伊達政宗、秀吉に会いに行く
いよいよ第九章です。
「なあ小十郎。わしはお前たちに対して良い君主であるか?」
「…」
「いや、いい。ここまで益体もない事が言えてしまうなど、わしも少し疲れたらしいな」
鶴岡八幡宮の跡地から戻って来た政宗は、本陣の中で座り込みながら小十郎に愚痴を吐いた。
口では疲れていると言っているが顔色は良く、むしろこれまで以上に楽しそうだった。
「わしは、十割の確信を得た。父上やこのわしを救い続けた、童神とその父親である霊武者の正体を」
「そうです、か…」
「もうわかっているのであろう、そなたも」
「やはり、源九郎義経と…その息子ですか」
「ああ。そしてその下手人もわかった」
「藤原泰衡がですか」
「小十郎、往生際が悪いぞ。何せわしは自ら聞いたのだからな、武蔵坊弁慶に」
「……………………」
武蔵坊弁慶。源義経の配下の僧にして、主とその妻と娘の最期を飾らせるために文字通り立ち往生した忠臣。
彼までもが、この世に戻って来たと言うのか。
「では今源義経公は」
「それは十割の断言が出来ぬので差し控える。だが、当てはある」
「いら立ちもわかりますがおっしゃって下さい」
「小次郎が知っているだろう」
「そうやってわからせるのは部下の役目です」
小十郎は自分が口を酸っぱくして手綱を引こうとした事に政宗が腹を立てていると思い過ちを詫びるように急かすが、政宗は政道の名前を出してはぐらかす。その意味が分からない小十郎でもなかったが、主人面をしてくれない主人に対し逆切れをしてみせる程度には小十郎も人間だった。
「おそらくは、家族団らんを楽しんでいる。まあ、約二名足りないがな」
「はあ!?」
「武蔵坊弁慶は言っていた、最後まで戦って死にたいと。おそらくそれは、源義経もその嫡子もまたしかり……そして、今戦が起こるであろう場所は…」
「まさか北条氏政を!」
「氏政はここ最近、非常に激しくなった。日夜問わず得物を振り、部下たちにも鍛錬を強制させている。今は戦中だからごもっともだとしても年明けぐらいからそうだからこれはもう完全に日常と化していると言えよう」
「と言うと……」
「ああ、氏直もまたしかりだ。そしてついて行けない存在は正直少数らしいが、その少数があまりよろしくない方向なのだ。そう、風魔忍びがな…」
温厚と言うほどではないにせよ相模の獅子と言われた父ほどの猛々しさのない代わりにやるべき事はやる優等生的な君主だと言うのが北条氏政の世評だったが、それがそんな急に変わってしまうなどありえない。性格が変わるには年を取り過ぎているし、秀吉と自分たちの襲来うんぬんのせいとしてもおかしい。焦燥感によりとか言うには、あまりにも自然すぎた。
そんな情報が流れて来るのは、その流れに乗り切れていない「弛緩」している部分がよりにもよって風魔忍びだったからだ。最近どうも風魔忍びの活動が鈍く、こちらが情報を得るのを阻害する事がなくなって来ている。個々人の活動そのものはそれほど悪くないが組織的な機能が弱まっており、立ち入る隙が生まれてしまっていた。
「もはや北条氏政は完全に源義経に乗っ取られていると…」
「ああ。なればこそ、さしたる混乱も起きなかったであろう?」
「はい……」
「彼女もまた、ようやくあるべき所に戻れたのかもしれぬ…息子と共に…」
政宗不在の間に本陣から抜け出し小田原へと入って行った一頭の馬を、兵たちは追う事はしなかった。
「では、あの母娘は…」
「衣川にて死した妻と娘…そしてあの馬は」
「おそらくは、下手人たちに引き裂かれたもっとも愛しき女性……」
衣川で義経と共にこの世を去った郷御前と、その娘。
そして、あの童神の実母である義経の側室にして、この鎌倉にてあまりにも悲しい運命をたどらされた女性——————————静御前。
なぜ郷御前が人間として、静御前が馬として転生したのかはわからないが、いずれにしても今小田原には源義経とその息子、静御前がいるらしい。
「かの母娘は今どこに」
「馬の世話をさせておったが、残念な事に出遅れてしまった。今からでも引き渡すか」
「おやめください」
「言ってみただけだ、女たちには女たちの思いがあるのだからな。本人たちにでも照会してみるか。あ、童神様がその二人を粗略にしなかった以上問題ないか…」
「大真面目に何を言ってるんです」
「そこは何を楽観しているのですか、だろう?」
相変わらずの調子の政宗であったが、その顔にふざけの色合いはない。
これから先のそれを、恐れながらも楽しみにしていた感じだった。
「わしは童神様に対してどう礼を言えばいいのかわからぬほど救われて来た……それこそ今ここにいるのさえもまったく童神様のおかげだ。しかしこれから、その童神様を相手にする事になる」
「世の習いかもしれませぬ」
「だな。わしは男子だが、女子の世界は複雑なのであろう?まだわしには愛しかおらぬが、いずれは側室を迎える事となろう」
「正直、この戦の前にと思っておりましたが」
「わしは悪い男だ。女をぶつけて戦意を削ぐ事を考える程度にはな」
「逆効果にしか思えませぬが」
「宋襄の仁と言う奴だな」
確かに、無駄な情けかもしれない。正室と側室が衝突して内部崩壊を起こすとか言う浅はかな期待がない訳でもないが、それをやったとして彼らの霊が鎮まるのかどうかわからない。
「悲しみの大きさは、あまりにも測りがたい……」
四百年の時が経ち、父と息子は霊になり、正室と娘は人に、側室は馬になっている。
そして父子は大量虐殺に手を染め、妻と娘はその虐殺者に尽くし、側室は馬となって人を乗せて駆けずり回る。
そこまでして得た物が一家団欒など、他に何と言えば良いのか。
「小十郎」
「世間はもはや、戦乱の終わりを感じております。ここで奥州統一連合が関白殿に頭を垂れれば戦乱はもはやこれまでと言う事になりましょう」
「だな。だがそれはとりもなおさず、一気に石高を増やす見込みがないと言う事を意味する」
「そして、下剋上も過去の言葉となると…」
天下安寧、戦乱終結と言えば体裁はいいが、それはある種の硬直化を意味する。今日得た領国が明日奪い返されるような事は無くなる代わりに、逆に昨日失った領国を今日取り返す事も出来ない。ましてや、その欲望を叶えてくれない主君を責める事は出来なくなる。もう一生、いや永遠に主従関係が固定されてしまうのだ。
なればこそ、この後の論功行賞は責任重大となる。もし不満を述べて覆せるとしたら、まだこの状況に世の中が馴染み切れていない今が最後の好機だ。そして
「恩に報いるに俸禄が少なければ相手のみならず世の不信を買う……かと言って過剰なるもまた……」
「関白殿はどれほどの禄高を我々に保証してくれるのでしょうか」
「まあすんなり丸呑みしてくれたとして伊達は百二十万石、蘆名は七十万から八十万石と言った所だ。ただおそらくは両家は分断される。そして、片倉家はおよそ五・六万石と言った辺りが妥当かもしれぬ」
「そんな!」
「張り込み過ぎとは思わぬ。あるいはもう少し変わるかもしれぬが、とにかくわしはそなたに二十分の一から十五分の一程度の家禄を渡すつもりじゃ」
「それもまた、あのお方様の……」
「ああ。わしはその点臆病かもしれぬ。先人の轍を踏むまいとして別の轍を踏んでしまうかもしれぬほどにはな」
「それがしは梶原景時にはなりませぬ」
「かの存在があそこまで不人気だとはな、知ってはいたが改めて呆れもした。義経公からしてみれば一番憎んでも構わぬ生贄かと思っておったら、諸家からも相当な不人気だったらしい。なればこそ頼朝公逝去後すぐに粛清されたのかもしれんがな」
梶原景時と言う童神様を殺めたも同然の存在の悪名は今でも絶えないどころか関東中に染み込んでおり、源頼朝を評価したり北条時政・政子、義時親子を認めても景時を認めない人間は非常に多い。ましてや既に霊武者父子が源義経父子だと気付いていたらしい兵たちがその事を言い触らしていたのがこぼれたのかはともかく、少なくともここに来るまでの間に景時に好意的な評価を抱いている人間は一人もいなかった。
本来大事にすべき存在を蔑ろにし、重用してはならぬ存在にすがってしまう。そんな過ちは古今東西いくらでもある話だが、政宗もまたその話をかの存在から聞かされて来た。
(想像以上に最低な人物だった、とか言うのが完全に被害者の側である人間の見方でなかったと言う事を、歴史は証明してしまっている……………………!)
そして、この時代を現在進行形でかき回しているのも、元はと言えば彼のせいだ。その責任を取らされるこっちの身にもなって見ろとか無責任な事を言う気もないが、それでも文句を言うぐらいはいいじゃないかと思う。
もうこの不毛な連鎖を、この辺で断ち切らねばならない。
だとしたら。
「小十郎。政道を呼んでくれ」
「殿!」
「わしは秀吉殿、いや関白殿を信じてみる。
だがもし関白殿下が源頼朝の過ちを繰り返すならば、黒田官兵衛殿が梶原景時であったならば北条と手を組め」
「しかしその行きつく先は勝者なき戦乱だと思いますが!」
「言うようになったな小十郎。これなら大丈夫だろう。北条も、と言うかあの男もわしが害されたとあれば容赦はすまい」
ついに政宗は、秀吉に会いに行く決意をした。
小田原を挟んで数里にもならぬ距離でありながら、敵とも味方とも友軍とも敵軍とも言えぬ関係であった大軍の大将同士の顔合わせ、と言うか事実上の降伏宣言。
だがその口は、決して折れる人間のそれではない。
独眼竜は決して力に押されて屈するのではなく、優秀な存在と認めた故に服するのだと言わんばかりの目。
そして万一の場合にはその身を取って食うぐらいの事はしてやると言う竜の魂。
小十郎もまた、それらを前に覚悟を決めた。
—————もっとも、その上で政宗がやろうとしている事には同じく覚悟を決める事とした政道共々流石だと苦笑するより他なかったのだが。