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戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
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風魔小太郎、後悔の涙を流す

次回はいよいよと言う事で5月16日までお待ちください!!

「…………ああっ!」


 座禅を組んで一分もしない内に、声を上げてしまう。

 夜だと言うのにずいぶんと声のする小田原城の中の、数少ない人のいない場所に籠っていたはずなのに。


 これで何が忍びだ。




「いや、もう拙者は忍びでも何でもない…ただの侍、だな……」




 侍を名乗る事は、風魔小太郎にとって屈辱だった。

 五代に渡り北条の忍び頭を務めて来た自尊心もあった。そして何より、服部半蔵の存在があった。

 

 服部半蔵が武士のくせに忍びを名乗り、徳川家康のために靴でもなめそうなほどに動いている。その事が実に不愉快で仕方がなく、武田信玄が生きていた頃からずっとその事を言い立てて来た。二兎を追う者は一兎をも得ずでもないが、忍びなら忍びとはっきり言えばいい、まるで片手間のようにやっているのが気に食わない。いつか根っからの忍びとして鼻を明かしてやる、そのためび生きて来たつもりだった。


 だが、今の自分にそんな軽口を叩ける資格などない。


(別に豊臣とやらと戦う事に異論はない…だが今の北条はもはや北条ではない…!)


 北条と言う武家のありかたについて、それほど深く考えた事もない。だがかつて執権として関東に威を振るった北条の名を借り、その先代の偉業に負けじと治めんと欲したのが始まりである事ぐらいは知っている。

 だがその治世に関してはその北条の後を追わぬように丁寧で、きちんとした民治を心掛けて来たつもりだった。その結果家族的な一体感が家風となり、よく言えば暖かく悪く言えばぬるいと言われる事にもなった。もちろんこれまでの二度の小田原城防衛戦でぬるい訳でない事は証明できたが、信玄の小田原攻めから二十年以上が経ち空気が弛緩している事は否めない。

 もし本能寺の変が起こらねば、織田の次の標的は間違いなく上杉か、自分たち。その時には今よりはましかもしれないが大軍が来ていた事は確実である以上、その時勝てたかどうかわからない。と言うか自分たちの前に上杉が潰され、佐竹と言う織田の友好戦力がいる以上現在とそれほど変わらなかったかもしれない。

 そしてその前に、北条がどれほど戦力を広げられたか分かった物でもない。仮に佐竹やら里見やらを倒して関八州を全て得た所で、現在の豊臣軍とほぼ同等の力を持つであろう織田軍が到来すればそれほど簡単に勝てる物でもない。奥州と手を組めればまた別かもしれないが、現状はその奥州が奥州統一連合とか言って小田原に押しかけている状態である、しかも敵軍として。現状まだ豊臣家に服属はしていないが、対立もしていない。と言うか友好を結ぼうとしているような状態であり、仲たがいの要素を見い出す事すら難しい。出来たとしても、おそらくはこの小田原城が落ちた後。それは何の意味もない。


「あの拙劣な字…そう、それこそ、拙者ではない拙者が書いた代物……!」


 反故として便所紙に使われている紙に書かれている、読みづらい上に古臭い字体。おそらくは現在の字を知るために使われた。


 そして

「秀吉は自らを猿と呼ぶ存在に対し露骨に不機嫌となり顔こそ笑っているが内心でははらわたを煮えくり返らせている」

「秀吉は糟糠の妻を蔑ろにし若い女人と交わっている」

「秀吉は母との約束を蔑ろにしている」


「伊達輝宗が危機に陥ったのは政宗の油断の賜物であり政宗はまったくその責務を負っていない」

「人取橋の戦いの戦勝がまったく霊武者のおかげである事を隠そうともしないほど政宗は武士としての自尊心がない」

「政宗は七年近く引きこもり状態であった」


 とか言う、自分が書いてしまったらしい書状。


 確かに間違ってはいない。だがあまりにも都合が良すぎる。どれもこれも自分たちを徹底抗戦に走らせるそれであり平たく言えば無理心中を要求するようなそれではないか。

 まるで、自分でない何かが勝手に自分の体を奪って勝手に喋ったような。


 いや、まさにその通りだ。


 あの時、なぜあんな事を言ってしまったのか。

 認識はないが、記憶がある。


 自分なら、こんなうかつな事はしない。北条にそこまで尽くす義理があるかないか言われればあるが、なればこそ現状は豊臣にひざを折って下野を取り戻すか奥州統一連合側に抱き込まれて豊臣を追い払うかのどちらかしか生きる道がない事は明白なはずだ。それなのに、情報の窓口であったはずの自分が北条の運命を崖から突き落としてしまった。




「………………………………」




 感情も足音も無理やりに押さえ込みながら、小田原城を歩く。

「えいやー!」

「そりゃ!」

「フン、これで猿男を斬れるだろうな!」

「その首を小田原城にかけてやろうじゃねえか!アーッハッハッハ!」


 今夜も小田原城は騒がしい。

 豊臣も奥州統一連合も夏の短夜に辟易してか夜襲などかけて来ていないのにだ。二人して木の棒を握りながら打ち合っている。

 訓練とか言うよりもはや趣味、と言うか道楽。

 

 もし許されるのならば、本当に真剣で斬り合っていたかもしれない。声に軽さがなく、言っている事が大きいくせに威張っている所がない。人殺しこそ武士の本職とか割り切るにはどう見ても足軽であり、そこまで染まっているようには思えない。

 どう考えても、北条氏政の影響だ。氏政自ら朝から晩まで刀を振り回している以上、隗より始めよと言わんばかりに下の者たちもどんどん触発されている。最近では氏直や他の将たちも同じ調子であり、それこそ完全に連鎖が起きてしまっている。負の連鎖と言い切る事は出来ないが、あまりにも急激にして強引な変化。


 そしてその流れに火を点けたのは、紛れもなく自分。



 少しばかり、記憶が飛んでいた時期。

 おそらくはその時、自分の肉体を奪い取ったその男は小田原城へと入り込み、氏政をそそのかそうとした。

 そしてその上で鶴岡八幡宮を焼く事に成功した。

 事もあろうに、石田三成とか言う知的な優等生気取りの熱血男を誘導し、物の見事に破壊の責任を押し付けた。何が源義経だ、恐ろしいほどに狡猾で、それ以上に野蛮。貴公子とか言うが、それは所詮源頼朝により不当な扱いを受けたせいでどんどんと持ち上げられた虚像ではないのか。いくら源義朝の息子と言っても平治の乱の時は文字通りの乳飲み子。貴公子的な教育など受けているはずもない。

(生まれながらの気品?バカバカしい!)

 触れさせられた源義経とか言う男の正体は、もう丸わかりだ。霊武者の姿を取り上田から九州までのあちこちで人を殺し続けたあの姿こそ本当の源義経であり、奥州や下総で暴れ狂った童神もまた間違いなく源義経の息子。こんな親子に気品も何もあったものか。もし源頼朝のせいでとか世迷言を抜かすなら…と思いたいがどうも豊臣も奥州統一連合もその流れになっているらしい。どうやら二人の男に責任を全て押し付ける腹であるとか聞いた時には気を失いかけたが、その流れでまとまってしまったらしい以上どうにもならなかった。


 


「入れ」


 心も体も重たい小太郎が薄暗い廊下を歩き障子に手をかけると、入室を許す声が飛んで来る。本来の数分の一の速度と倍以上の音量で歩いて来たせいかすぐに気づかれたのであろうと自嘲しつつ、小太郎は障子を引く。


「小太郎殿か…」

「幻庵様…」

「まあ、座れ。水も何もないがな」


 禿頭を見せながら座る男、北条幻庵。

 始祖北条早雲の三男と言う北条家の大御所そのものの存在であるはずの彼は、最近九十三歳と言う年齢もあって体調が優れなかったはずだった。


「これ…」

「失敬」

「わしは氏政殿に当てられてはおらんつもりじゃ。単にここまで来ると眠るのが退屈なだけじゃからのう」

「眠るのが退屈とは」

「そのまま永眠したくないからのう」



 冗談のつもりであったのだろうが、笑えない。

 そんな配慮をされるほど落ち込んでいたのを指摘されたのも頭に来るし、それ以上に永眠したのならば二度と起きて来るなと吠えたいと言うのが今の偽らざる小太郎の心境だった。


「源義経なのでしょうか、今この小田原を支配しているのは」

「わからぬ。だがな、確かな事として豊臣も奥州統一連合も、義経を選び頼朝を捨てた」

「……」

「何を驚いておる」

「因果応報であると」

「百年前の是が今日も是であるとは限らん……」


 年齢と僧である事を加味しても、あまりにも恬淡としている。自分の生どころか、北条の運命すらも投げだしているような有様。諸行無常と言うにもあまりにも悲しい。

 



「何と詫びれば良いのでしょうか!」




 風魔小太郎は、泣いた。全く彼らしくもなく泣いた。


 忍びでありながら逆利用され、主家をも滅ぼそうとしている。それも全く関係もない存在に、あまりにもあり得ないやり方で。


「誰の責務でもない。それこそ、かつての為政者の罪と言う物……いいではないか、責任を押し付けても」

「あまりにも無責任です!」

「そなたがそう思うならそれで良い。じゃが決して無理心中とか考えるなよ、お主は被害者なのじゃからな」


 被害者とか簡単に言われてもと言い返すだけの気力は、ない。では加害者は誰なのか。

 豊臣秀吉とか伊達政宗とか言う都合のいい答えなど返って来ないのはわかっている。ましてや、源義経でもない。


「あまりにも、安易……」

「かもしれん。じゃがな、そうでも考えねば破裂してしまう。そなたならまだ生きられるかもしれぬ。伊達にでも頼み込めばな」

「……………………」


 幻庵の言葉は、真理かもしれない。

 だがそれでも、そんな選択が出来るほど自分は堕ちていないつもりだった。


「では、失礼いたします……」



 もはやこれまで。そんな事を言いたくはないが、言うしかないのかもしれない。



 内心で深くため息を吐きながら、小太郎は幻庵の下から足音も立てずに消えた。


 最後の意地を、見せるかのように。

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