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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第九章 呪詛との戦いに垣根なし
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真田昌幸、鳶が鷹を生まなかった事を知る

「誰にも申し付けてなどいないのでしょうな」

「だろうな」

「蘆名様は今どうしておられる」

「次の攻撃に備えております」

「早急にお呼びしてくれ」


 信之の捨て鉢めいた言葉に、昌幸も早口で返す。


 投げやりとか言うより、ただただ感心している。


 二日前に玉縄城を出て東武蔵に向かい西から来る北条勢に備えさせられていた真田昌幸は珍客の闖入に、そう言い返す事しかできなかった。とりあえず蘆名政道を呼んでみたものの、往復だけで真田忍びを使ったとて三刻(六時間)はかかりそうでとても間に合わない。


 自分とそんなに年の変わらない男だが、やはり自分の次男坊と同い年の息子並に足腰が軽い。いいとか悪いとかではなく、自分よりずっと名家のくせに何故そんな事が出来るのか。



「今四位左京大夫様が着到なされました!」



 そして三刻どころか半刻(一時間)もしない内に、その珍客は昌幸の陣へとやって来た。

 服こそまともだが帯刀さえせず、佐竹軍を含めれば三千以上の兵がいる中総大将の天幕へとほぼ身分だけで平然と入り込んで来たのである。


「真田安房守殿、お初にお目にかかりまする!」

「いかにも、それがしは真田安房守でありますが…紛れもなく貴公は四位左京殿ですな…」

「いかにも!」


 政宗を思わせるような馴れ馴れしいと言うより大胆な挨拶に昌幸は通り一遍の返答を返す事しかできず、真田の兵たちも思わずあっけに取られながらも昌幸を守る事しかできなかった。信之は政道への使者の行方を待っている状態であり、真田忍びはその伝令役をやっている。実質一人で対峙する事となった真田昌幸は、柄にもなく慌てていた。

「で、その、米沢は」

「大丈夫です。最上殿がおりますから」

「そうですか、とは言えなぜまたここまで、下野とかならわかりますが」

「来たいから来ただけです」


 その輝宗がこんな返答をして来るものだから昌幸は混乱してしまいそうになり、深呼吸をやたら何度もする。輝宗は笑ってばかりであり、武田信玄の愛弟子と言う名の軍略家として名を売っていたはずの昌幸を完全に翻弄している。


「今頃ご子息様方もあわてておいでではないでしょうか!」

「でしょうな。藤次郎はともかく小次郎は真面目な子ですから。今は小田原の攻撃に当たっているのでしょう」

「そうですな、ついこの前口火を切ったばかりです。かなりの戦果を挙げられたようですがあくまでも第一歩に過ぎませぬ」

「しかし北条も必死なのでしょう、虎を素手で殴り倒すおつもりだったのですか」

「そう思うのは勝手でしょう」


 この時の輝宗一行は、五十人ほどになっていた。少しでもずれれば即北条の攻撃を受けそうな場所を行くにしては不用心を極めた話であり、大胆不敵と言うより暴虎馮河だ。その事を指摘してやっても輝宗はまるで表情を変えず、むしろ余計に楽しそうになっている。


「……で、鶴岡八幡宮の話は聞きましたか」

「ええ。まったく義経公の悲しみを頼朝公はわかっておいでであったのか……あるいはその時の無念があればこそ尼御台様も修羅となったのやもしれませぬ…左金吾(源頼家)様も右大臣(源実朝)様も犠牲になるとわかっておれば手心をお加えになったのかもしれませぬがな、まあ無駄でしょうが」

「頼朝公が源氏の繁栄だけを考えるほど偏狭であったと」

「少なくともおかしくはなっておったと思っております。平家が消えた事により目標を見失い自分が何をすればいいのか分からなくなったところを奸臣に付け込まれあんな事になってしまわれたのでしょう」

「紂王と妲己はどっちが罪が重いでしょうか」

「共に自分の快楽のために民を苦しめている時点で同じです。もっともその行動がどの方向から来ていようが悪は悪であり善は善ですが」




 真田昌幸はそれほど政治的な偏りはない。

 しかしいきなり兄二人を失い当主になってからはそれこそ生存競争でいっぱいいっぱいで大きな政治などに目を向けている暇がなかったからしょうがなかったと言うか、真田全体がそういう流れになってしまう以上そんな事を考えている暇もなかった。武田は弱り、織田に襲われ、織田が消えたら消えたで上杉と北条と松平に迫られとか言う状況で内紛を起こす暇など誰にもないと言う環境にいた以上、兄弟での内紛と言うのが感覚的に分からなかった。頼朝が義経を排除しようとしたのだって自分を通さずに後白河法皇から勝手に役職をもらったとか自分より力が肥大するのを恐れたとか理屈ではいろいろわかってはいるが、そこまでして権力を独占した結果については恐れ多いと言う言葉しか出て来なかった。


「目で見て、耳で聞いてもなおわからない、いやわかりたくないのですかな」

「それでも事実は事実なのです」

「ふっふっふっふ…!」


 と言うより、まだ霊武者こと源義経や童神こと義経が起こした事を認めきれなかったと言うのが正しかった。輝宗にその事を指摘されて少し頬を赤らめるも、そんな事があるかと顎をしゃくってみせる。だが輝宗は余計に嫌らしい顔になり、さらに笑った。


「今頃藤次郎は関白殿下の下にあるかもしれませぬ」

「そんな、奥州には惣無事令はなく関白殿下も奥州統一連合に対しては寛容であったはず!」

「何を考えておいでです?まさか藤次郎が首だけになっているとでも」

「でなければ何なのです!」

「その時は小次郎と共に戦うだけですが、おそらく藤次郎は単に鎌倉に来たかっただけだと思います。あるいはそのために奥州統一連合を作ったのやもしれませぬ」


 輝宗はその流れのまま追撃を放ち、真田昌幸は頭を抱えてしまった。

 政宗が奥州統一連合とか言う巨大勢力を作り上げた理由がまさか本当かどうかわからない源義経の亡霊に突き動かされたなど、暴虎馮河どころの騒ぎではない。最上義光とか大浦為信とか言う策略家と聞いていたはずの存在まではいはいと従うなど狂気の沙汰であり、分のあまりにも悪い賭け事でしかない。伊達政宗がどこか自分たちと違うのは承知だったしその上で万が一秀吉と奥州統一連合が対立した際に片方だけでも生き残らねばならぬとばかりに振り分けたはずだったのに、この男は全く余裕がありすぎる。


「自分だったら」

「で、その旨を記した書を五通ほどしたためて送ったのです。まだ届きはしないでしょうが」

「えーと、最上殿に、大浦殿に、えーと……」

「いえ、左衛門佐殿と関白殿下と大政所様と北政所様と淀のお方様にですけど」




 そして、とどめを刺された。




 自分だったら最上義光でも襲って豊臣秀吉に寝返るぐらいの事はしてますぞとか脅かしてやるつもりだったのに、あんなありえない事を全く臆面もなく言い触らすなど全く異次元であった。

(関白殿下だけでなく我が倅、いやそれどころか……!)

 昌幸の頭に、女と言う発想はあまりなかった。確かに秀吉だけに言えばいいと思っているならばたいした事はないと言えたが、秀吉が気に入っているらしい信繁にも手を出すとなるとなかなか侮れない。


 それ以上に三人の女性に目を付けられたのは完全な予想外であり、そしてそれがかなりの好手である事にすぐ昌幸は気づいてしまった。



 今秀吉に言う事を聞かせられるのは、母親であるなかと、正妻であるおねと、今秀吉の子を孕んでいるらしい茶々しかいない。信繁がどれだけ秀吉に好かれているかはわからないが、純粋な信繁が秀吉にあるがままを伝えないとも考えにくい。そして秀吉を動かせる三人の女の内なかとおねは百姓上がりで武家のお約束じみた先入観など全くないし茶々とて両名の賛意を覆すほどの力はないが単純に源義経の伝説と非業の運命に悲嘆し彼らの救世を願う程度には慈悲もあったし、単純に頼朝の後を秀吉に追って欲しくはないだろう。



「その旨、ちゃんと記したのでしょうな」

「無論でございますが」

「……そうです、か…………」



 真田昌幸は全身から力が抜けてしまった。



 気の強い妻の義姫と、破天荒な政宗に振り回される苦労人の男。



 そう思っていたはずの伊達輝宗は、政宗がああなるのも当然とでも言いたくなるような人間だった。政道は今までの所折り目正しい優等生をやっているが、それが本性なのか輝宗のように牙を秘匿しているだけなのか分からなくなって来た。


「ご子息様も腰を抜かすでしょうな」

「それは実に楽しみですな」


 最後の一撃も簡単にいなされた昌幸に、もう次の手は残っていなかった。

 三人の女性とか言った所でどうせ行先は秀吉だろうが、それでも輝宗がまったく鳶などではなく鷹であった事を思い知るには十分すぎたのである。

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