豊臣秀康の攻撃
「先刻承知とは言え、やはりここにおれと」
「ああ。一応真っ当な装束は持たせておる。それについでではあるが、三人ほど向こうにやっておいた」
「それがしを預かる代わりに、三人もですか」
「釣り合いが取れなかったら済まぬがな」
「だがそれでは戦力が」
「大丈夫じゃ、最初から承知の上じゃったから」
「見させていただきましたが、実に皆よく動いておりますな」
帯剣こそ許されていないがそれでも奥州統一連合本陣から取り寄せた衣装に身を纏った政宗の側に、福島正則と加藤清正の姿はない。さらに言えば、宇喜多秀家もいない。
平たく言えば、人質の交換だった。
正則は秀吉の従兄弟、清正は母が秀吉の母の従姉妹なのでいわゆる又従兄弟、宇喜多秀家は秀吉の養子であり、秀吉の身内と言う意味では人質としてそれほど悪い人選でもない。
もちろん三人とも将であるが、福島軍は可児才蔵、宇喜多軍は宇喜多詮家、清正軍は飯田直景が率いる事となっており重臣の二名と従兄弟と言う事もあり軍の運用には問題はなかった。
既に攻撃の準備をかけ、いつでも号令さえあれば攻撃をかけられますと言わんばかりである。
「まったく、宇喜多様はよく存じませんがあのお二方は見た所なかなかに勇猛果敢であり勇ましき将であると見ましたが大丈夫なのですか」
「大丈夫じゃ。あの二人は官兵衛の息子の吉兵衛と同じく三成とは折り合いが悪くてな、前線で命を張り続ける自分たちを安全な所から見下ろしていると思っておったそうじゃがな、最後の最後に同族嫌悪に過ぎなかった事を示されてしまってからは急におとなしくなったわ…まあそれでも三成があんな真似をした事もありなかなか心底から認める事は出来んようじゃがな……」
「義経公は治部殿を殺したくはなかったでしょう…………まさしく、同じ穴の狢そのものであり、同病相憐れむに値するお方でしたから……」
不器用だが、誰よりも純粋で忠義心の塊——————————それがきわめて正確な石田三成に対しての批評だっただろうと政宗は少しうぬぼれてみたかった。
大事な大事な主君様のため命どころか自分の名さえ惜しまずに突き進み、功績など何も求めない。その姿は確かに美しいが、その美しさゆえに人間離れした不可解な存在であると言う印象を与え、そこから不信感や恐怖感を生んでしまう。
またそれ以上に、忠誠心とそれを発揮するための能力の二点にしか能力を振っていないためかあまりに不器用であり、不信感と恐怖感故に敵を作り、そして味方をも作る。
そう、味方をも作る。それも、熱狂的な信者をだ。
「左近はそれこそ自分が悪名を被ってでも斬るべきだったとずっと嘆いておってな……」
「果報者ですな」
「わしも当初は石田家は取り潰そうと思っておったがかような連中がおるとどうにも手を下しがたく…まあいずれにしてもとりあえず三成の妻子は三成の兄の預かりとしておき、三成の家臣もそのまま横滑りさせる事にしておくつもりではある。甘いと思うか、何の罪もない義経公と違い罪を犯した男の御家を守るなど」
「治部殿の人気とはいかほどなのです」
「真面目が服を着て歩いておる男で、笑顔を見せる事さえ稀であった。左近によれば笑顔を見せるのは古き書を読んでおる時ばかりだとか、それも枕草子やら源氏物語やらではなく兵法書やら政治書やらで……」
「それで庶民から人気が出れば奇跡ですな」
石田三成と言う人間の外面は四角四面と言う言葉がここまで似合う男もいないであろうと言いたくなるようなそれであり、その上で熱い内面を秘めているから確かに一部の人間には猛烈に好かれそうな気もするが、多くの人間はその外面を受け取り人間味がないと敬遠し、理屈としては正しいがこいつの口から出ると聞きたくないとか言う空気を醸成してしまっていた。
一方で源義経は京の町でうっぷん晴らしをする程度には暴れ回り破戒僧そのものの武蔵坊弁慶を正々堂々と戦って仲間に加えるなど派手派手しくちょうどいい具合での蛮行もやり、さらにその力で一ノ谷・屋島・壇ノ浦と宿敵である平氏を打ち倒した事から平氏の暴政に辟易していた庶民からの人気もかなりあった。
「なればこそ一皮むけて欲しい、人間らしくなってほしいと父上も願っておったのだが…もう年を取り過ぎていたのかもしれんな……」
「三つ子の魂百までも、か……今度幼少期のあやつについて話を聞いてみたいがのう……」
「貴公は…」
そこにやって来た、秀吉よりも明らかに体の大きい男。秀吉に向かって言う訳でもなく嘆きの言葉をこぼしながら自然に割り込んで来た男の名前に、政宗はすぐ気が付いた。
「ああ。私は豊臣三河守だ。大した価値もない男だがな」
「おいおい…」
「どうせ我が実父に反対されるのが嫌なのでしょう、父上は本当にお優しいのですから」
豊臣三河守秀康。この本陣にいた秀吉の四人の親族の中で一人だけ残された存在。
松平家康の次男であり、秀吉の養子の一人。
「伊達殿はこの戦いをどう思っておられます。やはり実の父親を守ってくれた存在との戦いは心苦しいですか」
「向こうがやってくれと言っている以上、逃げる事など出来ますまい。無論それがし自身も戦いたくはありますが」
「食事は召し上がられましたか」
「ありがたく頂戴させていただきました…」
「単純素朴なやり方こそ、いざと言う時は人の心をつかむのやもしれませぬ。頼朝公もその力を甘く見ておったのかもしれませぬな」
秀吉の事だから、何らかの策は用意していたのだろう。自分なりに秀吉を研究していた政宗は秀吉の得意技がいわゆる兵糧攻めである事を知っていたが、秀康は首を横に振りながらため息を吐くだけだった。
「わしは元より兵糧攻めはせん気じゃった。確かに小田原を落とすのは簡単ではないが、小田原の民はそれこそ北条のために最後まで戦おうとする。おそらくどんなに厳重に守っておっても兵糧を奪いに来るじゃろう。わしらはそれを討たねばならぬ」
「確かに、この地の領民は北条を慕っておりました。我々もここに来るまで最小限の戦闘で済ませたく思いましたが、玉縄では当地の領民も抵抗に加わり里見勢の攻撃も最後まで跳ねのけようとしました。どうか当地の領民には慈悲をお与えください」
「心得ておる。息子よ、やってみせよ。だがおそらく北条は東の初戦を落としてしまった以上西の我々にはかなり本気で来る。負けねば十分じゃ」
「官兵衛殿もそう申しておりました。この戦いは長引けばそれでよしと」
だが所詮、数が違う。いくら兵糧や装備が充実しているとか言った所で、どっちにも限りがある。兵力差を補うのが策であると言っても、小田原城とか言う拠点のせいで攻める側もだが守る側も策は組みにくくなっている。もちろん北条には策よりもずっと強固な小田原城とか言う絶対的な存在があるが、逆に言えば小田原城なしとなると正直豊臣・奥州統一連合の合同軍と比べ分が悪い。それを補うのは領民の力と、何よりも士気であった。
「籠城と言うのは退屈じゃ。それ以上に士気も落ちるし衛生環境も良くない。ましてや援軍も期待薄となれば、長引けば長引くだけこっちに有利になる」
「しかしそれで快勝が出来るのかと言うのも不安なのですが」
「そうですな。しかし長き戦いの中で一つも負けずに追い詰めて行くのもまた良いと思います。焦燥を煽り、強引な賭けをさせるのもまた勝負の醍醐味……」
「勝つべくして勝つ難しさを侮ってはならぬ……わしも少しばかり老いてしまったかもしれぬな……」
豊臣秀吉も伊達政宗も少数で多数を破る経験はあっても逆はなく、それゆえか秀吉は小牧長久手でも九州でも大軍を率いながら勝軍の将にはなれなかった。一方秀康はまだ十七と言う事もあり考えは柔軟で、かつ大軍を使う事に慣れている。戦の経験はまだ四度目ぐらいだがそれでもこういう戦いには自分より適性がありそうだと秀吉は苦笑していた。
「では行って参ります」
「頼むぞ」
「数はいかほど」
「およそ三万五千と言った所じゃな」
こんな緩い応答と共に、豊臣秀康を大将とした小田原城攻撃が始まろうとしていた。しかも三万五千。秀康軍一万、黒田軍六千、宇喜多軍一万、福島軍三千、加藤軍三千、その他三千で三万五千。
「北条にどれほどの打撃を加えられるのでしょうか」
「出来るかもしれぬし出来ぬかもしれぬ。まあいざとなれば、ほどほどで引かせるように官兵衛にも三河守にも申しておる。またより危うき時は…と言う事じゃ」
秀吉は三万五千もの秀康について楽観的とは言えない言葉を吐きながらも、その顔に不安の色はなかった。