!そなたの主のおかげで拾った命であるが、息子たちが立派に育っている以上それほど惜しくもない。悪いがここで使わせてもらう!」
「恨み言は申さぬ!されど今は!」
弁慶は、事ここに至り急に義経の命が惜しくなった。
既に幾たびも言葉を交わし、別れの挨拶も済ませた。
八郎と名付けられた義経の息子とも出会い、政宗や片倉小十郎とその息子らが良くしてくれた話も聞いた。さらに言えば、郷御前や娘、静御前の生まれ変わりだと言う馬とも言葉を交わし四百年ぶりに涙も流せた。
後はもう未練もなく死ぬだけのつもりだったのに、どうしても前世のように義経の側で死にたくなった。
だが、敵はそんな事を許すほど甘くはなかった。
輝宗が軍勢を率い、武蔵坊弁慶へと相対する。
輝宗が率いていた全ての兵が、ほんの少し心の乱れた弁慶とその配下へと襲い掛かる。
数の差があった。
弁慶には二十人以上の兵が取り付き、配下には一人当たり三から五名の兵が囲んでいる。それを実現できるだけの兵が奥州統一連合にはあり、弁慶軍にはなかった。
と言うか弁慶軍と言ってはみたがその実は二百にも満たない小隊長でしかなく、大半の「松田軍」は父親の変質と暴走に不安を抱いた息子の直秀によって戦意を保ちながらもこの暴走に加わっておらず、その直秀を弱虫だと罵倒したような兵たちが次々と戦死するような展開になってようやく足を止めた。
その事に弁慶は気付いていなかった訳ではないが、北条氏照の時と違って兵たちの動きが地味だったのでここまでの事になるとは思っていなかった。
これは義経と違って憲秀の体を奪った弁慶が北条の現状を把握するのに懸命になり息子の直秀たちとの会話を避けていたと言うかそんな時間がなかったのが問題だったのだが、弁慶はそのような事など知らない。
ましてや、輝宗軍と言ってもその実がほぼ真田軍である事も知らない。
輝宗の更に後方には真田昌幸がおり、その昌幸の指示により引き付けられた弁慶軍は真田信之と唐沢玄播により左右から今伊達軍に扮した真田軍により、丁重に囲まれて叩かれている。もちろん精鋭軍団は対弁慶用に配置し、足を徹底的に止めている。
「悪いが弁慶殿、わしが責務を負おう。呪詛を唱えるならどうかわしだけにしてくれ」
「そんな気はもうない!されど義経様だけは!」
「それが難しい事はわかっておられよう。義経公はここで死ぬ気である事は貴殿もお分かりのはず」
「わかってはおる!されどどうにか…!」
「頼朝は血を分けた弟を信じられなかった。それと同じになってはなりませぬ」
そして、輝宗は切り札を繰り出した。
頼朝が死に追いやった兄弟親族は、何も義経だけではない。
従兄弟の義仲は義経・範頼により討たれ、その義仲と近かった叔父の行家は討伐令を出され討ち死に、頼朝にもっとも忠実であったはずの弟の範頼は謀反の疑いをかぶせられて流刑から殺害されている。
義仲と行家は政治的対立があったからと言えても、大功績者の義経や忠実実直な範頼を死に追いやったのは、それこそ疑心暗鬼の塊に成り下がっていたからと言われても言い返せない話だった。
「…………」
弁慶は全てを覚悟するかのように、最後の敵を求めた。
義経の健闘を祈り、今度こそ最後まで悔いなき生涯を終えられるように。
弁慶は、弁慶としての戦を選んだ。
だが、輝宗は真摯であり、卑怯でもあった。
何十発と飛ぶ、鉛玉。
弁慶が兵たちを切り開くと同時に開かれた天幕の先に待ち構えていた銃兵の一斉射撃により、その肉体に穴が開いた。
「ぐ…!」
それでも弁慶は松田憲秀の肉体を支えるように薙刀を地に叩き付け、口元を引き締めながら仁王立ちになる。
いや、むしろ笑っているようだった。
その笑顔の後ろで、真田軍により追い詰められた弁慶軍が次々と討ち死にして行く。
昌幸の命により決して無理をしてはならず長引かせればそれでよしと言われた兵たちの働きにより、弁慶軍は崩れた。元々強力とは言えない所を強引な訓練で底上げしていただけの兵では、やはり無理があった。
そして今、最後の一人が倒れた。首を取られはしなかった物の全身に傷を負い、何も言わぬまま血の海に沈んだ。
「まさか…!?」
「…し、死んでいます!」
そしてその一人に続くかのように、松田憲秀の肉体も倒れた。
すぐにこと切れている事に気付いた真田軍の兵により死亡が確認されると、伊達輝宗は深いため息を吐いた。
まるで前世のように、立ったまま死んだ。
矢より威力のあるはずの鉛玉を三十発以上その身に受けたと言うのに。
鉄砲隊は次の弾を込めるのに懸命で兵たちは向かって来る事を前提で身構えていたので何も動けずにいた結果の、あまりにも鮮烈な再現。
「……とりあえず弁慶殿の遺骸は丁重に扱え」
「よくやってくれ申した、少しお休みくだされ」
それ以上の事を言えなくなった昌幸と、兵たちの慰労に勤める輝宗。
こうして確かに、弁慶は一つの軍の足止めには成功したのである。




