表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦国霊武者伝  作者: 宇井崎定一
第八章 本多正信、正体を見抜く
101/139

魔都小田原城

「何をするのです!」

「敵はどこから来るか分からぬ……だがさすがにやり過ぎたような、これは失礼……」


 氏政は笑いながら、扇子を投げ付ける。

 背中で受けてしまった家臣が抗議の意を示すが、氏政は軽く頭を下げるだけ。


 こんな事が、ここ数日横行し始めていた。

 氏政があちこちに現れてはいきなり扇子や丸めた紙などを投げ付け、避けたり跳ね返したりすれば褒め、当たったとしてもこれ以上の事は言わない。綱紀が乱れているのか厳しすぎるのかわからない状態であり、誰も何も言えない。


「殿、食事時とかは流石に」

「わかっている。この小田原が落ちれば全てが終わる。その日まで気を抜いてはならぬ」



 何よりの問題なのは、ふざけている調子が全くない事だった。本人からすればある程度時と場合を選んでいるらしく、実際やられるのは結構油断していた人間であったためやられた方も素直に反省するしかない体制が出来上がってしまっているのだ。


「敵の攻撃は」

「ここ数日はありませんが、どうも上杉軍の着到が時間の問題でありどうやら北側に構えるようです」

「そうすると思った。忍城は」

「陥落はしていないようですが事実上封鎖されております」

「忍城の将兵は無事か」

「今の所は」

「まあいい。ここで我々が勝てば、一挙にひっくり返ろう。川越も、またしかりだ」


 そのくせ、兵たちからの報告を聞く時は大真面目だった。時々つっかえる事はあるが、それでもその姿には年齢からくる貫禄もあれば、これまでにはない覇気もあった。氏康が生前心配していた器量の小ささを感じさせる所は微塵もなく、まるでそこにいるだけで全てをひるませそうなほどに大きくなっている。

 この人について行けば、秀吉や奥州統一連合のような大軍を吹き飛ばして関東を、いや日ノ本全部を取れそうな気になる——————————。


 実際、そんな気になっている兵たちも少なからず出始めていた。



「まったく、東門での戦いは最悪だったな…」

「普通にやってれば蘆名だか何だか知らないけどあんなガキ簡単にやれたのによ…」

「大将も弱腰だよな…俺たちが勝ちまくって元気づけてやらなきゃよ…」


 そんな彼らに取り、この前の東門での戦いは最悪だった。氏照がその気にならなかったせいで多くの損害を出し、初戦からいきなり敗北する事となってしまった。そのせいで兵をさらに余計に割かねばならなくなり、予備隊の数が減った。

 溜飲が下がったとすれば氏照がこの一件で将の任を解かれ後方待機させられたぐらいであり、将兵たちのいらだちは溜まっていた。そしてそのいらだちは士気に変わり、次々と兵を高揚させて行く。要するに、かの東門の戦いとびた一文変わらない空気がそこに、と言うか小田原中にあった。



 そんな城の空気を唯一暖かくしているのが、昨日入り込んで来た一頭の馬だった。


「奥州統一連合とやらから逃げ出して来た馬だってよ!」

「本当、馬もどっちが正しくてどっちが間違ってるかわかってるんだな!」

「正義は我にあり!」

 そう兵士たちは盛り上がり、氏政もその馬と触れ合う時だけは穏やかな笑顔を浮かべ、氏直もまたしかりだった。


「叔父上は、少し疲れていらっしゃるようです。誰か体をもみほぐして差し上げてもらいたい」

「…………」


 氏照が不安そうにしていると、氏直からもそう言われる。東門での戦いの責任を押し付けられていた氏照は本陣にとどめ置かれ、かつての氏邦のようにほとんど無役の状態であったが、それでも氏政も氏直も親切ではあった。だがそれ以上にこちらの話を聞く様子もなく、親子でどんどん話を進めている。そして最近では氏政軍の兵たちも親子ともどもすっかりその気になっており、文字通り親衛隊に囲まれているような状態だった。

 すごすごと去って行く氏照を追いかける兵の数は、氏政たちの周りにいるそれの十分の一以下。元から当主とただの部下と言う差こそあれどあまりにもひどい扱いだった。

 と言うか、誰も止めようとしない。前へ前へと進んで行くだけの暴走状態であり、この戦いに勝ったとしてもどれほどの損害が出るのかわかりゃしない。

(今はまだ、秀吉は遠慮をしている。遠慮をせずに戦力を注ぎ込まれたらいずれこちらが先に破滅する……)

 小田原が堅城と言っても、兵の数が違う。力任せに押し込まれたら、数で圧倒されるのがオチのはず。しかも豊臣秀吉と言うのは城攻めの名手であり水軍まで持ち込んでおり、そのため兵糧がなくなればとか言う希望的観測もおそらくは通じない。勝ち筋があるとすれば徹底的に籠城して奥州統一連合の方を叩く事ぐらいだが、初戦の様な暴走を繰り返していて勝ち目があるとは思えない。


「殿はずいぶんと若返られたようだ」

「喜ばしい事ではないですか」

「わしが屈原にでも見えるか」


 侍女たちに囲まれてなお愚痴を吐こうとすると、事もあろうに唇を奪われそうになる。あわててはねのけようにも間に合わず、あからさまに唾を吐くと背中ではなく頭を揉まれた。

「相当に弱ってらっしゃるようですね」

「お前らのせいでな」

「これはこれは…」

「馬鹿者!」

 そして八つ当たりをしようとすれば、いきなり服を脱ぎ出す侍女まで出る始末だった。氏照がそんな遊女みたいな真似をした侍女を殴り飛ばすと、やっていられぬとばかりに体を起こしてどこかへと走り去ってしまった。兄と甥に言いつけてやろうかとも思ったが、おそらくは二人の差し金だろうと思うと暗くなって来る。


(こんなとげとげしい女ども、誰が抱きたいものか!)

 腑抜けさせたいと言うより、弱気を絶対に許さないと言う強硬姿勢。女性たちもなぜだかその気になり、こちらの弱気の虫を一匹残らず駆逐しようとしている。態度こそ淫乱に見えるがその実はむしろ覚悟を決めた女のそれであり、もし秀吉の下に行こう物なら夫や子どもや氏政たちの命を守るために嘆願するか、目の前で死を選ぶか、あるいは寝所の中で秀吉を暗殺しようとするかもしれない。もう一つと言うか第一の選択に付随するが秀吉の子を産んで天下人の血筋に突っ込ませると言うのもあるが、それとて十分に覚悟の決まった選択肢であるし相当に野心的でもあるからそれはそれで恐ろしい。

 確かに秀吉は好色家であると広まっているが、氏康だって十四人も子供を産んでいるのだ。好色家である事は別に悪でも何でもないのがお殿様の特権であり、それ以上に役目だった。氏照は確かに妻に先立たれた男やもめだが、それでも女を選ぶ権利ぐらいある。ましてやここにいる女のような存在など選ばずともいいほどの身分のはずだ。


 この戦いが終わったらとか言う眠たい事を抜かす気もないが、それでもこんな戦いで死にたくないと思うほどには氏照は冷めていた。最近戦中という事でか増えた肉をかっ喰らうと、最近やたら肉臭くなった城内を足早に歩いてそのまま寝てしまった。











※※※※※※




 そして、ここにもう一人。


「幻庵様」

「わしは坊主であるぞ」

「そうでしたな…まったく、幻庵様にこんな見送り方をさせるとは、秀吉め、政宗め……」


 爛々と目を輝かせる連中に取り囲まれ、寝たり起きたりしながら過ごす坊主頭の男。

 彼もまた、この肉臭い空間の中でため息ばかり吐いていた。しかも側にいる兵たちも自分が坊主であるのを知って肉を勧めて来るような無神経な連中ばかりである。この時代に生臭坊主なんぞちっとも珍しくないが、それでもここ最近の肉の臭いはひどい。

 顔をしかめようにも多くの兵たちはちっとも気にする様子もなく、気にしていた大半の兵たちもどんどんと触発されて慣れてしまっている。戦中とか言うもっとも言い訳のし難いそれと、石田三成とか言う小僧のやらかしによりなおさら誰も止められない環境が出来上がり、もはや勝つか負けるかしか存在しない環境が出来上がってしまっていた。そんなのは戦である以上元からだとか言うには、あまりにも城内の空気が恐ろしい。


(敵を侮るなかれとは言うが……)


 ここ最近、味方同士でもお互いを侮るなかれと言わんばかりに殴り合いの様な事になっている。実際に斬り合いにはならないが、それでも拳や木剣での叩き合いなどは増え出していた。将兵もそれをさほど諫止する事もなく、むしろ煽っている。内輪揉めとか言う負の色はなく、お互いを高め合おうとしているとまでは行かないにせよ少なくとも後腐れは感じない。勝っても負けてもお互い更に鍛え合い強くなってやろうと言う、ある意味清々しい空気ばかりが流れている。



 そして最悪なのは、小田原の城に入り込んだ民でさえもそんな空気になっている事だ。


 おそらくこの肉は、小田原の周辺をうろついていた獣の肉。狩猟とか簡単に言うがただでさえ小田原を東西から包囲されている中で狩りに行くなど危険だし、ましてや相手は単純に力を持った存在。それを狩りに行くのは武士や専業の猟師でも大変なのに、ただの民がそんな事をしていると言う。実際、負傷者も出ているらしい。


 まるで、この小田原自体が何か良からぬ物に包まれている気がする—————それを言えない自分が老いたつもりもないがただただ悲しく、情けなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ