伊達政宗、妥協のために戦う
小十郎がいなくなった奥州統一連合本陣にて、政宗は全くあり得ない客を迎えていた。
「父上、どうしてここに来ておったのですか!」
「来たいから来た」
「小十郎が血反吐を吐きますぞ!」
「だからこそ豊臣家にやったのだろう。我が子ながら気が利いておるわ、なあ小次郎」
長男が心底から小十郎を心配しておきながら、父親は長男のその行いを褒め称える。
次男は作り笑顔を浮かべ、第三者である大浦為信は口を小さく開けていた。
「小次郎、お前はいつ聞いた」
「一昨日でございます!兄上ならば片倉殿には伝えないであろうと思い、大浦殿と共に安房守の使者が来るとだけ言っておきましたが」
「まったく、実に大浦殿は気が利いておる。実際間違っておらんしな」
伊達輝宗を小田原まで連れて来たのは真田信之であり、輝宗が率いていた二百の内百五十が真田の手勢である。政宗が輝宗と共に来ていた信之の方を見ると、無理矢理に無表情を装っていた。
「安房守殿は」
「北方からやって来られた上杉殿を迎えに参られました」
「丸投げか逃亡と言うのではないか」
「有り体に言えばそうですね」
上杉軍そのものはそれほど遅滞行軍をしていた訳でもなかったが、春日山城からまだ北条の勢力が残っている上野や西武蔵を強引に通っていたため時間がかかり、つい昨日ようやく相模に入った所だった。上杉は奥州統一連合に付くと宣言している以上真田昌幸が迎えに行くのはそれほど問題はないが、どっちが面倒かと言えば明らかに輝宗の方だった。輝宗も勝手だが昌幸も勝手だと思うと、なぜかまだ二十五のはずの信之が急に老けて見えた。
「しかし小十郎はわしの事を知らなかったようだが、小次郎よ、なぜ秘匿したのだ」
「言うまでもありますまい、兄だけでも小十郎は呼吸を荒くしているのに!」
「あれは秀吉殿にも噛み付くぞ」
「そうですな。御家のために彼のような人間は必要です。もし、その役目に酔っていなければですが」
「小次郎、お前も言うようになったな」
その輝宗は輝宗で本陣に入るや小十郎がいた席にまったく遠慮なく座り、よその御家の長男の苦労も知らずに浮かれている。兄の影に隠れているきらいがあった次男がずいぶんと大胆な口を利くようになったのが嬉しいらしく、顔を赤らめながら手を叩く。
「父上…はっきり申し上げます。この場における総大将はそれがしです」
「そうだな。副将と言うべき小次郎を借りてしまってすまなかったな」
「ええ。ですからこの場にて言わねばならぬ事があるのです、父上だけでなく皆にも」
「何だ何だ、どうせ秀吉には敵わなかったとでも言う気か」
「ええそうです。あれはいくら殴りかかっても受け止めてしまうとんでもない軟性の持ち主です。もし頼朝がああならば、義経公は生涯を全うできたでしょうし鎌倉幕府も征夷大将軍により動いておりました」
単純な話、義経の血が残っていれば九条頼経とか言う頼朝の妹の孫とか言う存在を担ぎ出す必要などなかった。実朝が死んだのが史実通りならば義経は六十一歳だからまだ生きている可能性は十分あるし、その子どころか孫とて既に成人していただろう。そうなれば北条家の独走を許す事はなかったし、幕府そのものも長持ちしたかもしれない。執権政治と言うのが幕府にとって良かったのか悪かったのかはわからないが、源氏の直系の一族が最高権力者である方が健全な政治の在り方ではある。
「確かに秀吉殿は高齢です、されどもしこのまま天寿を全うするのであれば誰もこれ以上の野心を抱きたくはなくなるでしょう。仮に男子がないとしても誰かを当主に据えて天下人の御家として皆が盛り立てるより他なくなります。秀長殿は病勝ちですが男子がおり、さらに言えば養子もおります。小次郎、三人はどうだった」
「福島殿は血気盛んでしたが加藤殿にたしなめられて言う事を聞くほどには素直で、宇喜多殿は極めて真面目で我々に礼を欠かしておりませんでした」
「逆に言えば福島殿は猪突猛進で加藤殿はそれと同類項、宇喜多殿は優等生だが義父のような覇気や実父の様なしたたかさはないと言う事か…フン、やはり秀吉殿はあの顔をして容赦がないな」
その上で、従兄弟と又従兄弟と養子の一人を人質に差し出した秀吉に改めて感心したように政宗は鼻を鳴らした。奥州統一連合の人質は自分一人だから豊臣家からも一人でいいはずだが三人も出したのは表向きには誠意だったが、それ以上に選別の意味合いもあった。
福島正則は真面目であるが加藤清正と言う同僚にあっさり言われて変わる程度には自分がなく、その加藤清正も福島正則と言うか石田三成の同類項かと思うと期待は薄い。そして宇喜多秀家の父親の宇喜多直家は東北にもその悪名が轟くほどの謀略家であるが息子は完全な優等生であり、実父の様な笑顔の下に刃を隠すような狡猾さもなければ義父の様に笑顔を振りまきながらも愛想をも振りまく事が出来るような人間ではない。
そして人質と言う名の生贄にもう一人の関係者と言うべき豊臣秀康を差し出さなかったのは、秀吉がその四人の中で一番大事にしていたのが秀康だったからだろう。もちろん家康の実質上の長男だからとか言う理由も表向きにはあっただろうが、もし秀吉は自分の子が男子でなかったらその秀康を跡目に据えるかもしれないと思うほどには高く評価していたようにも思えた。
実際、豊臣の本陣にいた際に政宗の世話の担当は秀康だったし、人質とは思えないほどに厚遇したのも秀康だった。秀吉はやたら政宗に親切だったし何でも話していたが、生活の面倒を見ていたのは秀康だった。
「それで兄上、大将にお戻りくださるのですね」
「ああ。小次郎、とりあえず城門を一枚破ったようだがその後はどうなっている」
「こちらに対する攻撃が激しく前進は出来ていません。とりあえず奪還はされていませんが」
「やはり、義経公が率いているのだろう」
そして政道の請願もあり本陣の座に腰を下ろした政宗は早速、大将らしい分析をしてみせる。
北条氏政の事はさほど知らないが、それでも氏政ならばあんな強引な守り方をしない事は知っていた。この時代の常識にどっぷり浸かって来た五十二歳の男がやるにしては、あまりにも強引で力任せ。東門の戦いはおろか西門での戦いでも命を的に次々と敵軍に当たらせ、こちらの戦力以上に戦意を削ろうとしている。もし大浦軍が横撃に成功したり、島津軍と言う同じぐらい命知らずの存在がいたりしなければ負けていたかもしれない。
そう書くとかなり有効にも見えるが、それでもたかが城門一枚分にしては負担が大きすぎる。まさか口減らしでもあるまいだろうが、それでも兵力が限られているのにわざわざ減らす意味はない。もし氏政なら、小田原の堅さを頼みにじっと構えこちらの疲弊を待つだろう。今のやり方は小田原の堅固さと言う強みを半ば捨てるようなそれであり、いかに城が堅固であろうともそれを守る兵を減らしては意味がないと言う事を理解していないそれである。
「義経公の時代にこんな築城技術はない…」
「頭の中身までそのままと」
「そうかもしれぬ。ただでさえ源平合戦の戦とは野戦であるからな、と言うか攻城戦が始まったのっていつからだ」
「それは存じ上げませぬが」
「個々の将の頭には防衛線のやり方はあるだろうが総大将がそれでは動けない。
北条氏照すら兵たちに気圧されていたように今の力関係は氏政氏直親子、彼らの薫陶を受けた兵たち、そうでない将たちと言う風になっているだろう。そしてその危うさに異を唱える者は二心を持った者か腰抜けとして殺されてもおかしくはない」
「それは関白殿下の分析ですか」
「ああ。まったくわしは敵わん事がよく分かった。義経公のご子息様の力がなければ此処まで来られなかった人間など、残念ながらここまでと言う事だ。幸いにも書状の通り関白殿下は我々を粗略に扱う気もないらしいからな、この場にてその力を見せてやらねばなるまい」
その上で全く恥じる事なく、敗北宣言を吐き出す。政宗が無事に帰って来た時点で既にその事を予想していたせいか大浦為信を含め顔色を変える人間はいなかったが、却ってその事が事実の重さを見せ付けていた。
「そうか」
輝宗でさえもそれ以上の事は言おうとしないのをいい事に、政宗は久しぶりに握った刀を半分だけ抜いてすぐ鞘に戻した。
「上杉殿にも伝えてもらいたい。関白殿下は我々を粗略にはせぬと。なればこそ、この国における最後の戦にて存分に力を発揮されたしと」
「最後の…」
「幾百年かすればまた起こるであろう。されどその時には戦も何もまるっきり入れ替わっている。いや、そう信じたいしそうさせたい」
政宗の言葉には、何の迷いもなかった。
負けを認めた上でその存在のしもべとして戦うと言う屈辱的なそれのはずなのに、政宗は笑っていた。
そしてその笑い声に呼応するかのように、次々と声が上がった。
「共に戦うのだ!」
蘆名政道から始まり、大浦為信も、やけっぱちのように真田信之も叫ぶ。
奥州統一連合が、今ここに改めて一つとなろうとしていた。
「申し上げます!敵軍が突っ込んで来ました!」
「来たか!」
「どうやら西門でも動きがあった模様!」
「北でもです!」
もう一か所、いやもう五か所からも。
「皆行くぞ!我々の力を義経公にお見せし、安心して眠ってもらうのだ!」
「では…」
「父上はここで本陣をお守りあれ!」
政宗の号令と共に、兵たちは一気に動き出した。
全く示し合わせた訳でもないのに、秀吉軍も上杉軍も同時に動き出した。
戦いの終わりへと、近づくために。