【外伝】盾の砕ける日
『不動』視点
横浜港、第7倉庫。取引開始時刻が迫る中、俺はボスの織田様の隣に佇んでいた。彼の傍ら、半径3メートルが俺の聖域であり、世界で最も安全な場所だ。
「どうだ、井川」
織田様が静かに問う。
「問題ありません。警備配置、通信網、全て正常です」
俺は短く答える。織田様は満足げに頷いた。そうだ、問題など起こるはずがない。俺がいる限り。マフィア共が到着し、取引が始まった。俺の意識は、部屋の隅々まで張り巡らされている。警備兵たちの呼吸、マフィアたちの僅かな視線の動き、そして、卓上の試作レールガン『雷神』が放つ微かなエネルギーの波動。全てが俺の知覚の内にある。
その時だった。倉庫の反対側で、予兆なく煙が上がった。
「敵襲か!」
部下たちが即座に反応し、織田様の周りに壁を作る。俺は彼らにボスの護衛を任せ、自らは脅威の根源へと歩き出した。侵入者…おそらくは取引を嗅ぎつけたハイエナだろう。排除する。それだけの話だ。
煙が晴れる前に、新たな脅威が俺の索敵範囲に現れた。一人の男。警備兵の服を着ているが、その動きと殺気は明らかに偽物。
(…ネズミは、お前か)
男が足元に何かを叩きつける。閃光茸。原始的なトラップだ。俺は思考するより早く【絶対領域】を展開した。
パリン、と。
俺の周囲で光と音が虚しく弾ける。障壁は揺らぎもしない。これが俺の力。これが『不動』たる所以。俺はホルスターから愛銃である対戦車拳銃『荒鷲』を抜き放ち、男に向けて引き金を引いた。
「何者だ」
銃弾は回避された。さらに鉄骨を盾にするなど、小賢しい。だが、それも時間の問題だ。俺がゆっくりと距離を詰め、確実に仕留めようとした瞬間、男は予想外の行動に出た。懐から取り出した複数の物体を、無秩序に、四方八方へと投げ放ったのだ。
(…!飽和攻撃か!)
天井、左右の壁、床。時間差で炸裂する閃光と煙幕。俺は咄嗟に障壁の範囲を広げ、全方位からの攻撃に対応する。だが、不規則な光の明滅と爆音は、完璧なはずの俺の集中力を僅かに削いでいった。
視界が悪化し、聴覚が麻痺する。その一瞬の隙。煙幕の中から、奴は現れた。俺の【絶対領域】が、これまで感じたことのない抵抗に軋む。そして、その抵抗をこじ開け、奴の指先が俺の体に触れた。
その瞬間、俺の時間が止まった。違う。時間が止まったのではない。俺の全てが、この男に吸い出されていく。スキルが、力が、俺が『不動』であるための全てが、腕を伝って奔流のように流れ出ていく。
「―――がっ!?」
未知の感覚に、俺の脳が警鐘を鳴らす。引き剥がせ。この接触を断ち切れ。俺は残された力で掌底を放ち、頭突きを叩き込む。だが、男はまるで岩のように動かない。それどころか、奴の体表に、見慣れたはずの障壁が、不完全に、しかし確実に形成されていくのが見えた。
(俺の…力が…!?)
ありえない。そんなことがあっていいはずがない。俺の力が弱まっていく。世界で最も安全だったはずの聖域が、内側から崩壊していく。
そして、6秒後。ふっ、と。全ての感覚が消えた。常に俺の体を守っていた、空気のような存在だった障壁が、完全に消え失せた。
俺はもう、『不動』ではなかった。
喪失感に呆然とする俺の首筋に、冷たい衝撃が走る。そこで、俺の意識は途絶えた。最後に聞こえたのは、計算外の事態に驚愕する、主人の声だった気がする
次回、【50話】聖域の試運転




