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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第九章 呪詛との戦いに垣根なし
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風魔小太郎の覚悟

「何人が首を縦に振った?」

「五十人です」

「武器を渡してくれたのは」

「三十人です」


 北条氏照は光のない目でわずかな側近に向かって呟く。


 ただでさえ東西両門での戦に敗北し三の丸まで見える状態になってしまった以上、残念ながら小田原城の敗北はそれほど遠くはない。

 いくら戦意に満ち溢れていたとしても装備の数は限度があるし向こうが犠牲をいとわなければいずれ磨り潰される。


 豊臣軍はただでさえ全国の大名の総動員だから精鋭揃いだし、奥州統一連合だって伊達や上杉などの荒武者揃い。そんな精鋭軍団と真っ向衝突すれば北条は不利とまでは行かないにせよ優勢とはならない。ただでさえ下野と下総の戦で大敗を喫してしまった以上戦意など本来上がりようもなく、こうして戦意に満ちている事さえも奇跡に近かった。

 だがその奇跡が実際に起こってしまっている以上、真っ当な理屈は塗り潰される。自分なりの親心だったはずなのに、通る見込みはまるでない。

「相手は無駄な殺生を行うような人間ではないと何度も説得したつもりだったが」

「既に別れは済んだと」

「で、その三十人は帰らせたのか」

「残る千九百七十人に見張られていると言うか監禁されております」

「弱虫毛虫はつまんで捨てろ、か……」



 事ここに至った以上、一人でも多くの兵を救うのは当たり前だ。その当たり前を実行しているだけなのに兵たちはまるでその気がない。氏照自ら土下座してでもこんな無理心中に兵たちを突き合せたくなかったのだが、東門での戦ですらほとんど逃げるような兵はいなかったと言うか必死に手綱を握れば握ろうとするだけ兵たちの目が白くなった。その後東門の敗戦の責任を取らされて二の丸の守備に回されたのはしょうがないとしても、後任の松田憲秀の戦いぶりを見る限りちっとも安心など出来ない。


 単純に敗北したのもさる事ながら、話を聞く限り誰もその敗戦を悔いていない。むやみに落ち込む必要もないが、それでも反省ぐらいはすべきだろう。いや実際していない訳ではないようだが、

「奥州統一連合を侮っていた…」

「豊臣軍もかなり勇猛だ。正しくは松平軍がかもしれないが…」

「上杉もかなり強い。気合を入れ直さねばならぬな」

 と言った調子らしい。全くの根性論であり、将が言う事さえも憚られるような暴論だった。

 だが現状の松田憲秀を見る限り、その根性論を自ら唱えそうにさえ思える。まるで戦いを楽しむかのように浮かれ上がるその様は将と言うよりただのケンカ屋であり、木っ端武者である。だがそれを排除すればこっちが悪役か卑怯者扱いであり、兵たちからそっぽを向かれる。何ならいっそ憲秀を斬ってやろうかと思ったが、それぐらいで目を覚ますなら誰も苦労しない。自分が死ぬだけならばまだしも、売国奴の三文字を投げ付けられるのがオチに決まっている。




(……鎌倉武士、か)




 信じたくない、認めたくない話。


 氏政は源義経、氏直は義経の息子にその身を乗っ取られ、さらに武蔵坊弁慶を始めとする義経の忠臣たちが次々とこの小田原城に集まっているらしい。

 おそらく、松田憲秀も義経の部下の魂に乗り移られてしまったのだろう。まさか兵たち一人ひとり全てにとは思わないが、それでも昨年から続く激しい修練を見ているとこうなってしまうのもわかってしまう気がする。


 源義経がどれほどの存在かは氏照だって知っている。強大な平家を倒したカリスマ性の持ち主であり、とんでもない美青年だったとか武蔵坊弁慶相手に欄干から飛び上がったとか壇ノ浦にて舟三艘分の距離を飛んだとか真実か嘘か分からない話が出てくるほどには偉大である。

 その源義経が一軍を率いるとあらば、兵たちは矢も楯もたまらずついて行く。多少危うかろうとも構わず、どんなに辛くともこの人のためならばとばかりに動く。その中で厳しい修練があろうとも弱音を吐かず、と言うか当主自ら動く物だから部下はついて行くしかなくなる。これならずーっと天守閣で震えてくれた方がありがたいとさえ氏照は思っていた。



 やるせない思いを抱えながら城内を歩く氏照の耳に入り込む、稽古の音。


 敵を討つべく呼吸を整え武器を振るその姿は実に美しく、それでいて実に醜い。 


 聞けば聞くほどやる気が失せ、鬱々した気分になって来る。


 と言うか家内一の猛将とか言われた氏照も四十八であり、個人的な戦闘能力は頂点から既に落ちている。今猛将と言われるとすれば配下の兵の質とその出し入れぐらいだが、配下の兵は大将がこの調子だからやる気はなく、東門での戦でわかるように出し入れもまともに出来やしない。


(幻庵様をもってしても駄目だった……)


 唯一この状況を何とかできそうな幻庵に相談してみたが寝たり起きたりの状態の上にようやく目を覚まさせても出た言葉はもうどうにもならぬと言う投げやりなそれでしかなく、もう少し食い下がってもなればおとなしく引っ込んでおれとか言う言葉しか引き出せない。

 自分が死ぬのはこの際いい。自分を差し出して秀吉や政宗に許しを乞い秀吉が持ち込んで来たという条件で妥協すべきではないか。そんな当然のはずの言葉が全く通らない現況に絶望する勇気すらないまま、力なく肉体を引きずる。



「ああっと!」



 そんな無気力な、下ばかり向いていた男の足を止めたのは自分よりさらに大柄な男だった。

 同じようにうつむきながら歩き、こちらがそれなりの足音を立てているのにも気付かない間抜けと言うか無気力な男。


「これは大変失礼いたしました!」

「いやそなた…小太郎か!」




 風魔小太郎。


 北条家の忍び頭。




「まさかとは思うがそなたもか」

「もしや…とりあえず場所を変えましょう」



 その小太郎に連れられ、誰も使っていない部屋へと入る。

 二畳もないような、密談には絶好とも思えるような小部屋。それにしてはほこりっぽさもなく、何かがあったような感じを思わせる。


「ここは…」

「武器庫です。それこそ文字通り最後の最後まで取っておくべきような」

「そんな最後の切り札を持ち出したと言うのか」

「ええ。どうせ刀剣など消耗品ですから」

 小太郎は平然と言うが、それはすなわち北条軍が無理心中覚悟と言う証であり、敗者には草一本残さないと言う最も醜悪な手段に走ったと言う事である。

「馬鹿な…」

「それなのですが」

 顔さえ確かめるのが難しい明度に構う事なく話す小太郎の一方で氏照は顔を青くと言うより白くするが、小太郎は全く構う事はなく話を続ける。


「まさか氏照様はそれがしに大殿様を暗殺でもしてくれと思っておいでですか」

「そのような!」

「拙者とて考えました。されど今の大殿様も殿様もとても拙者が叶う相手ではございませぬ。それもそれがしの責任でございます」

「意味が分からんぞ」

「それは昨年の正月……拙者は甲州に入っておりました」

「それが何か問題でもあるのか」

「その時どうも、源義経の霊に体を奪われていたようなのです」



 氏照は驚きさえもしない。


 小田原城とか言う戦国乱世の象徴のような近代的なはずの城でさえ、あるいは大時代的に思える陰陽師のような存在はいた。そういう存在に感づかれないように亡霊が小田原城に入り込むには、それこそ何者かに成りすますと言う俗人的な方法しかない。

 無論その手の専門家が早いうちに小太郎に接触していれば分かっていたかもしれないが、ただでさえ小太郎と言う忍者がその手の存在の目を避ける事は簡単であり、それこそ徳川や真田の忍びが入って来るよりもっと簡単である。と言うか本来それを止めるべき風魔忍びが小太郎の配下にあるのだからもうどうにもならない。



「証拠でもあるのか」

「どうやらこの時代の字を書き記した紙が何枚もありました。文字通り隙間なく書きこの時代の文字を学んでしまい偽書を作ったのです」

「偽書……ああ、そなたが知らない書ならば偽書か……と言うかもしかして……」


 小太郎は氏照に見えるか見えないかの闇の中で無言で首を縦に振る。


 どうやらそれが氏政の戦意を煽り、そして時が満ちたと見るや氏政の立場を奪い北条家と言う巨大組織の棟梁の地位を手に入れ今こうしてあの時できなかった戦いをしようとしている。

 さらに言えばあの鶴岡八幡宮を焼いたのだって石田三成ではなく義経とその息子と配下であり、三成はその対処をしようとして結果的にその罪を背負わされてしまったのかもしれない。


「……で、そなたはどうする」

「北条はどうなると思います」

「しまいだろうな。

 援軍など来ようがない、仮に来たとしても敵は有り余っているから後方を突く事など出来ない。それに敵の戦意だって高いし、あの兵糧攻めの達人である豊臣秀吉だ。粘り倒して兵糧切れを待つなんて事も出来ない。そもそも小田原城に入られた時点でもう終わっているのだろうがな。上杉謙信も武田信玄も小田原だけに来たから凌げたのであって今の北条には下野も下総もなく上野も時間の問題、いや下手すれば武蔵すら怪しい。補給路を断つだけの力はない」

「ええ…」


 氏照の言葉を否定できる材料はどこにもない。

 それこそ最後の戦場だとばかりに目の色を変えた連中が次々とやって来る以上北条の兵はある意味金銀財宝である。しかも関東管領を含む諸侯の後押しで強引にやって来た謙信でも西から片手間気味にやって来た信玄でもなく、両側からゆっくりと挟まれている。まだ上杉しかいない来たならば逃げられそうな気がするが、北に逃げたとて小田原より堅い要害などない。どう見ても無理だ。




「……拙者は心中します」

「そんな!そなたは武士ではあるまい!」

「いえ、拙者が義経を引き込んでしまった以上、責任の取り方と言う物がございます故!」

「それならわしが!」

「どうか一死をお賜り下さいませ!」


 その気において、小太郎の下した決断は「自死」だった。

 忍びらしくもない決断を氏照は止めたが、小太郎の決意は固かった。


「……わかった。わしは最後の最後まで生きよう。何とか兄上を止める」

「わかり申した。でも拙者もここで死ぬ気はありませぬ」

「戦いたい相手がいるのだな」

「はい。勝てばよし、負けてもよし……」

「ああ。後で水杯でも交わすか」

「要りませぬ……」



 氏照と小太郎はようやく顔を崩した。

 お互いに悲壮な決断を抱えながらも、薄暗さに負けないほどの笑顔を見せ合っていた。

 氏政《義経》が知る由もないままに。

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