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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第九章 呪詛との戦いに垣根なし
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伊達輝宗の「猪突」

「義経公の子息が、か……」



 伊達輝宗が童神様と呼ばれる存在の正体の当てを付けたのは、南部氏一党が壊滅させられたと聞いた時だった。

 南部氏と言う四百年近く続く家が、ほぼ一夜にして滅んだ。そして無法地帯と化したはずなのに、予想外に平穏無事であったと言う。

 

 そしてその下手人は、自分をかつて救い、その後は人取橋にて息子たちを救ってくれたたった一人の三歳児。

 二本松(畠山)義継、佐竹義重・義広親子。そして南部晴政を含む南部家の一同。彼らの共通点は源氏の末裔である事だった。源氏をそこまで恨む三歳児とは一体どこの誰なのか。平氏かと思ったが、平氏の落人が来るには奥州と言うのは都合が良くない。確かに広くはあるし身を隠すに向く山地もあるが奥州藤原氏と言う幕府にとって最後の抵抗勢力を潰した以上徹底した掃除が行われ平氏もまた同じように狩られたと見るのが常識的な判断だった。と言うか元々平家の地盤は西国であり、前九年・後三年の役の時代には源頼家が大活躍した事もあり奥州藤原氏の前に源氏の地盤が出来上がっていた。

 そんな所で源氏を憎むのは、奥州藤原氏の一族でなければ一体誰か。その疑問について、自ら描いた絵を見る度に答えが分かった気になって来た。


 「源氏」とは一体誰か。おそらく、自分たち伊達に今の地位を与えた「源氏」の代表こと、源頼朝。

 その頼朝を恨み、源氏を恨む存在。藤原泰衡の遺児かと思ったが、正直藤原泰衡の評判は知れている。

 ならば—————と思い付いたのが、源義経の遺児だった。

 義経の遺児の男子が鎌倉にて生まれてすぐ取り上げられ殺されたとか言うが、なるほどそれならば「源氏」に対して怨嗟骨髄なのもごもっともである。その魂が父が最期を迎えた衣川へと向かい、父を探してうろつき回ったのかもしれない。その際に源氏の血を感じ、自分の父や姉たちを殺した存在として武士に取ってもっとも甘美なる勲章である仇討と言う果実を母乳のように啜りに行った、と考えると実につじつまが合ってしまう。源氏の末裔である里見を攻撃しなかったのも乳離れと考えてしまうとまたしかりなのだ。

(まさか霊武者も、また……)

 そして霊武者。上田の地に現れて榊原康政とやらを斬り、「徳川」家康や黒田官兵衛を襲った存在。家康や官兵衛だけでなく、榊原康政とやらもどうやら源氏らしいと聞いた時には二人の関係を断言せざるを得なくなった。

 霊武者はおそらく、源義経。そしてやっている事は、ほぼ同じ。なぜ九州まで行ったかはわからないが、あるいは自分の目で新たな天下人である豊臣秀吉を見極めようとしたのかもしれない。

 


 そしてその答えを政宗は信じるかもしれないが、政道も小十郎も信じない。信じたとしても否定する。

(あまりにも証拠がない—————

 藤次郎ならばともかく小次郎はそんな不確実な存在で動くのは危険だと言うだろうし、小十郎に至っては制止するために腹を切るかもしれぬ。武士ではないからこそ武士であろうとして無茶をする……わしとは違う世界の存在である事をわしらは忘れてはならない…)

 政宗にまだ男子がないのに自分が先に男子を儲けてしまったからとその子を殺そうとしたとか言う話を聞いた時には、小十郎の忠義心と危うさを否応なく感じた。

 そして、その危うさが義経公や童神様と呼ばれるような古の武士たちと類似している事も輝宗は見破っていた。



 —————どうせあの場で失ったはずの命だ。

 なればわしももう少し、好き勝手にしてもいいではないか。


 今の自分は、伊達家の隠居でしかない。奥州統一連合の総大将は政宗であり、守将は最上義光である。輝宗には正直、何の権力もない。


「今頃政宗と政道は」

「佐竹と里見の協力を取り付け相州に行っておいでです。大浦殿と戸沢殿も共におります」

 下野も下総ももはや奥州統一連合領であり、上野も時間の問題。北条が風前の灯火であり、それ以上に戦と言う存在自体が風前の灯火であると言う現実。奥州統一連合と豊臣家が手を組めば、それは戦乱の終わりを意味する。


 あるいは、源義経にとって最後の好機かもしれない。


 為政者らしいと言えば体裁はいいが不誠実を極めてしまったような兄の罪を正し、本当の本当に本気で戦って死ぬための。

 いや頼朝の罪を正す気はなくとも、自分の最後の欲望とでも言うべき正々堂々と戦って死ぬと言う思いを果たすための。


 源義経とその息子。彼らこそ今この国を支配している存在。それに恩返しをするために息子は戦いに身を投じている。いや、このままだと本当に小田原と言うか鎌倉まで行くかもしれないと見ていた。




 そして南部家壊滅から三年余り。

 下総遠征で勝利した政宗は、ついにその先へと向かう事となった。


 その際に佐竹はおろか里見さえも従えた政宗、それに付き従う政道に大浦為信。


 いや、最上義光をも従えまとめ上げ作り上げた、「奥州統一連合」。

 もはや自分は必要ないとまでは行かないが、その存在は間違いなく軽くなっている。


 だが、伊達輝宗は四十六歳。老け込むにはまだまだ早すぎた。

 それに名目としては奥州統一連合の盟主と言う事になっている以上、それなりに権力もあったし情報も入っていた。


「やはり、秀吉も小田原に……」


 豊臣秀吉が小田原に来ている。ただでさえ奥州統一連合との戦で急激に国力を落としている北条を滅ぼせば、もはや豊臣の敵は奥州統一連合のみとなる。そこで政宗が服属すればそのまま天下統一となるのは確実。服属しなければ奥州統一連合と豊臣家との戦となるが、国力の差からしていずれは奥州統一連合は負ける。その結果伊達がどうこうと言うか、やはり天下統一は成る。

 いずれにせよ、「戦国乱世」は間もなく終わる。その前に、自分に何が出来るか。


(真田……)


 輝宗の頭に浮かんだ名前。


 榊原康政が亡くなった場にいた、ある意味自分と並ぶ伝説の生き証人。

 その絶好機を生かしきる事が出来ないほどには常識的であり、かつ才智に優れた男。今は政宗らと共に小田原へと向かっているはず。 


「わしも小田原へと向かう!」

「そうですか」

 

 輝宗の決断は早かった。

 さらに隠居人として輝宗の部下になっていた鬼庭良直もまた、輝宗を全く咎める事をしなかった。

「で、統一連合は誰が」

「それは最上殿に任せておけばよい、余計な事をせぬように兵は残す。陸奥も下野も、いや東武蔵も今や奥州統一連合の領地であろう?」

 一応止めてはみるが、文字通りの口先だけでありまるでその気はない。良直もまた輝宗よりさらにいい年をしておきながらいたずら屋とでも言うべき気性の持ち主で、そのくせ万が一の時には責任を取るとか平気で口にできるしかつ口だけでもない。と言うか本当は一度死んだと思っていた事も輝宗と同じであり、その点でも二人は同心してしまっていた。




 結局輝宗は、二百人ほどの従者を連れ義姫にさえ何も言わぬまま米沢を出発。表敬訪問がどうとか適当な事を言いながら南進した。

 そしてその道中、武蔵に入った所で石田三成の死と鶴岡八幡宮の事件を知り、さらに上杉もまた奥州統一連合に付いた事を知った。


 やはり、霊武者と童神はいる。思った通りその正体は源義経とその遺児であり、そしてあの馬とあの母娘は、義経の家族。四百年引き裂かれていた家族が、今ここに集結しようとしている。

 その目的が生木を裂いた頼朝への怒りなのか、それともただ家族の本能なのか。いずれにしても、彼らを無視する事など出来ようはずもない。


 そして真田が、武蔵にいる事を知った輝宗の心はなおの事踊った。


「真田殿に申し伝えてくれ!」


 そう街道に残留していた佐竹軍の兵に楽し気に話す姿と来たら、義宣の親類であるとは言え殺し合ったこともある仲であると言う事を感じさせないほどに和やかであり、それ以上に楽しげだった。

 政宗のような鋭さはないが、なぜか引き込まれてしまう。

 秀吉の様な天然のそれではないが、と言うか秀吉など見た事のない佐竹の人間にはそれで十分だった。


 人取橋の戦いで重要な存在が抜けていたせいもあり、佐竹軍はあっさりとうなずいてしまったのだ。


 伊達政宗にも、蘆名政道にも伝えないままに。



 そして輝宗がここに来るまでの間に何をしていたか、全く知らないままに。

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